坂本龍太朗のワルシャワ通信 10月27日〜11月8日
10月27日
自宅に溜まっていく物資。
座る場所がないと家族に怒られつつも他に保管場所がないので多めに見てもらっている。そろそろ次の搬入の日を迎える。医療物資はウクライナ国内でもそれなりに足りてきたという報告が入った。これから来年の2月頃までは越冬支援に全力を尽くす。
今日、3月に1ヶ月だけリヴィウからこちらに避難してきた友が週末だけポーランドに来たので話した。リヴィウまではここから360キロだが、バスで13時間もかかったらしい。ただ、片道50PLN(1500円)という運賃だけ見ると金銭的にはすごく近い気がする。
ウクライナ人に提供している自転車だが、よく壊れる。
中古を買っているので当たり前だが、歩く以外は自転車だけが移動手段であるため、毎日のように乗っているということもある。
時間もかかり部品の交換が必要な場合は修理業者に持っていくが、パンク程度なら自分で直した方が時間もお金も節約できる。
しかし修理しながらもっと大切なことに気づいた。
それはこの自転車を使っている子どもに修理の仕方を見せること。
もちろん次からは自分で修理しろというわけではないが、ウクライナの学校からの授業がミサイル警報で最近は全く受けられていないため、こういった生きていく上で使える技術を代わりに学ばせたいと思う。
桶に水を汲んできたりと手伝ってもくれた。
10月28日
最近、ウクライナの子ども達はほぼ毎日授業が受けられていない。
写真はウクライナ西部のある小学校の先生から昨日送られてきたもので、毎日何時間も地下室に避難しなければならず、授業どころではないという。
見ての通り地下室はいっぱいで、ここに入れない子ども達はそもそも学校に通うことができない。
平和なポーランドにいたとしても、ウクライナからのオンライン授業が受けられないということになる。
地下室でもジャンバーを着ている子ども達。
何とかこの子ども達を救いたい。
何かしてあげたい。
まずは携帯用発電機、大型の発電機、そして地下室で気を紛らわせえるためにカードゲームなどを大量に送ろうと思う。
ロシアによる無差別攻撃が続く今が正念場です。
10月29日
・現在、日本各地でウクライナの子どもたちの絵画展を開催中です。取り仕切ってくださっているのは「千曲市ウクライナ避難民を支える会(https://www.facebook.com/profile.php?id=100083369996597)」の竹下雅道代表(https://www.facebook.com/masamichi.takeshita.3)です。
・ぜひ多くの方に子どもたちの絵を通して平和を考えていただければと思います。開催希望も常時受付中ですのでぜひ連絡ください。
10月30日
・約4ヶ月ぶりに北島康介さんに再会。引き続きウクライナについて真剣に、そして長期的視点で考えてくれていることに大きな支えを感じる。
・今回も日本から支援物資持ってきていただき、来週中にウクライナに搬入予定。支援を続けてきて、つくづく日本に基盤がある日本人として、ここポーランドで活動できることに感謝。
・フィールドは違うが、私も北島さんのように日の丸にいつも背中を押されている。日の丸がある限り、決して倒れない。
10月31日
箱をたくさん購入する。
この中にクッキーを詰めて、ウクライナの小学校の地下室に保管するためだ。
ミサイル警報で子ども達が何時間も地下で過ごさなければならないとき、そこに1人1枚でもクッキーがあれば、そのひと時だけでも戦争以外のことを考えてくれるかもしれない。
11月1日
・日本各地でウクライナの子ども達の絵画展開催中。すでに日本に二箱郵送しましたが、子ども達はまだまだ描き続けてくれています。1枚描けば、それだけ平和に近づく、そう考えているからに他ありません。
・この巡回展を取り仕切ってくださっているのは「千曲市ウクライナ避難民を支える会(https://www.facebook.com/profile.php?id=100083369996597)」の竹下雅道代表(https://www.facebook.com/masamichi.takeshita.3)です。
・ぜひ多くの方に子どもたちの絵を通して平和を考えていただければと思います。開催希望ありましたらご相談ください。
11月2日
・これもウクライナでは必需品です。依頼を受けて購入したのは夜運転する時に使う特殊カメラです。ウクライナ西部から物資を遊ぶ車の運転手からの要望です。安全を考え車の移動は夜ですが、ライトはもちろんつけることができません。それでも安全に運転するために、このカメラを頭につけ、メガネのようにして使うことで暗い道でもよく見えるようになります。
・ウクライナ各地で街灯がつけられず、信号も使えない状況が続いています。そのため交通事故も増えており、多くの方が亡くなっています。これも戦争による、ロシアの侵略による犠牲者です。
11月3日
・12歳のウク娘が、朝10時に起きたというので理由を聞くと、昨晩は1時に床に着いたそうだ。
・なぜそんなに遅くまで寝なかったのかというと、0時までこのウクライナ料理ヴァレーニキを作っていたから。
・その他ボルシチなどたくさんのウクライナ料理で迎えてくれた。
11月4日
・この小学校にはウクライナの子どもが125人通っている。
・ポーランドの子は40人程度しかおらず、世話をしている先生たちも戦争が始まってから避難してきたお母さんたちが多い。
・ここでポーランド最終日の中村天平ウクライナ支援コンサート。
・ウクライナ国歌を歌いながら泣き出してしまった男の子、ピアノを初めて見たという少年のことが今でも忘れられない。
・私の自宅から車で12分なので、また近いうちに子ども達を端から抱き締めに行ってこようと思う。
子ども達の出身地を聞くとザポリージャ、ヘルソンなど戦争の最前線から来ている子も多い。 早く彼らのふるさとを平和にしてやらなくてはならない。
11月5日
・以前は避難民と支援民に分けられていた私たち4人も、今はみな立場の違い、言葉の違い、そして国の違いを超えて仲間になった。
・一番左のクリシャには私のポーランド語をウクライナ語に通訳してもらう。
・幼い娘と共に避難生活を送りながらケーキ作りをしている。
・私の右にいるオクサナはコンサートの企画をしてもらった。
・彼女は避難所生活をしている時に周りのウクライナ人を集めてポーランド語講座を企画していた。
・ウクライナから来ているこの2人との付き合いも、苦楽を共にしてきた時間もすでに8ヶ月になる。
・そしてウクライナの子どもたちに最高の音楽を届けてくれた中村天平さん。
・正直最初の知り合ったのがいつかは覚えていないが、今回は3年ぶりの再会だった。
・子どもたちの笑顔と涙はこの4人で生み出したと自負している。
・というか日本人2人がウクライナ関係の服を着ていてウクライナの2人が普段着っていうのもなんか。。。
・いや、逆にウク母達が日本応援の服を着ていたら私は相当励まされるだろうから、日本男児の服装は決して間違っていない!
11月6日:ポーランドのウクライナ難民の4人姉妹と鬼ごっこ♬ 何度も会ってると我が子の様に可愛い 来年は彼らとウクライナで会えればいいな Playing tag with four Ukrainian refugee sisters in Poland♬
11月6日
・戦死した友人の40日(日本でいう49日)を迎えた。
・彼には2人の子ども達がいて、戦争から戻ってきたらスマホを買ってあげる約束をしていた。
・その約束を果たさぬまま父は逝ってしまい、残された子ども達。
・今使っているスマホは古すぎて電話ができない状態。
・同い年で、同じように2児の父である私が友人からその約束を受け継がせてもらう。
・友人の40日でウクライナに向かった彼の妹に購入したスマホを託す。
・子ども達には今年何度か会っているが、残念ながら笑顔を見たことがない。
・いつか笑顔を取り戻せるまで、そして取り戻してからも将来に渡って彼らの父親の分もこの子ども達に寄り添い続ける決意だ。
・次に子ども達に会うのは来月。サンタクロース、絶対に来るから。
・君たちのお父さんは今後もずっと僕の中で生き続けているから。
・それを繰り返し繰り返し、耳にタコができるぐらい伝え続けたい。
11月7日
搬入前日の夕方5時前、ほとんど諦めていた発電機2台が到着。
・すぐに搬入車両に積み込む。
・今回ウクライナに入れたのは食料(約8万円分)、発電機計3台(約20万円)、防寒具(約60万円分)、ガスコンロ420本(約10万円)携帯式充電器15台(約7万円)、そしてロウソク130本(1万6000円分)、その他子ども用品などもろもろ計約30万円分。
・支援金が少なくなる中、できる限りの物資を搬入できた。
・この物資は40日前に戦死した友人が最後に伝えてきた支援依頼リストに沿ったものだ。
・もっと長く協力していきたかったと思いつつも、最後に交わした約束を果たせたことに彼も天国から喜んでくれているだろう。
・次の支援は地下壕に避難せざるを得ない子ども達に向けたものになる。
11月8日
・ハリキウはここ最近、最低気温がマイナスになる。
・首都キーウも2月が一番寒くなるため、引き続き越冬支援を続ける。
・車に積み込み運ぶのはウクライナ西部に新たに設置する避難所のための折りたたみ式机など。
・本格的な冬が始まった時、それまでにできる限りの支援は全てできたと言えるように、冬前の今が正念場である。