戦死した友人のお葬式が終わった
戦死した友人のお葬式が終わった。
国の英雄になったと言うが、できれば英雄にならず生きてほしかった。戦争に行ってからある程度の覚悟はできていた。にも関わらずこんなにショックなのは、やはり覚悟ができていなかったからだろうか。何千人殺されても、彼は大丈夫だという自分勝手な確信があり、勝手に戦後ポーランドで寿司を食べる約束が果たされると思っていた。
彼も死ぬ覚悟で前線に向かった。侵略しているロシアとは全く違う覚悟で。このようなウクライナのお父さんたちが多い中、ロシアが核でウクライナを脅してもほとんど士気に影響はない。核で死んでも、銃弾に倒れても、ミサイルで破壊されても、死は死。死を覚悟した彼らの強さは揺るがない。
彼は今までコードネームで活動していたが、本名は大統領と同じウォロディミル。愛称はヴォーヴァ。ヴォーヴァは今までビデオ通話で戦場がいかに過酷なのかを教えてくれた。彼の苦労を分かった上で、彼が戦死し、ようやく休むことができたと感じてしまった。ようやく家族の元へ帰ることができたことに多少の安堵を感じてしまうのは許されないことなのだろうか。
最初はルガンスクで、その後はヘルソンで、私が送った車を使って多くの物資を運び、民間人の強制避難にも対応した彼。私が車を送らなかったら彼はそこにいなかったかもしれないと思うと、責任も感じないでもない。また、私がウクライナ支援を始めなければ、この悲しみに巡り会うこともなかった。ウクライナ支援を続けていけば、またこんな悲しみが訪れることだろう。それでも、私はヴォーヴァの意志を継ぎ、今後もウクライナと共にありたい。ここまで多くの人々の悲痛に触れてしまった今、今まで以上に寄り添う必要があると感じる。これからは同い年の彼を残し、私だけが年を取っていくことになる。彼の子供たちには特に気をかけながら生きていきたい。今回、子供たちには手紙を、奥さんには靖国の桜の置物を送り、そしてヴォーヴァには献花をした。
辛い。ただ、それでもひとつだけ言えることがある。私はヴォーヴァと組み、多くの人を救うことができたことを心の底から誇りに思う。彼だけでも、私だけでもこんなに多くの命は救えなかった。
友よ。安らかに眠り、天から今後の私たちのあがきを見守ってくれ。