坂本龍太朗のワルシャワ通信(8月1日〜8月14日)

8月1日

今日はワルシャワ蜂起が始まった日。毎年午後5時に全国でサイレンが鳴り響き、多くの人々が黙祷を捧げる。ポーランドに住む者にとってはとても特別な日である。

しかし今年は多くの街でこのサイレンを取りやめる決定がなされた。もちろん、避難してきているウクライナ人にいらぬ不安を抱かせないためだ。ウクライナ人は誰もが今日ワルシャワ蜂起の記念日であることを知っているわけではないし、知っていてもサイレンがなることまでは知らない人ばかりだろう。ウクライナで何度も聞いてきたサイレンを、避難先で平和なはずのポーランドで聞くと、恐らくミサイルがついにポーランドに対して撃たれたと勘違いしてしまう人も出てくるに違いない。

・これは、5ヶ月経ってもウクライナの皆さんの心の傷は深まる一方で、心は今でもウクライナにあることを象徴している。ポーランドでは戦争のニュースをあえて見ないようにしている人も増えている。それは精神的に落ち込まないようにするためだ。しかしウクライナのみなさんは違う。なぜならその戦争は母国で起きているから。結局のところ、ニュースを見ないとか、関心が薄まるとか、そもそもメディアの取り扱いが減るとか、それは他国で起きている戦争だからである。そういえば、私も東日本大震災の後は周りが元気でも私は長い間落ち込んでいて、ニュースを追い、悲しみにひたり続けていたっけ。

・ウクライナの皆さんは、ここにいても心はいつも戦場なのだ。そんなポーランドにいるウクライナ人支援も必要性は相変わらずだ。今でも宿泊支援や食料品を買ったり、交通費を出したり、車を出したりしている。
そんな中で1番よくやっているかもしれないのは水の買い出しだ。車がなく、近くに店もない家族にとって、飲料水の買い物はとても大変だ。毎日飲むので数も必要だし、そもそも重い。もちろんポーランドでは水道水も飲めるし、私はずっと水道水を飲んでいるけど、ウクライナでは基本多くの人が水のペットボトルを買って飲んでおり、ポーランドに来てもその習慣は変わらない。

特に幼い子供たちを抱えている家庭は大変だ。1日数本のペットボトルが必要だ。金銭的負担ではなく、肉体的な負担を軽減するため、重い飲料水をよく買っている。自分の買い物ついでなのでほとんど負担にならないし、筋トレついでに続けている支援だ。

8月2日

・ウクライナからの報告が届く。戦禍にいる子どもたちへ。私たちは決して君たちを見捨てない。生まれた国によって環境は異なるし、これは不平等だ。しかし、しっかり勉強できる環境があれば、君たちの将来は世界に開けるだろう。そうなれば、君たちは今戦禍にあろうとも必ずウクライナだけではなく世界を背負っていける人材になれる。
・私たち大人は、君たちが大人になった時、平和な世界で幸せに生きていけるように、今精一杯頑張るから、君たちは安心してまずは自分たちの夢を諦めずに追い続けろ。

8月3日

・今までも多く送っている通信手段。電波がない地域ではやはりスマホよりも電池が長持ちするトランシーバーが一番役に立つ。昨日、ウクライナ政府の主導でドネツク州から強制避難が始まった。秋までに20万人の避難を完了させる予定だが、戦場に残っている数十万人は今この段階でも命の危機にさらされており、交通手段などに限界はあるとはいえ秋までというのはなんとも虚しい。

・実際にドネツクで避難民退避に当たっている人から連絡があった。私が以前送ったジープも避難民退去で活躍してくれているが、まだまだ車両が足りない。今月はできれば3台バンを購入し、民間人避難を支援していく予定だ。中には避難したくない人たちもいる。そういった人たちに対してはせめて手動発電機などを届けることで、いざというときに連絡が取れる手段をできるだけ確保していく必要がある。
・ドンバス地方にだけ目を向けるわけにはいかない。今後溢れる強制避難対象者はどこにいくのか。その大多数がウクライナ西部だ。つまり、避難民の退避を支援しながら、ウクライナ西部での受け入れ態勢に対してもテコ入れを図っていかなければならない。

・5月9日のロシア戦勝記念日に向けてがある程度支援の山になると思っていたが、山を越えるとさらに高い山があり、最近それを超えたと思ったら次はまた「強制避難」の山が私たち支援者の前に立ちはだかる。これがまさに「災害支援」と「戦時支援」の違いだ。災害支援は大雨、本震、堤防決壊、土砂災害、津波などある程度明確な山があり、その後は復興支援が中心となる。戦時支援はいつどこに山があるのか全く分からないし、その山がいくつあるのか分からない。復興支援もいつが始まるのか分からない。かといって、復興支援のための余力を残して今手を抜くわけにもいかない。

8月4日

・ハリキウに先日送った物資が届いたという報告あり。ロシア軍に占領され、その後ウクライナが奪い返し、しばらくは落ち着きを取り戻したかに思えたウクライナ第二の都市。ハリキウから避難していた人々がふるさとに戻るというケースも多々見られた。しかし、最近ではまたロシア軍による砲撃にさらされている。避難から戻ってきて犠牲になってしまった人々も多い。私もハリキウは今後復興支援に向かっていくのではないかとある意味楽観視していたところがある。しかし、戦争が続く限り、楽観視することは危険だと思い知らされた。

・最悪の状況を考えて支援を考え、結局その支援が必要なくなればそれはそれで問題ない。しかし楽観視して支援の方向性を変えると、想定外のことが起きたときに対応が遅くなってしまう。私が使える支援金には数字として限りが見えるが、必要とされている支援に限りが見えない。ある意味で競争にさらされている気分だ。ロシア軍が使える人員、砲弾にも限りがあるわけで、どちらが先に音を上げるのかが試されているように思えて仕方がない。

ただ、こちらは決して負けるわけにはいかない。正当性のない暴力が勝つ世の中を私たちが許してしまったら、私が愛する祖国日本の将来にも危険が及ぶことは容易に想像できるからだ。だから私は第三者としてではなく、当事者としてこの支援を続けていく。

8月5日

・ウクライナの小学校から子ども達の写真が届いた。彼らは日本から贈られたパソコンを囲んでいる。この学校では9月から、子ども達全員が教育にアクセスできるような環境作りを進めており、ようやくその目途もたった。
・しかしここへきてドネツクからの強制避難が始まった。となるとウクライナ西部に避難し、ウクライナ西部の学校にとりあえずは入るという子ども達も出てくるだろう。彼らへの対応も今後必要になってくる。

・強制避難に関し、1点だけ心配がある。民間人が強制避難するということは、そこにいるのは基本的に避難を拒否した民間人、そして残りは軍人ということになる。そうなるとロシアが戦況を打開するためにドネツク州で戦略核兵器を使う可能性がおのずと高まってしまうということになる。ロシアとしては民間人には全く被害がない核の使用というわけだ。
・ただ、ロシアは民間施設であろうと、民間人であろうと攻撃を今までもずっと続けてきた。民間人がいることが明らかであれば、対象が病院や学校であれば攻撃をしないであろうという国際法の抑止も全く効いていない。学術的、西側にいる者としての常識だけで戦況を見ることの危うさをここでも感じている。

8月6日

・「今から寝る」ウクライナの娘がそう言ったのは午後4時のことだった。普段は朝1時か2時まで起きていて、翌朝9時ごろまで寝ているのにどうしたのかと聞くと、どうやら昨晩は一睡もできなかったそう。歯が痛くて眠れなかったとのこと。さらに問い詰めると食事もつらく、きゅうりでも痛くて食べれなかったそうだ。今まで歯が痛いなんて1度も私に言わなかった娘。突然なので歯がかけたのかと思い口を開けさせて驚いた。真っ黒の歯が三本。1番ひどいのは歯が半分も残っておらず底なしの真っ黒な穴が開いている。

・一緒に住んでいないから今まで気づいてあげられなかった。こんなになるまでなぜ私に言ってくれなかったのか。正直娘と母親を強く叱りたくなったが、その気持ちはすぐに収まった。そもそも歯医者に行こうにもお金がない。ポーランドはウクライナより医療費は高い。次に言語の問題。予約はできても歯医者に行って色々専門用語で聞かれても答えられる自信がない。国立の歯科に行けば無料だが、予約できても1ヶ月以上待つことになる。予約もポーランド語だし。来週にでも戦争が終われば帰国したい彼らにそんな選択肢は湧いてこない。最後に、恐らく忙しい私に心配をかけたくないとの配慮もあったんだと思う。誕生日にほしいものさえ遠慮して言わない娘のことだ。

・食べられない寝られない状態では娘は弱る一方だ。よく見ると虫歯がひどい左顎が腫れている。すぐに歯医者を予約し、怖がる娘を連れていった。多分、歯医者が怖いんじゃなくて、この状態を見られて怒られるのが怖いんだろう。
・本日は応急措置として、麻酔の後1番ひどい奥歯の神経を抜き、詰めてもらった。1本200pln(約6000円)。その後レントゲンをし、抜かなくてはならない歯と治療できる歯を選別。来週初めに数本、根元もやられている治療不可能な歯を抜くことになった。

・ベッドの上で横になり、とても緊張している娘を見ながらなんとも言えない気持ちになった。こんなに小さいくせに無理しちゃって。ウクライナの平和とか、戦争終結とか、そういうこと言う前にまず自分の健康を心配しろと。
・私の周りには歯の問題で苦しんでいるウクライナの子どもたちが数人いる。ということは、世界中に5ヶ月以上虫歯で苦しんでいるウクライナの子どもたちが数え切れないほどいるに違いない。彼らは周りに助けを求められているのか。全員は救えない。それでもせめて、私の周りにいる人たちの健康ぐらい守れる人間でありたい。絶望感と使命感と覚悟のようなものを同時に感じ、なんともかとも不思議な気分になった。

8月7日

・ウクライナに対して実施した支援の総額が3000万円を超えました(1,090,270PLN)。パソコン191台、車両2台、医療物資は計1131万円(391,788PLN)。写真にあるような医療キットを大量に手配してきました。ここまでご支援いただいた皆様に改めて感謝申し上げます。現在の規模での支援も、今の残金だけを考えると10月までは持ちません。どうぞ引き続き皆様からのご支援よろしくお願いします。
・当初、ウクライナ避難民を収容している施設に対し暖をとるために行った石炭10トン分、約75万円の支援。これは大規模支援だと考えていましたが、ここ3、4ヶ月はこれよりも大規模な支援が何度も必要とされてきました。

・3000万円で実現できた安心、安全、子供たちの笑顔は計り知れません。そして何より救われた命があることも多く報告されています。一方で3000万円以上の被害がロシア軍のミサイル一発で日々出ています。それを考えると平和を作るには血のにじむ努力と時間が必要ですが、それを壊すにはミサイルのボタンを一瞬押すだけ。長年培ってきた平和も塵のように軽く吹き飛んでしまいます。人の命だって同じです。産むのも育てるのも、成長していくのだって楽じゃない。しかしそんな命も一瞬で多く吹き飛ばされていきます。

・支援金が1番集まったのは最初の1ヶ月でその後は減っていく。それは災害義援金などとも同じ傾向です。支援金が終わるのが先か、戦争が終わるのが先か。支援だけを全力で考え常にウクライナの方を見るというステージから、恐らく秋以降は支援持続のために何をすべきかというステージに移る。今からその準備を進めていきたいと思います。
・最後に。支援金が終わるということは支援が終わるということではありません。お金で進めらる支援は全体の1部に過ぎず、通訳、翻訳、車出し、精神的サポートなど時間を使っての支援が常に中心です。私はまだ和太鼓を使ってのチャリティーコンサートさえしていません。

8月8日

・ウクライナに送る支援物資は大きく分けて2つの種類がある。食料、飲み物、ガソリン、パンパース、浄水材など一度使って終わる必需品。そして衣類、靴、パソコン、車両、そしてこの発電機のように一度ウクライナに届けたらその後長く活躍してくれるもの。両者ともに大切だが、後者の支援物資はウクライナ搬入後に支援が勝手に広がっていくという特徴がある。例えば車はウクライナで私の手を離れ、多くの民間人避難や物資運送で活躍し続けてくれる。発電機も多くの人が使うことで、電気がない地域の人々に電気を供給し続けてくれる。

・金額的に言うと、前者はある意味簡単に購入でき、そこまで多額の支援ではない。一方、後者は普通の人が自分の資金でやるには限界があり、それはもちろん金銭的、そして購入に時間がかかったり、物によっては搬入するための確かなコネが必要になる。そのため日本から多くの支援金をいただいている私は、主に後者の支援を重視して活動している。前者の物資は私ではなく、周りの仲間にスーパーなどに行って代わりに購入してもらい、あとからレシートを受け取るという流れだ。この役割分担もまた、支援を長く続けていくためのポイントだと思う。

8月9日

・8歳の娘の誕生日。当日、私は仕事で行けなかったので、誕生日翌日の訪問となった。本来は友達や家族、親戚を呼んでみんなで祝いたいところだけど、残念ながら避難生活をしているお母さんとお姉さんたち、そして外部からは私だけ。ウクライナに残してきたお兄さんたちとはオンラインで話だけしたそうだ。
・こんな戦争時にパーティーなんてと思われるかもしれないが、戦時下では結婚件数は一気に増えることは歴史から分かる。ウクライナでも実際に戦地に赴く直前に結婚式をしたり、日にちを早めたりして結婚している人たちが増えている。

これはロシアによって私たちは幸せになる権利を奪われないという強い意志を示したものだ。家は壊されても、故郷に戻れなくても私たちは強く生きているんだと、それを示し続けている。

8月10日

・ウクライナ国内で活動している知人から写真が送られてきた。そこには「あなたは一人じゃない」との文言。私がよくウクライナの人々にかけている言葉を私がかけられたわけだが、写真にあるようにウクライナ国内でも日本人は活躍している。
・日本人によくあることだが、お金をどこかの組織に出し支援や復興をお願いする。そうすると結局その組織やその支援を行った国の実績になり、結局は顔が見えない日本人はある意味で感謝されなかったり、外野へ押しやられる。

・日本人は謙虚だ。そのため大きく日の丸を掲げることに抵抗がある人もいるかもしれない。しかし、ウクライナで見られる日の丸は、決して私たち日本人が自慢したいとか、見せびらかしたいとか、そういった意味ではない。そこに込められている気持ちは私たちではなく、ウクライナに向いている。つまり、その日の丸を見たウクライナのみなさんが、遠い遠い日本も私たちを支えてくれているんだと知ること。日の丸を出すということは、とても安上がりな精神的なサポートになるということだ。

だから私も物資に日の丸をつけるし、私が運用している車両にも日の丸をつけている。

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8月11日

・ドネツク州からの強制避難。支援が減り、避難が長期化するに伴う外国に避難していた人々のウクライナ帰国。彼らは主にどこに行くのか。その多くがウクライナ中西部だ。決してそこが安全な訳でもないし、人が来た分別の人が出るわけじゃないから環境は日に日に厳しくなる。9月から始まる新学期に向け、スマホもパソコンもない家庭の子どもたちを救済するため、今もパソコンを送ろ続けている。今回は15台。日の丸シールをつけ、ダンボールにパックし終わった時次の25台が届いた。来週はさらに15台が届く。流石に手が回らないので、夏休みでずっと家にいるウクライナの子どもたちに手伝わせることにする。

彼らも避難しているだけじゃなく、ウクライナ支援の主体として育てていきたい。

8月12日

・ウクライナの子が自分自身のために作ったブレスレット。いつ帰国するか分からないという状況の中で、ポーランドにいる間に私に見せたかったという。ウクライナに帰国してから私のことを忘れないために作ったと幼いながら本当に無垢な気持ちを表現してくれる。

・私の周りには中学生ぐらいの子ども達も多い。彼らを見ていて思うのは、ウクライナが平和で、この5か月も今まで通りの学校生活が送れていたら、友だちと作る青春の思い出、家族そろっての楽しい夏休み、習い事、そして顔が赤くなるような恋愛だってしていたかもしれない。そのどれも、私がいくら頑張っても埋めることはできない。笑っている子どもでも、接しているとだれもが心に傷を抱えている。「つらい経験を乗り越えれば、強い人間になって、将来はしっかり夢をかなえられるから」何度そういう無責任な台詞を子ども達にかけてきたことだろう。小さい大変な経験だったらたくさんした方がいいと思う。でも今子どもたちが突き落とされた環境は経験としてはあまりにも辛すぎる。

8月13日

・ウクライナ西部に届いた日本の玄米粉。こちらは富士吉田市にある不二阿祖山太神宮様より提供を受けたもの。将来的にウクライナでの稲作支援も視野に入れて少しづつ準備を進めている。
・長期支援を考えた時、支援金が減っていく中、お金ではなく支援物資の提供を受け、それをウクライナの必要な場所に送るというのもしっかりと考え活動を進めて行きたいと思う。

8月14日

・ウクライナ支援を続けていてよかったと思う機会は数多いが、中でものは支援によって助けられた命があるという報告が来た時は感無量である。今回の報告はハルキウから。そこにいたサーシャ君のお父さんがロシア軍によって狙撃されるという事案が発生。すぐに近くにあった車に運び込まれた。そこに常備してあった医療キットによって、彼のお父さんは一命を取り留めたとのこと。この医療キットは先月ポーランドで購入した60万円分の支援物資の1つで、友人を通してハルキウに届けてあった。これを伝えてほしいとサーシャ君から2人を経由し最終的にポーランド語で私に報告が来た。

・明日生きるか死ぬかの環境から、通信手段もそう簡単に使えないような環境から、報告することさえリスクが伴う。
・これはおそらく、サーシャ君のお父さんの命を救っただけではなく、サーシャ君や彼の家族にとってもお父さんが生き延びてくれたことは大きいに違いない。
・日本の皆さんからいただいた支援金で確実に人々が救われていること。それをこの場を借りて感謝とともに報告したい。

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