坂本龍太朗のワルシャワ通信(8月31日〜9月6日)

8月31日

ウクライナ侵略188日目。今日で8月が終わる。この6ヶ月、帰国はおろかポーランド国内の旅行にも行かなかった。バカンスも全くなかった夏休みも今日で終わる。それはつまり、明日からウクライナでも新学期が始まるということだ。

この新学期を目指し、ウクライナには200台を超えるパソコンを搬入。写真は最後に届いた9台のパソコンだ。リヴィウにいる友人から受け取ったという報告と共に、素敵な笑顔が私の疲れを吹き飛ばす。

・ここからは、本格的な冬に向けた支援が始まる。冬のエネルギー不足で欧州が疲弊し、ウクライナ疲れを起こし支援が細くなる。それによってロシアに有利な状況を作り出そうというのがプーチン政権の戦略だろう。こうなると2つの意味で支援を続けていく必要性を感じる。まず第1にウクライナの人々を救うこと。そして第2に、プーチンに欧州からの支援が止まらないことを示すこと。冬、困るのはロシア軍であるべきで、ウクライナの人々でも欧州にいる我々であってよいはずがない。

ウクライナ侵略ではロシアの目論見はことごとく外れてきた。ウクライナから撤退するまで、この目論見を外し続けることがウクライナだけではなく今後の世界において自由と民主主義、そして平和を守ることに繋がる。

9月1日

・ウクライナからアルバムをいただいた。とても美しい景色ばかりで、平和な光景が広がっている。ここにある景色の中にはすでにアルバムでしか見られないものもあると思うと憤りしか感じない。
・ただポーランドは歴史上何度もロシアと戦い、その度に多くの人命が失われ、街が破壊されてきた。第二次世界大戦でのワルシャワ蜂起ではドイツによって計画的に首都は破壊された。しかし、ドイツもロシアもポーランド人の誇りは破壊できなかった。だから今、私たちは生まれ変わったワルシャワの都市を目にすることができる。だから、ウクライナの人々には伝えたい。インフラが破壊されても、街が破壊されても、決してあなたたちの夢や希望、誇りを破壊させてはならない。

ポーランドのアルバムには、よく戦前と戦後の写真を比較したものがある。ウクライナもそうなってしまうだろう。今後も支援を続けることで、私はロシアのウクライナ侵略という野望を破壊したくてたまらない。

9月2日

・フェリシモこども基金より210万円の拠出をいただき、大量の医療物資をウクライナに搬入できます。支援の先細りが心配な中、ウクライナに対する大きな支援が実施できることに感動しております。
・すでに1部の医療物資は私の自宅に届いておりますが、やはり品薄が続いているので手配では直接販売元と電話などで話すこともあります。今回もいくつかの会社からかき集めています。

・本日の電話ではウクライナ支援のために早急に必要だと伝えると、社長のご好意で追加で医療物資を入れるので、ルートがない彼らに変わって私に搬入をお願いしたいとのこと。善意の輪が広がっていきます。
・医療物資はウクライナで常に足りておらず、すぐに各所に送りますが、それは今入れれば入れただけ救われる人命が増えるということです。あとで救いたいと思っても、命は1度失われたら戻ってきません。だから今しかないんです。

9月3日

・ウクライナで新学期が始まった。今まで送ってきた200台以上のパソコンが子どもたちを支えている。ウクライナの学校によっては一部を対面にし(地下壕に入れる人数だけ)、それ以外をオンライン授業にするというハイブリッド授業が行われている学校が多い。
・もちろん、今日までに2300校が攻撃を受け、286校がロシア軍によって完全に破壊されている。そういった場所では授業どころではないので、ハイブリッド授業ができるだけまだ幸せなのかもしれない。

・完全に対面に戻れないことはもちろん分かっていたし、大変なことではある。一方でポーランドで避難しているウクライナの子どもたちはハイブリッド授業がゆえにパソコンを使って教育を受けることができている。
・子どもたちの家や学校は破壊できても、心や彼らが幸せになり、夢を叶えたりする権利までは決して破壊させてはならない。がんばれ!私たちは常に君たちと共にある。

写真はリヴィウの第93高校

9月4日

・先日購入した物資搬入用車両に車用マグネット国旗をつけました。過去の支援で車両を購入してきたのは私ですが、全て所有・管理は私ではなく実際に物資搬入、民間人避難などで運転しているウクライナの人々にしています。ウクライナで活躍しているNISSANは登録国もウクライナに変更済みです。

・湾岸戦争で他の西側諸国と比べると日本はお金だけ出し汗はかかなかったとされ、「show the flag」と言われました。今回のウクライナ支援で、世界にそんなことは言わせたくない。そのため日の丸を掲げた車両が今後ポーランドとウクライナ間を往復し、順次必要物資を届けます。これは日本のためでもありますが、それ以上に日本はウクライナを見捨てないということをウクライナのみなさんに知ってもらうこと、そして支援疲れが叫ばれるポーランドで、日本はまだまだ支援を続けていけるのだから共に頑張ろうと示すためでもあります。

9月5日

・ウクライナからプレゼントとしてトレーナーをもらった。ここ最近は日中の最高気温が22、23度で、朝晩はそれなりに冷え込む。今後はさらに寒くなっていくのでこのトレーナーを使わせてもらうこととする。
・袖を通して気がついた。ウクライナ支援が始まった時は極寒の冬でよくトレーナーを来ていた。これからまたあの季節が始まるのか。でも次の冬はもう手探り支援ではない。たくさんの繋がり、信頼、協力、友情というこの6ヶ月で作り上げた土台の上の支援となる。

・世の中には隣国の人が苦しんでいても幸せでいられる人がいる。無関心というより、遠くて実感が湧かないし、それより自分の身の回りのことの方が大事だからだ。私だって、九州の豪雨より、地元長野の洪水の方がずっと気になる。立場や場所によって問題の捉え方は全く異なるのだ。
・ポーランドでは避難民が帰国したり自立したりしていくことで、問題意識を持つ人が減っていく。それは戦前の日常を取り戻すということでもある。私もそんなポーランドにいる。しかし、戦前の生活に戻るには、この6ヶ月でできた繋がりはあまりにも太く、広く、そして強すぎる。もう、運命共同体なのだろう。彼らが平和にならないと、私の心にも決して平和は訪れない。

・今日はポーランドに住むロシア人の友人と会って話した。彼女はマリウポリに近いロシアの街タガンログ出身だ。ポーランドから1度だけリヴィウに物資を運ぶ支援をしたとのこと。ウクライナ支援をしているのでロシアに帰国することは危険が伴うという。彼女は戦前にポーランド国籍も取ったが、今来たロシア人にはポーランド国籍はなかなか付与されないとのこと。私は別にロシアに行かなくても生きていけるけど、彼女のように家族がいる国に帰国できないのは辛いだろう。そもそも今は帰国どころか行き来できないが。

しかし、残念ながらロシアの友人たちにはそういった痛みを伴って戦争を終わらせてもらうしかない。私もある程度、その痛みだけ共有しつつ、それと比べられないウクライナの痛みに寄り添うことを最優先に考える。

9月6日

・子どもたちの教育環境作り支援は8月末である程度落ち着き、今月は医療物資支援と冬に向けた生き残り支援に重点を移している。
この物資はウクライナの山岳地帯で閉鎖されていたバンガローなどがある施設に避難している多くのウクライナの方々を支えるもの。ガスや電気が不足する中、石炭があっても輸送の問題のみならず費用の高騰も大きな問題だ。

・そのため、今年の冬は薪がなければ多くの方が凍え死んでしまう。せっかくウクライナ西部に避難してきても、そこでロシア軍の攻撃以外で亡くなるというような今年の2月末にあったような悲劇は繰り返したくない。人手はある。男性もいる。ただ、いくら人手がいても枝を折るくらいならできても、素手で薪を作るのは難しい。そこに斧などこの写真にあるようなものを送ることで、一気に冬の備えができるようになる。

・正直、こんなものが必要不可欠な支援物資になるとは思っていなかった。この半年、常に心がけてきたことはこちらが必要だろうと勝手に判断して送るのではなく、確実にウクライナからのニーズに寄り添った支援をすること。お金にも限界がある。だからこそ、決して無駄な支援はしたくない。

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