季語でつなぐ日々

第8号/処暑、秋日和、芙蓉

投稿日:2017年8月23日 更新日:

処暑

山を見ていちにち処暑の机かな  西山 誠
 
 処暑は暑さがおさまるという意味の二十四節気で、今年は8月23日が処暑に当たります。

 まだ残暑が厳しい頃ですが、朝夕に吹く風が肌にさらっと感じられるようになってきました。

 この句は、窓辺に机が置かれてあって、その机で本を読んだり、書きものをしているのでしょう。ときどき机から目を上げて視線を遠くにやると、そこに山が見えるのです。山の形は変わりませんが、太陽の動きによって山の陰が変わり、表情が違って見えますから、見飽きなかったと思います。そうしてふと気づくと夕方になっていたのです。きっと仕事がはかどった一日だったのでしょう。けれども、それを言葉に出してはいません。暑さが遠のく処暑だから充実した日だったとは言わず、「机かな」とだけ言って、それらのすべてを想像させました。

 この句は「山」が最も相応しいですが、他の場所でも言えそうです。街を見て、川を見て、森を見て、などとそれぞれの風景に置き換えて鑑賞することもできます。

秋日和

鉄棒の子の台となる秋日和  田子 慕古

 秋の日の明るい公園、子どもが鉄棒で逆上がりの練習をしています。休日のお父さんが付いてきて横でコツを教えているのでしょう。

 逆上がりは鉄棒に上半身を近づけ、足で地面を蹴って、真っ逆さまになれば、あとは身体が自然に回転します。でもなかなか難しいですね。

 腕が伸びてしまうと上体が鉄棒から離れてしまうので、回れないのです。それを見かねたお父さんが、鉄棒の下に四つん這いになって、子どもの身体がお父さんの背に載るようにしました。その様子を「台」で表しています。人間が「台」という物に成りきっていると想像できて面白いです。

 きっとこの子どもは感覚を掴んで、逆上がりができるようになったのでしょう。

 夏休みが終わるこの時期、何か手伝ってやりたいと思っている優しいお父さんのことを、子どもはずっと忘れないでいることでしょう。

芙蓉

一生を宝とおもふ花芙蓉  東野 礼子

 淡いピンクや白い芙蓉が咲く頃になりました。大きくピンと張った緑の葉の間に、直径10センチ以上もある大きな花びらを開く芙蓉は、華やかで上品です。なかでも八重の芙蓉は豊艶な女性のイメージで、母性も感じさせます。

 朝咲いて夕方にはしぼむ一日花ですが、その間に色が変化する「酔芙蓉」と呼ばれる芙蓉もあります。朝は白くて夕方になると紅に変わのです。「酔」という字がぴったりです。

 この句の芙蓉は紅でしょうか。自分の半生を振り返ってみたとき、特別なことは何も無かったけれど、この世に生を享け、懸命に生きぬいてきた、そのことを大事にしたいと思ったのです。一日を美しく、豊かに咲ききる芙蓉にその感慨が託されました。

 芙蓉の花を宝物のように愛でながら、自分を育て、支えてくれたたくさんの恩愛に感謝しているのです。

藤田直子先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

-季語でつなぐ日々

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

第15号/大雪、鴨鍋、枯蓮

大雪 大雪や束なす朝日畑を射る  菅野 トモ子  大雪は二十四節気の一つで、「たいせつ」と読みます。「おおゆき」と読むと大量の降雪の意味になってしまいます。  今年の大雪は12月7日。山間部だけでなく …

第35号/十月、夜なべ、吾亦紅

十月 窓大き席十月の陽の匂ひ  山田 牧   10月は暑くもなく寒くもなく、湿度も低くて気持ちの良い日が多いですね。この句は大きな窓のそばに座って、十月の日差しを楽しんでいる場面です。9月では残暑が厳 …

第32号/新涼、残暑、桃

新涼 新涼の母国に時計合せけり  有馬 朗人   夏に「涼し」という季語があります。暑さの中でも、朝夕の涼しさや木陰に入ったときの涼しさが嬉しいと感じるときに使われる季語です。  立秋を過ぎてからの涼 …

第27号/六月、箱庭、夏椿

六月 六月の氷菓一盞(いっさん)の別れかな  中村 草田男   六月と言えば梅雨雲に覆われるうっとうしい月だと思われがちですが、暗いことばかりではありません。雨に洗われた青葉を窓ガラス越しに眺め、雨音 …

第30号/夜の秋、夏座敷、百日紅

夜の秋 夜の秋の平家におよぶ話かな  大峯 あきら  「夜の秋」は「秋」と付いていますが、夏の夜のことです。7月も終わりぐらいになると、暑さの中にふと秋の気配を感じることがあります。それを俗に「土用半 …