人のいとなみ・自然のいとなみ

第26号/四万六千日、風鈴、合歓の花

投稿日:2020年7月21日 更新日:

文/石地 まゆみ

四万六千日

四万六千日我に一重の瞼かな  篠塚 雅世

 7月10日は、観音様の結縁日。この日にお参りすると、四万六千日(しまんろくせんにち)参詣したのと同じ功徳(利益)があるといわれ、浅草の観音様の境内では「鬼灯市」も開かれて、夏の風物詩として「朝顔市」とともに大勢の人でにぎわいます。

 観世音菩薩の縁日は毎月18日なのですが、室町時代以降にこの日以外に「この日に参詣すると、四百日分、この日には千日分」とされる「欲日(よくび)」「功徳日」と呼ばれる縁日が、毎月のように加えられました。一日でそれだけお参りしたことになるとは、本当に「欲日」とはよく言ったものです。
 最初は「千日」がもっとも多く、「千日詣で」と呼び、京都清水寺、大阪天王寺でも「千日参り」と呼ばれます。浅草ももとは千日だったそうですが、江戸中期、享保年間には四万六千日になったようです。「欲」は切りがない、ということでしょうか、126年分なのですから。でも、名古屋には「九万九千日」という観音様があるそうですから、さらに上を行っていますね。

撮影/石地 まゆみ

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浅草寺の四万六千日・ほおずき市。三角の雷除け守りが授与される。

 浅草の「鬼灯市」は、青くて小さい実がたくさんなる「千成り鬼灯」が子どもの虫封じ、女性の癪に効く薬用になると主流だったようですが、今は、実が赤く鑑賞用の「丹波鬼灯」が主で、風鈴が付けられた鉢仕立てを売る店がずらりと並びます。さらに江戸時代には、もっぱら赤いトウモロコシを雷除けといって商っていたそう。赤トウモロコシは、天井に挟むと雷を免れる呪いになる、と、『守貞満稿(もりさだまんこう)』(江戸後期の風俗誌)にも説明されています。今も、三角形の独特な雷除守が売られています。
 そして、この鬼灯市は、港区芝の愛宕神社で行われていた千日参りの市の方が古くて、浅草の方は江戸時代の記録には出ていないのだとか。もともと10日だったご縁日、少しでも早く、一番乗りをしたいと、前日の9日から人が集まるようになって、現在のように9日10日に行われるように。江戸っ子の気質でしょうか。

 筆者も、毎年ではないものの、四万六千日には何回もお参りをしています。もう、千年分の功徳は越えているでしょうか。今は「功徳」を考えるよりも、鬼灯市やさまざまな屋台が目当てで、楽しみのために行く人が多いでしょう。境内を埋め尽くすような鉢植えの鬼灯の緑の葉、涼やかな風鈴の音、呼び込みの衆…。本格的に暑くなるこの頃、そんな涼景を求めて、人々が集まるのです。
 作者はそんな境内を、どこから眺めているのでしょうか。お参りを済ませ、黄昏が迫る本堂の磴から、境内の灯のきらめきや浴衣の人々の賑わいを眺めているように思えます。涼しげでいて、暑苦しい風景。その景を見ていて、少し疲れが出たのか、瞼が重くなってきたように感じました。ああ、私は一重まぶただ、私の瞼の重さ、眠たさは、一重だからかもしれない。一重の私にも、二重瞼の人にも、変わらぬ功徳があるだろうか…。
 夕闇の中、帰路につきます。作者の中に、日本の仏像が一重まぶただ、という意識があったのかどうか解りませんが、観音と作者の一重まぶたが、重なって見えてきます。
 ちなみに、平安時代は切れ長の目、一重まぶたが、美人の理想、観音も、それにならって作られたのでしょうか。

   四万六千日こんぺいとう零す  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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鬼灯の緑の葉、赤い色は、夏の風物詩。思わず買ってしまうが、あまりに店が多くて、どこで買ったらいいのやら。

こちらは近年になって、六本木の神社で始められたほおずき市。お盆に飾るようにと、宮崎県日之影町から送られてくる。ビルの谷間の小さな神社。

風鈴

気に入りの音指してかふ江戸風鈴  佐野 聰

 涼しさを感じる風鈴の音色。「耳」によって風の道が見えるようで、音だけで暑さをやわらげてくれる、見事な夏の演出です。が、最近は「騒音」と捉える向きもあって、少々、さみしい気がします。

 中国唐の時代。王が竹林の東西南北に青銅の鐘のようなものを吊り下げ、風の向きや音で吉兆を占う道具、「占風鐸(せんぷうたく)」というものがありました。
 それが仏教とともに日本に伝わります。その頃の日本では、強風は邪気や流行病を運んでくるもの、と考えられていましたから、ガランガラン、と重い音を出す風鐸はそれを祓ってくれるもの、と捉えられて、魔除けとして定着していきます。よく寺院の堂や塔に下げられている、風鐸、あれがその名残なのです。今の南部風鈴のようなものをイメージすればいいでしょう。風鈴が占いから来ていたとは、驚きです。

撮影/石地 まゆみ

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とりどりの風鈴。寺社では、風鈴祭り、風鈴市が開かれるところも。夏空に、ガラスと音が涼し気。

 平安時代に、貴族が好んで吊るし、その頃から「風鈴」という名前が使われ始めたようです。そして江戸時代、ガラス文化が入ってきて、よくみるガラスの風鈴が作られるようになりました。ガラスに金魚や朝顔、花火など、夏らしい絵が描かれた風鈴。ビードロ風鈴とも江戸風鈴とも呼ばれます。ガラスを打つ軽やかな、ちりんちりんと鳴る音が、涼しさを運んできます。

 江戸風鈴のあのかそけくて揺らぎのある美しい音色は、切り口をギザギザにしてあるからだといいます。ガラスの厚み、切り口の違い、下げられている舌(ぜつ=短冊)の差、それらが、少しずつ違った音を奏でます。
 作者は、愛らしく涼しげに描かれた絵ではなく、その一つひとつの微妙な「音」の違いに耳を澄ませます。自分の一番、やすらぐ音を買いたい。「絵」ではなく、指差して買ったお気に入りの「音」は、ひと夏、作者の耳を楽しませたでしょう。

   南部風鈴ちりとも鳴らず遠き恋  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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銀座で数年前に偶然、風鈴売りに出逢った。江戸時代中期に登場した風鈴売りも、今はめったにお目にかかれない。

合歓の花

つぎの世の空とも合歓の花の空  三田 きえ子

 合歓の花、というと芭蕉の「象潟(きさかた)や雨に西施(せいし)がねぶの花」(「おくのほそ道」)の句がまず思い出されます。雨に濡れた合歓の花に、中国の美女・西施がもの思わしげに目を伏せている姿を重ねて詠みました。「ねむ・ねぶ」は、細かい葉が夕方には「就眠運動」といって閉じる現象を「眠る」として名付けられたもの。
 芭蕉は「松島は笑ふが如く、象潟はうらむが如し」と書き、「寂しさに悲しみを加へて」と、日本海側の象潟に「陰」や「憂い」を感じ取っています。夫の呉王が西施を寵愛して政を怠り、国は乱れ滅ぼされた、という話は有名ですが、最後には西施は長江に沈められた、という逸話もあります。芭蕉の句は、豊富な知識に裏打ちされた上での心象に実景が寄り添うので、「西施」ひとつにしても、知識があると無いでは、捉え方が違いますね。

撮影/石地 まゆみ

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細い雨に濡れる、細い毛羽のような合歓の花は風情があって、雨の中、いつまでも見ていたくなる。

 夕暮れに、極細の糸のような雄しべを房状に開く合歓の花。花の根元の白さと、上部の紅色に心惹かれ、それはまるでお化粧用の刷毛のようにも女性の頬のようにも見え、芭蕉の句のように雨に濡れたその風情は、幻想的な景色を作り出します。
 山間の渓流沿いにずっと、合歓の花が咲く景をよく見かけます。どこまで行っても、うす紅の景。合歓の木は痩せ地にも強く根を張り、しかも莢となった豆状の実が川に落ち、運ばれて、どんどん増えてゆくからなのだそうです。新緑の中で出会う、淡い紅色の重なりは、けぶるようで、夢のようで。ふわりと開いた、やさしさと哀しさをひっくるめたような花も、太陽が出るころにはしぼむ、一日花です。明日には姿を変える合歓の花に、「つぎの世の空」を思ったのは、すべてを飲み込むような夕闇に咲く合歓のはかなさと、色の華やかさと、どちらをも恋う心情なのでしょう。

   大合歓の己尽くして咲きにけり  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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かなりの大木になる合歓。「合歓が咲いたら小豆を蒔く」という地方もあり、農作業の指針ともなる。宮崎、米良地方では、棚田の田植えが終わっていた。

第27号/鵜飼に続く)
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