坂本龍太朗のワルシャワ通信(9月7日〜9月12日)

9月7日

ウクライナから特注のジンジャークッキーをいただいた。これは流石に食べられないから、今までいただいたウォッカなどと共に飾っておく。
次のウクライナへの支援物資搬入は今週末。よく仕事をしながら支援をする時間がありますねと言われる。私はお酒も飲まないしタバコも吸わない。ゲームもしなければマンガやアニメも見ない。ここ6ヶ月はろくに本も読めていないし、書道や和太鼓にもほとんど触れていない。そういった時間は全て支援に当てている。しかし、いつか平和になったら今回いただいたジンジャークッキーを食べようと思う。もちろんウクライナの友人たちと。その時は普段飲まないアルコールにも手をつけたくなるかもしれない。

次のウクライナへの人道物資搬入は今週末に迫る。

9月8日

・医療物資支援第一弾 33セット
・~ファシリモ こども基金企画~
・今月はファシリモ こども基金の支援を得て、医療物資を大量にウクライナに搬入します。医療物資は季節や老若男女問わず常にウクライナで必要とされています。第一弾は33セット。

・先日は民間人避難で前線から離れる際、道を間違えたことで誤ってロシア軍占領地に入ってしまった車両が攻撃を受け、残念ながら犠牲者が出てしまいました。そんな時、車にひとつでも医療セットがあれば、救えるかもしれない命があります。
・本当は子供たちの心のケアをしたい。でも今はまだ、より多くの命を救うことが最優先です。命が失われればそれだけ、将来心のケアを必要とする人が増えます。より命を救うことが出来れば、将来心のケアをする人もより増えることにもなります。

9月9日

・198日目。ウクライナ軍による領土奪還作戦が本格化している。それは、今までロシア軍によって占領されていたふるさとから避難してきた人々を勇気づける。戦争が始まってから、戦争に関するグッツがたくさん作られている。コップ、シャツ、トレーナー、そして今回いただいたのはお菓子。「ウクライナに栄光あれ」「英雄に栄光を」と書かれている。

9月10日

・医療物資支援第二弾(8セット) 、第三段(20セット)
・~ファシリモ こども基金企画~
・命をひとつ救うということは、その命によって支えてえている、繋がっている家族や親戚を救うことになる。今、私の周りにいるウクライナのみなさんを遺族にしたくない。さらには救われた命はウクライナ復興の力にもなる。

・たとえ、その命がロシア兵であっても、救うことでロシアによって捕まっているウクライナのお父さんたちと交換できる。
・本来ならばこんな医療セットいらないよよと言われるぐらい平和なウクライナであってほしい。しかし現実は、いくらあっても足りるなんていうことはない。

9月11日

・今日ウクライナに搬入した様々な物資の中で中心を占めたのは医療セット。もちろん今回もウクライナの子どもたちに手伝ってもらう。ウクライナの学校からのオンライン授業を受け始めた子どもたち。今までよりは時間がないかもしれないが、頑張って支援を手伝ってくれている。
・この子たちのルートでウクライナに搬入するのは今回が3回目。正直に言うと、この子たちに物資搬入をさせ続ける限り、この子たちは帰国しないんじゃないかと期待する自分がいる。期待なんて言ったら、ウクライナに残してきた家族に申し訳ないが、最近ははっきり周りのウクライナのみんなにはっきりポーランドに残るべきだと言うようになった。

・子どもたちの故郷に向かうバスを物資でいっぱいにし続けさえすれば、この子たちの席はないわけで、その分安全なポーランドにいてくれるんじゃないかと。いつか物資搬入のバスに一緒に乗って帰ってしまうのではないかという心配もある。すぐ帰る。そう言われて7ヶ月が過ぎた。
・いつかは帰国する。だからこそ、この子たちと話す1秒1秒があまりにも重く、押しつぶさそうになる。毎回、別れる度にこれが最後じゃないかと感じてしまう自分がいる。帰国するならせめて平和なウクライナにしなければ大人として無責任だと、無力ながら強く思う。

9月12日

・ここ200日、ずっとやりたくて、ずっとできていなかったことがある。それはウクライナのみなさんに和太鼓を聞いてもらうこと。いいか悪いかはともかく、和太鼓はとにかく人を元気にできる。しかしずっと支援で忙しくて、チャリティーコンサートをする余裕は与えられてこなかった。

・その機会は突然やってきた。国立高圧物理学研究所設立50周年記念式典でのコンサート依頼だ。この施設には現在11人のウクライナ人が避難しており、うち5人は6月に私が頼み込んで研究室をいくつかあけてもらったという経緯がある。自分の家族を受け入れてもらっているような気持ちもあり、もちろん無償でコンサート依頼を受けた。当日、ウクライナからの訪問団もあり、俄然やる気は高まる一方。

・そして、ついにこの日がやってきた。バチを握ったのはいつぶりだろうか。筋トレは続けてきたとはいえ、なまった体力は精神力で補う以外あるまい。コンサートのあと、前席に座っていたウクライナの娘(15歳)からもらった写真がこれだ。リヴィウから避難している2歳半の娘はステージ下でずっと踊っていたらしい。なぜか、私はそれに全く気づかなかった。今回はバチだけではなく、マイクも握り、2曲歌った。ウクライナに捧げるレクイエムとしてである。

いつかウクライナで支援コンサートをしたい。
 ずっとそんな気持ちでいっぱいだった。

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