坂本龍太朗のワルシャワ通信(4月28日〜5月4日)
4月28日
大規模支援のご報告
ロシアによる攻撃が拡大する中、こちらの支援も拡大しています。今週は追加で200万円分の医療物資をウクライナに搬入します。先週と今週の計2回で約620万円分の医療物資支援です。このようなウクライナのニーズに沿った大規模な支援ができるのも日本の皆様からのご支援あってのことです。
この場を借りて、心より御礼申し上げますと共に、引き続きより多くの命を救うためお力添えいただけますようよろしくお願い申し上げます。
・子ども1人を救えれば、その子どもが大きくなりウクライナの復興の力になりますし、将来仕事をすることができれば今回の支援以上の収入を得、それもまたウクライナのためになります。
・攻撃が激しくなる中、今はとにかくどれだけ多くの命を救うことができるかです。インフラは復興できますが、失われた命は戻りません。インフラの復興にも人、つまり命が必要です。
戦争が始まり2ヶ月、今までずっとやってみたかったことを始めました。
・それはウクライナ語の勉強です。今までウクライナのみなさんとはロシア語で話してきましたが、やはりみなさん、東部から来た人たちも戦後ウクライナに戻ったらロシア語ができたとしてもウクライナ語を使いたいと言っています。今後、長い支援を続けていくために、ロシア語は役には立ちますが、やはり彼らのことをしっかり理解するために、彼らの心であるウクライナ語を学ぶ必要があるとはずっと考えてきました。しかし、今までなかなか時間が取れず、一応彼らが話しているウクライナ語もポーランド語とロシア語の知識があればほとんど分かるので後回しにしてきました。
・支援を始めた初日、ウクライナから避難してきた人に対し、侵略国の言語であるロシア語で話すことに大きな抵抗があり、ウクライナ語をすぐに身につけなければという想いがあったのは事実です。しかし結局今日までロシア語でことを済ませてきてしまいました。
・今日、初めてウクライナ語を学びました。教えてくれたのはハルキウから今来ている青年です。私が日本語を30分、彼が私にウクライナ語を30分教えてくれました。今後、支援の合間に少しずつでもウクライナ語を学ぶ時間を作っていこうと思います。
・多くのウクライナ人は今後、ロシア語からある程度距離を置くことで独立心、そして愛国心を育もうとしています。彼らと長く寄り添っていくために、その心に私もできるだけ近づこうと考えています。今回、戦争がすぐに終わり、ウクライナ支援も1か月程度で終わっていたら、こんな決断には至らなかったと思います。気づいたら2ヶ月以上となっているのが現状です。当初、こんな長丁場になるとは全く想定しておりませんでしたが、今は数年単位で支援を続けていくことを覚悟しています。
・ポーランドにいた頃に少しお手伝いをしたウクライナの家族が無事に来日しました。まずはほっとしましたが、正直に申し上げるとそれ以上に日本の生活を今後彼らがどう送っていくのか、心配な気持ちの方が強いです。
・ポーランドで周りにいる方は私でもすぐに支援ができますが、来日した避難民のみなさんは物理的にとても遠い。その事実が必要以上に私の心配を掻き立ててしまいます。
4月29日
避難で来日予定のウクライナの皆さんと在ポーランド日本国大使館に来ております。こちらは枝垂桜が満開です。
・大使館には私たちのグループ以外にもたくさんのウクライナの皆さんがいらっしゃいました。新潟に行く母と娘、千葉に行く親子など。できるだけ多くの皆さんと話し、書類記入において通訳なども行いました。記入するアンケートは英語で、英語が分からないウクライナ人にとっては大変です。そこでもやはり通訳が必要なんですが、1つ1つ訳していくのは面倒なので分かる範囲で私が記入してしまった方が楽でした。
・中にはキエフから避難してきた3歳のマルガリータちゃんがいました。彼女はパスポートを持っておらず、大使館にて渡航証明書(写真)を発行してもらいました。みなさん、日本に行けることの安心感と同時に、祖国ウクライナでの戦争が今でも続き、そこに家族を残してきていることに対する不安を口になさっていました。
・在ポーランド大使館ではこのような質問票を記入する必要があります。こちらはウクライナ語訳が着いており、簡単です。
・来日する場合、身元保証人としての家族や知り合い、受け入れ個人がいる場所、基本的に国からの支援は受けられませんし、飛行機のチケットも自己資金です。
・ポーランドに入ったウクライナ人はこちらに知り合いがいるかいないかに関わらず子ども手当がもらえ鉄道も無料など様々な支援があることを考えると良い悪いは置いておいてこの差について少し考えてしまう。
・大使館で出会った日本に行くことを決めたウクライナのみなさん。できればそこで通訳などで一日中助けたいし、日本に行っても私はここポーランドでウクライナ支援を続けるから安心してほしいと全員に伝えたい。しかしそんなこと出来る訳ではないのでとりあえず出会ったみなさんとだけ話し、名刺を渡しウクライナに戻る際ポーランドを経由するなら支援できるから連絡するようにと伝えた。
・これも駅伝。ポーランドではポーランドが避難民を支援。日本に行ったら日本にその支
4月30日
・テレビなどに出ていて誹謗中傷などありませんかとたまに聞かれるが、正直誹謗中傷を読むほど時間がないので分からないとしか言いようがない。昔はテレビ番組のYoutube動画のコメントに色々と誹謗中傷があったが、最近はそんなコメントにも全く目を通せていない。逆に、コメントの99%は応援メッセージなので返信できていないことに対し、申し訳なさを感じる。
・先ほど、久しぶりに迷惑メールをチェックしたらモスクワ在住のオリガルヒを名乗るヴァジムという人からのメッセージが入っていた。もちろん笑い飛ばして終わり。平時なら興味本位で返信したいところだが。
・内容は現在ウクライナで起きている戦争で制裁リストに入っているので、イギリスにある資産を移したいので手伝ってほしいとのこと。「戦争」と書いてある時点で、まずアウト。モスクワからメールを送るなら。せめて「特別軍事行動」と書かなくちゃ、逮捕されるよ?
・ロシアによるウクライナ侵略2ヶ月が過ぎ、それなりに落ち着きを取り戻しているのかと思いきや。まだまだ大勢のウクライナのみなさんがいる。流石にホームや駅構内で寝ている方はいらっしゃらなかったが、チケット売り場前には長い列。
・温かい食べものが提供され、医療支援やSIMカード配布などが引き続き行われている。ウクライナのみなさんは一部を除き電車のチケットは無料だが、そのチケットを取るためにはチケット売り場に並ばなければならない。私たちはスマホで決済し、車内でQRコードを見せれば済む話だが、無料とはいえ電車の席の数は限られているわけで、チケット入手はそんなに簡単ではない。
5月1日
久しぶりの顔出し写真の投稿です。
・今回家に来た母子、実はウクライナ人ではありません。2人ともイスラエル住んでいるユダヤ人で、お母さんはもうイスラエル在住14年間になりますが、生まれも育ちもベラルーシです。この母子、実は2週間前にも家に泊まっていったんですが、現在ベラルーシはロシアに協力しているため、近い友人たちにさえ、誰にも伝えていませんでした。ウクライナの皆さんにベラルーシ出身者を泊めるということ、怖くて言えない心境だったからです。彼女はロシア語を話し、実際にポーランドでは白い目で見られています。
・彼女の実家はベラルーシのモズリというウクライナ国境まで30キロの街で、ロシア軍がキエフ侵攻の拠点としていた場所です。ロシア軍がウクライナの民家などから盗んだ物資を送る拠点にもなったことでニュースになりました。私は2002年にこの街を訪れており、今回彼女と再会したのは実に20年振りです。
・彼女はベラルーシに家族や親戚もおり、国が国ですからこちら詳細を書くことは控えますが、彼女もある意味今回の戦争の被害者です。実は彼女の妹もポーランドに来ていたのですが当時は家にウクライナからの家族が住んでいたので部屋を提供できませんでした。妹の方は何度も会っているため関係が近く、彼女も・イスラエルに住んでいます。
・今回、この母子が来たのはこの戦争始まってから2度目で、1回目よりもベラルーシ憎しの空気は弱まっています。それはもちろん、ロシア軍がキエフ近郊から撤退し、ベラルーシが協力しているというニュースが減っただけではなく、マリウポルなどウクライナ東南部が注目されるようになったためです。
5月2日
・今回はウクライナから2家族、そして日本人やポーランド人の友だちも呼んで自宅にてバーベキュー。ゆっくり話したり、キャッチボールをしたりしてゆっくり過ごした。
・ハリキウから来ている家族は、平和な頃は毎週末のように家でBBQをしていて、その時に作っていたというラップをこちらポーランドでも再現してくれた。もう2か月以上もBBQをやっていなかったそうで、煙の香りで平和だったころを思い出したそう。今はもう家は破壊されてしまったが、そこに残してきた家族のアルバムが心残りだと言っていた。それぞれの家族にはそれぞれの家族にとってかけがえのない思い出の品がある。私ももし逃げることになったら、家族のアルバムは持って行きたい。
5月3日
・大使館に備え付けられている日本へのビザ申請書です。こちら、英語ですが英語が分からないウクライナの方は結構多いです。そのためウクライナ語で説明が書かれています。そのため、全く英語が分からなくても申請書の記入ができます。ただ、ビザ取得には証明写真などが必要で、そのような情報を知らずに大使館を訪問するウクライナの方もいます。
・ウクライナの現状ですが、ここ数日は食べ物が足りていません。西部は国内避難民の増加で食料供給が追いついていません。仕事もなく、人道支援に頼らざるを得ない人が多くいます。東部、例えばハルキウではインフラなどが破壊されており、スーパーなども開いていません。お金があってもそのお金だけでは空腹は満たされません。そのため現在でも残っている人々は郵便局で配給を得ていますが、郵便局の住所は公表できないことになっています。というのも先日、食料配給に並んでいた列にミサイルが打ち込まれ6名が亡くなりました。
・振り返らず、日本からの支えを糧にウクライナの方に目を向け続けようとずっと考えてきた。ただ、ポーランドから東にあるウクライナに目を向けるということは同時にその先にある日本にも意識が行く。
・みなさんからのご支援、本当にありがとうございます。ウクライナの皆さんからの感謝、日々いただいております。
5月4日
・ポーランドはゴールデンウィークです。天気にも恵まれました。ハルキウから来ている家族、そしてこの家族と繋いでくれた青木春奈ちゃんです。彼女は日本から来ていたテレビのコーディネーターとして国境にいた際に、ウクライナ軍に入隊するため帰国した男性(左)に会い、そこからこの関係が始まりました。彼はリヴィウでも、そしてハルキウでも入隊を断られポーランドに父親以外の家族と来ています。
・今、ウクライナ人は残念ながら家族を引き裂かれ、家を追われ、世界中に散らばってしまいました。避難生活が長くなればなるほど、将来的に帰国せず、現在の受入れ国に留まる人の割合が増えるでしょう。時間が経てば経つほど、インフラの破壊も、家屋の破壊も、不発弾の数も増え続け、祖国ウクライナより帰国しにくい土地に変えていきます。
・それでも、やはり家族がいる、ふるさとに戦勝後に帰国する人は多いと思われます。彼らはそれぞれの国で、それぞれの文化や風習を学び、ウクライナに帰国するでしょう。例えばポーランドにいるウクライナのみなさんはポーランドの分別方法を学んでいます。子供たちは学校生活を学び、私の家でポーランド式のBBQまで学びます。外国での学びはいずれ人を通しウクライナに吸収されます。留学とは違い、外国で家庭に入り、そこの文化や風習をある意味強制的に学ばされているウクライナ人たち。大変ですがこの経験が将来、ウクライナ復興の力になることを願ってやみません。