坂本龍太朗のワルシャワ通信(4月21日〜4月27日)

4月21日

ピロシキーズのお二人と共演させていただく機会をいただきました。ポーランドでの支援の現状にロシア出身のお二人が関心を持っていただけること、大変有難いことです。ぜひご覧下さい。

4月22日

・今日は久しぶりに郡役場で今後のウクライナ支援会議、その後支援で国立高圧物理学研究所や薬局へ。研究所には日本の桜がある。何度もここには来ているけど、今日気づいたらもう咲終わりに入っていて花びらが結構地面に落ちている。咲盛りの頃、なんで気づかなかったんだろう。多分桜に目を配る余裕がなかったのか、本当に一気に咲いて一気に散ったのか。数日前からワルシャワでアパートを探している。1か月前、一日だけあったウクライナ家族から突然支援要請が来たためだ。

・1度会っただけの私に連絡が来るということは、恐らく今まで結構な苦労をしてきて、最後に「あと頼れるのは、多分頼りないけど昔会った日本人」ということなのだと思う。
・やはり、ここでもポーランド語が壁になっていた。SNSでやり取りをして支援中。ただ、電話で話しても、顔が見えないとどうしても相手の心が読めないので余計に心配になる。今日会って話した人達のこともすごく心配だが、私が会えない人の問題にはより緊急性を感じる。しかしやり取りできるだけましなのかもしれない。ウクライナ国内にはもっと大変な人達がいる。

4月23日

・残酷な話をします。

・多くの方から、ロシアに包囲されているマリウポリの一般市民を何とかして救えないのかという質問を受けます。何かできることはないのか。その答えを探し続けてきましたが、できることは1つだけしか現時点では考えられません。それは「マリウポリの悲劇を忘れない」ということです。このままでは銃弾でなくとも、マリウポリの子ども達はみな餓死してしまいます。私自身、そこに食料を届ける術がありません。

・軍事大国アメリカがマリウポリの市民1人さえ救いだすことができない事実。ロシア軍がテレビゲームのように市民を、そしてインフラを破壊し、まるで畑に種を植えるように多くの民間人の遺体を勝手に運び、近隣の街に埋めています。その数はすでに3000近いとも言われており、ブチャの数倍の悲劇が起きていると思われます。
・彼らは今、完全にマリウポリが制圧されると分かっていて戦っています。降伏しない理由は、一日でも長く持ちこたえることで他の地域を守っているウクライナ兵に勇気を与え、一日でもそこにいる民間人の命が長く存在することを願っているからです。

・もし私が、またはあなたがマリウポリの一般市民で、戦争が始まり家族と共に製鉄所に避難せざるを得ず、今の状況に陥ったらどうするかを考えてみたいと思います。
・私だったら、私の子ども達が一秒でも長くこの世に存在し続けるため、そして逃げられる希望が少しでもあるならと期待し、銃を取ると思います。銃を取らなければ、ロシア兵は簡単に製鉄所を制圧し、すぐに皆殺しにされてしまうでしょう。
・どうせ殺されるなら、一秒でも長く家族の命をつなげたい。守るためには戦わなければならない時がある。平和な日本だからこそ、こういった戦争の現実を考える余裕があるんです。

・大規模支援のご報告
・しばらく支援物資購入の写真などあげていませんでしたが、その間は薬や食料など小さな購入ばかりで、それ以外はとにかく日本からお金を少しでも多くこちらに移す作業に注力しておりました。今回の大規模支援を行うためです。
・ウクライナ支援をしているベルギー出身の友人オスファルド。彼が今朝2時、6回目となる物資輸送でウクライナに向かいました。朝早いのは国境での渋滞をできるだけ避けるためです。彼が運び込む支援物資購入のため皆さんからいただいた支援金のうち420万円を使って医療物資を大量に購入しました。具体的な物資名をいくつか記載します。

・腹部用包帯・治療用粉末・胸腔減圧用脱気針・気管チューブ
・圧縮バンド・蘇生器具・メス 他

・現在、ウクライナでは医者がいても医療物資がないため救える命も救えないという状況が至る所で起きています。人が傷つくのは一瞬です。銃弾一発で人は死にます。ミサイル1つで多くの命が一瞬で消えます。殺すのはいかに簡単なのか。ロシア軍は相手を見ずとも遠くからミサイルを撃ち込んで人を殺せます。
・一方私たち救う方はボタン1つで、引き金1つで、一瞬で人を救うことはできません。医者が必要です。安全な場所も医療物資も、そして完全に治すためには時間がかかりますし、命を取り留めても障害が残る人も多く出てきてしまいます。医者に医療物資を運ぶ人が必要です。今回それは友人オスファルドです。その医療物資を買うお金が必要です。そのお金、今回は420万円を日本の支援より支出しました。これで何人の命がつながるのかは分かりませんが、一人でも多くの命を未来につなぐため支援し続けるしかありません。

・ただ、現在東部戦線の戦いが激化しており、今後少なくとも2週間はとにかくウクライナ国内での命をできるだけ多く救うために活動して参ります。

・ちなみに昨日からポーランドの小学校はどこも外部の方が入れなくなりました。政府からの通達で、テロの危険があるからとのことです。ウクライナ支援最前線にいるポーランドがウクライナと敵対している国によってテロの標的になる。そうなるだろうことは初めから分かっていたことですが。

・Slava Ukraini!

4月24日

・親しいウクライナの友人が(恐らく)ノロウイルスにかかってしまったので薬局で薬を買ったりスーパーで食料を買ったり。彼女は夫や両親、親戚と一緒に避難しているわけではないので、苦しみながらも幼い娘の面倒を見なきゃいけない。
・今まで会った中には4人の子どもと共に避難してきているお母さんもいる。子どもの世話だけでも大変なのに、風邪を引いたらもっと大変だし、言葉の問題、金銭的な問題、車がなければ交通の問題などがさらに追い打ちをかける。すでにウクライナには100万人を超える方が帰国しているが、正直、その気持ちも十分理解出来る。しかし、大変でも命の危険がないポーランドにいてほしいというのが私の願いだし、帰国したいという方には毎回帰らないように説得している。そう周りのみなさんに言うからには、しっかりその言葉に見合うだけの支援をしていかなければ無責任だと思う。

・今日はオデーサがミサイル攻撃を受け複数の死傷者が出た。ロシア軍はボタンひとつで遠くからミサイルを飛ばし、亡くなる人の顔さえ見ない。正直、オデーサにはまだロシアが進軍していないから、自軍の巻き添えを心配せずに化学兵器などが使われる可能性もある。私が出会ったオデーサからの避難民。彼らのお父さんやお兄さん、息子たち、どうか無事でいてくれ。。。

・こちらで重さ10キロの防弾チョッキ(1着約8万円)を見せてもらったことがある。正直、これはお守り程度だと思った。ミサイル攻撃を受けたら、防弾チョッキなんか気休めにもならない。つまり、防弾チョッキを着るということはお守りを持って前線に行くようなものだ。交通安全のお守りを持っていれば、気持ち的に運転しやすいのと同じ。お守りであっても、ないよりはましといったところか。ただ、ウクライナでは今そのお守りさえ全く足りていない。

ロシア軍は民間人を人の盾として使っているとの報道もある。ロシアにとっては人がお守りなのか。いや、人と思っていないからそんなことができるのだろう。ワルシャワ蜂起でナチスがよくやった手法だ。全くどっちがネオナチなんだか。

4月25日

・約1週間誰もいなかった子供部屋。そろそろ今回の危機に伴い3家族目として受け入れる家族がやってくる。今回は3人とも大人なので急遽部屋の準備を進める。
・今回の家族はハリコフから、数日かけてやってくる。家族の詳細はプライバシー保護の観点から省くが、今回は共通言語が3つ(ポーランド語、英語、ロシア語)ある。ポーランドでは多くの家庭で共通言語がないことで大きな壁が生まれていることを考えると私は恵まれているのかもしれない。

・明日は朝3時起きでワルシャワ中央駅に向かう。彼らは駅で数時間待ってもいいと言っているが、ポーランド側の国境の街から電車で10時間以上かけてやってくるわけで、正直さらに駅で私を待たせたくない。彼らからするとハリコフからワルシャワまで数日かけて来たわけだから、数時間駅で待つなんてどってことないのかもしれない。
・ただ、彼らのためではなく私のために朝迎えに行く。彼らが待っているのに私がゆうゆうと寝ていること。その方がずっと私の精神面、健康面でよくない。

・家のミラベルプラムの花が見頃。庭園の整備はここ2ヶ月できていないが。今日はポーランド在住の友達からの依頼があり、ハリコフから3人の避難民が家に来る。
・ロシアによる約8000の「戦争犯罪」が調査されている。戦争犯罪とはいうが、そもそも今回、ロシアは「戦争」ではなく「特別軍事作戦」をしているに過ぎないと言い張る。これが何を意味するのか。

・まず第1に戦争ではないので戦争犯罪はロシアにとって存在しないことになる。戦時国際法で求められている戦時捕虜の扱いもロシアは履行する義理はない。逆に戦闘を拒否した兵士は罪に問われないはず。そもそも戦争をどう定義するのか、国際的な規定は?

・次に、今回のウクライナ戦争には世界が多くの関心を寄せているが今までのシリアやアフガン、ミャンマーでの人道危機にはあまり関心がなかった。それは二重基準だとの報道がある。もちろん、白人社会で起きている戦争だということで他の人道危機より西側が重視しているという点は認めざるを得ない。しかしいくつかの点で今回の戦争はシリアなどの戦争とは異なる。

・まず、今回の戦争は世界の安全を確保すべき安保理の理事国ロシアが、核をチラつかせている点。
・次に、今までの戦争とは違い、一歩間違えば第三次世界大戦になる可能性が高い点。
・最後にポーランドにとって、今回の戦争は隣国で起きており、シリアやミャンマーなどに比べ距離的に危機感が強い。隣の家が火事になるのと、隣街で火事があったのとでは反応が異なるのは当然。

・今日(日本時間では昨日)の中日新聞です。静岡県内ではこのような記事を載せていただきました。ぜひお読みいたければと思います。
・この頃からまた状況はだいぶ変わってきました。この情勢の変化にどこまでついて行くことができるかと考えていましたが、考えるよりその日にその日を正しく生き、やるべきことをやる。それだけやっていけば今はいいのではないかと思います。

4月26日

・昨日は夜まで忙しく、何も報告できておりませんでした。写真は昨日朝4時のワルシャワ中央駅です。日本で以前報道されていたような「駅構内でウクライナの皆さんが横になっている」というような状況は見られません。駅隣にあるテントで休んだり、スマホを充電したりして過ごしている人がそれなりにいました。
・写真はクラクフから来た電車です。ここでウクライナから来ている2人に会いましたが、今まで一度も会ったことも話こともなく、ウクライナの方が多く降りてくる状況でどのように会えるのか多少心配しておりました。私はどう見てもポーランド人には見えないので、向こうに私を見つけてもらうしかありません。顔が見えるという点で、ポーランドで病院と薬局を除きマスク規制が撤廃されたこと、本当に助かります。

・家でとても長く彼らと話し、写真や動画も見せてもらいました。お母さんの方はなんと4月13日までハリコフにいたそうで、ふるさとを離れることをずっと嫌がっていたそうです。海外で学んでいた息子は軍に志願するためウクライナに帰国しましたが、軍役がなく、27歳以下であったため入隊できず、今はお母さんと共にポーランドに来ています。
・お母さんが見せてくれた、戦車によって破壊された自宅の動画(3月28日付)にはかける言葉がありませんでした。定年後、子ども達も自立した彼女にとって家や庭は生きがいだったそうです。彼らの隣、そしてそのまた隣の家も火事で焼失しており、「火事にならなかっただけまだまし」と言いつつも「恐らく今は完全に破壊されているだろう」と言っていました。ロシア軍はそこに野良犬ぐらいしかいないのに、今でもミサイルを撃ち込み家屋などを破壊しているそうです。彼らの家はハリコフの中でも北東に位置し、日本に入ってくるハリコフ中心部よりも激しい爆撃を受けています。

戦争前の家の写真も見せてもらいましたが、どれだけ彼女が自宅を愛していたのかが伝わりました。最後に「大丈夫。家はないけど誇りとする息子がいる」との言葉にはとても感動しました。昨日、お母さんとは合わせて3時間以上話しました。話を聞いてうなづきできないながらも可能な限り共感すること。これも私にできる大事な役割だと思います。

4月27日

私の地元長野県千曲市で「更埴子ども劇場」のみなさんを中心として多くの方が支援金集めに奔走してくださっております。先ほど、ご報告をいただきましたのでこちらにて共有させていただきます。

・侵攻62日目
・ハリクフから避難してきている家族から、イースターにリビウで買ったというケーキをもらった。彼らは長い間リビウの図書館で避難生活を送り、長時間かけて私の家まで来た。にも関わらずケーキをお土産で買ってきてくれるなんて感無量。
・戦争の犠牲者は常に弱者。特に私は子どもの教育機会の喪失を大変憂いている。昨日はポーランド南部に避難している子ども達とZOOMで話したが、彼らは4,5日だけ避難するような気持でポーランドに来て、すでに2ヶ月が過ぎた。彼らと直接話すのは1カ月半ぶりである。

・以下、ユニセフの状況をまとめると現在まで550万ものウクライナの子ども達が学校に行けない状況にある。登下校時の子どもに対して射撃するようロシア軍内で命令が出ているという音声もある上、学校も今まで爆撃対象となってきた。現在までに200人を超える子どもがロシア軍の攻撃で命を失った。
・ウクライナでは人口の4分の1にあたる1100万人が家を追われ、700万人は国内で避難しており、その中の250万人は子ども達だ。ロシアに連れ去られたとされる子どもの数は約20万人とも言われている。マリウポルにも多くの子ども達が残されており、150万人ものウクライナ人は水道水がない環境下におかれている。

・ちなみにこの危機は今に始まったことではない。ドンバス地方ではロシアのクリミア半併合後、8年にも渡り紛争が絶えず、50万人もの子ども達が健康を害し医療措置を必要としていた。今、この危機はウクライナ全土に広がり、支援を必要としている子ども達の数は計り知れない。

・子ども達の支援に尽力したいが、とりあえず今は医療物資をかき集めることが第一。

・今こちらにいらっしゃるハリコフのお母さんに「いつまでハリコフにいたんですか?」と聞くと4月13日までとのこと。思わず「えっ?3月、ですよね?」と聞き返してしまった。その後さらに驚いたことにその後息子は父親と共に4月20日にハリクフに電車で一度戻ったらしい。その時の写真を見せてもらったがよくこんな危険なところに行けたと思いどう反応していいのか分からなかった。戦争が始まりウクライナに帰国した息子。軍に入れなかったが、入る意思を両親に伝えたとき、父は「私と一緒なら許可する」と告げたそうだ。父は軍役が長く、アフガンにも行っていたそうだ。お母さんは警察で長く働いていたそうで、私の車に乗りながら「ここの制限速度は何キロ?罰金はいくら?」などと聞いてくるのではらはらどきどきする(笑)

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