坂本龍太朗のワルシャワ通信(5月19日〜5月25日)
5月19日
これが子ども達にとっての教育
明日ウクライナのルハンスクに搬入する物資の詰め込み作業を小学校で行いました。詰め込みは私たち大人ではなく子どもにやらせます。私は購入した物資を自宅から何度も小学校に搬入してきましたが、ここからは大人がやらないこと、それが教育です。
・この小学校に通っている子どものお母さんで、ウクライナのリヴィウ出身のオルガがいます。彼女のお兄さんは現在東部の前線で戦っています。そこから必要な物資の情報がリアルタイムで届き、今回食べ物や飲み物、おむつ(以上学校が準備)、服、靴、ヘッドライト、防犯熱感知カメラ(以上日本からの支援金を活用)などを送ります。
・支援物資を積み込む前に、ウクライナの東部前線にいるオルガのお兄さんとオンラインで話しました。軍服姿でヘルメットをしており、とても緊張感が伝わってきました。彼はこちらに対し感謝を伝えていました。
・その後オルガと話し、私は正直に感じた2つの気持ちを伝えました。まずは感謝。私のような日本人が支援に加われること。2つめは謝罪。彼のお兄さんがウクライナの前線で自由のために戦っているのに、同じような年の私はポーランドでぬくぬくと暮らしていること。これがいいのか悪いのか分かりませんが、前線にいるお兄さんと話し、私自身申し訳ない気持ちになってしまいました。
・オルガは明日、車を運転し自分でウクライナに物資を運びます。彼女が無事に帰ってきたら、家でおいしいご飯でも作って労をねぎらいたいと思っています。彼女と抱き合い、話し、子ども達を目の前にして涙が止まりませんでした。ここ3カ月、よく泣いているのに涙は無限に出てくるものだと驚かされます。ただ、彼女は私の100倍泣いていると思います。
・ウクライナに運搬する車両に物資を詰め込んでみたらまだ少し場所があった。急遽ウクライナの友人で運搬するオルガと相談し、保存食を大量に購入。赤ちゃん用の食べ物も必要とのことでありったけ詰め込む。
・最近の支援物資購入は多額なのでネットでしている。忙しい支援の日々において店まで行かなくていいのは本当に助かる。ただ、今回はもうすぐに出発ということでスーパーに行き、棚を空にする。2カ月前はこんな買い物を毎日のようにしていたので正直懐かしくもある。
・その後荷物をオルガに引き渡す。先日お伝えした通り彼女の兄は前線で戦っている。こっちも向こうも子どもを抱いたままだったのであまり長くは話せなかったが、彼女はこんな話をしてくれた。
・戦争が始まってすぐに彼女の兄は東部のドンバス地方の戦場へ。彼女は兄の命を少しでも守りたいととても高い防犯赤外線カメラを購入して送った。しかしそのカメラはもうないそうだ。なぜなら彼の部隊でそのカメラを携帯していた人がロシア軍の攻撃で、カメラもろとも命を奪われてしまったためだ。このカメラがあるかないかでは、特に夜は命がけだそうだ。このカメラがあることで救われる命も多いそうだ。
・その後家で調べたが、この防犯赤外線カメラは1台30万円ほど。夜間でも1800メートル先に人がいるかいないかが熱探知で分かるものであった。恐らく、普段は山でキャンプをするときに動物を探すのに使っているケースが多いようだ。彼女の「命を守るため」という言葉を聞き、これは民間人の私でも買える武器ではないわけで、1台購入することを伝えた。とにかく、ウクライナに物資を搬入し、無事に帰ってきてほしい。
・ちなみに彼女は避難民ではなく、すでにポーランドには18年住んでいる。4人の子どもがいて一番下は私の娘と2カ月違いの1歳8カ月。子育てだけでも大変なのに、このお母さんはウクライナでできるだけ多くの命を救うために動いている。しっかりと支えていきたいと思いつつ、そんな「支える」なんていう弱い者と強い者を分けるような言葉はここでは使うべきではないかもしれない。そもそもオルガも私もポーランドでは外国人というお互い弱い立場にいるわけで、弱い立場を知っているからこそ、今苦しんでいるウクライナの人たちを救いたいという気持ちが一致しているのかもしれない。彼女を支えるのではなく、彼女と一緒にウクライナを支える。それが恐らく正しい表現。
5月21日
本日のウクライナへの物資搬入。最後、余った場所にありったけのパンを詰め込んだ車両。ワルシャワから直接国境に行けばいいのに、わざわざ運転するウクライナのお母さんオルガは夜私の家に寄り、車の中を見せてくれた。
座る場所以外は上まで全て支援物資。後ろのドアは物資が落ちるので全て開けることさえできなかった。
・とにかく無事で、帰ってきてくれることだけを祈っている。この支援物資でできるだけ多くの命が助かりますように。日本からいただいた支援金で買った物資はこの中に約100万円分入っている。誤解を恐れずに言うならば、100万円で1人の命が救われることになるならそれは安上がりだと思う。日本からいただいている支援金に対し「安上がり」というのは無礼極まりないが、これで命が1つでも救われれば、その命は将来、その何倍も生涯で稼ぎ、ウクライナのためになる。
だから今はとにかく、できるだけ多くの命を将来のウクライナのために残すこと。これが何よりも大事。
5月22日
・ウクライナ支援を続けていることに対し、ウクライナの方から花束をいただいた。もちろんウクライナの国旗の色だ。
・その方はポーランドではみな長引くウクライナ支援で疲れていて、今まで同居していたポーランド家庭から出ることになる人も増えていると言った。実は私の周りにもすでに引っ越した人、引っ越す準備をしている人、帰国した人がいる。その方に一言だけ伝えた。ポーランドは疲れているかもしれませんが、そこからが私たち日本の出番。支援を初めて約3ヶ月。もしかしたら長い目で見たら、ここが日本人としての私のスタート地点なのかもしれない。
それにしてもこの花、絶対に枯らせられない。疲れたらこのひまわりを見て頑張ろう。
5月23日
・ポーランドの友人に車を出してもらい、ウクライナの家族と一緒に目の錯覚を利用したアトラクションがある施設へ。私の家族含め7人での休日。ミラー迷路などがある。
・ウクライナの「家族」という言葉は便宜上使ってはいるが、正確に言うと正しくないといつも感じている。今まで「私の家では戦争が始まってから3家族を受け入れた」といったように家族という言葉で講演会やメディアで発信しているが、毎回自分で言っていて違和感を感じている。これは「難民」と区別し「避難民」という区分けでウクライナ人にミャンマー難民などとは異なり広く門戸を開けている日本に対する違和感と同じだ。
・日本のニュースを見ているとウクライナからの「世帯」という言葉もよく見る。しかし正しい「世帯」の定義は「独立して生活を営む人たち」のことであり、多くのウクリライナのみなさんは支援なく「独立して生活を営む」状況にはない。
・そのため私は「母子」というように構成員それぞれについて述べる表現をよく使っている。「家族」や「世帯」というと、あたかもウクライナに残してきたお父さんやお兄さん、息子などを無視し、あたかもここにいる人達だけで家族を成り立たせてしまっているような申し訳ない気持ちになるからだ。
今日あった講演会ではこの点についても質問があり、改めて考えさせられた。
・ゼレンスキ―大統領に対し、男性の出国を許可するようにという請願書が届きました。男性の出国に関しては多くの議論があり、意見が分かれるところだと思います。成人男性で出国できるのは障害を持った子どもがいる場合、子どもが3人いる場合、障害を持っている場合、海外の大学に属する学生である場合です。ただ、私の周りには子どもが3人以上いてもお母さんしか来ていない場合もありますし、障害を持っていてもお父さんはウクライナに残っている場合もあります。
・あえて言うなら、海外の大学で学んでいたとしてもウクライナにあえて帰国するケースもあります。その例として、以前行ったインタビューを1つ紹介します。彼はノルウェーの大学にいましたが、戦争が始まってからウクライナに帰国、リヴィウで軍に志願しましたが認められず、あえて前線のハリキューまで行き志願しました。しかし24歳という年齢は若すぎ、また軍役もないことから許可されませんでした。戦いたくない男性がいる一方、祖国を、そして家族を守るために海外にいてもいいのにあえて戻る男性がいるのも事実だということです。
・そのため、みなさんの周りに若いウクライナ男性がいたとしても決して「逃げてきた卑怯者」とすぐに判断してはいけないと思います。詳しくはぜひインタビュー動画をご覧ください。
・彼はウクライナに帰国する際に国境で青木春奈さんに会い、それがきっかけで日本語も知らず、日本に知り合いがいるわけでもないのに日本に避難しています。
・彼が日本で「成人男性なのにウクライナにいないってどういうこと?」と思われることが私は心配でなりません。言葉の問題もありますし、彼には何か言われたらこの動画をそのまま見せるように伝えてあります。
ハリキウから来ている青年マルク
5月24日
ウクライナのお母さんが人参ケーキを作ってくれた。写真はその1部で、その他にもカップでも同じケーキがたくさん完成。
・このお母さん(と言っても私よりは年下)とウクライナの娘、そして私と私の息子の4人でたまにプールに行く。2歳を過ぎたウ娘は戦争前、毎週お父さんとプールに通っていたそうだ。ポーランドに避難してから3ヶ月、日々見ていて私でもウ娘の成長(見た目も言語面も)が分かる。この成長を直接見れないウクライナに残してきた家族は本当に気の毒だと思うが、こちらで安心な生活ができていることを見せることも必要だと思う。一方でポーランドとウクライナの状況が違いすぎて、こちらの状況を報告していいものか迷ってしまうことも多い。
・プールのチケット売り場でウ娘の水泳キャプを購入。お母さんとはポーランド語で、お母さんは娘とはウクライナ語で、私は息子と日本語で話している。キャップ購入時ずっとその状況を見ていたにも関わらず、入場料は「家族割引でどうぞ」と言われた。子供たち同士で言葉が通じない、複雑な状況の家族だと思われたに違いないが、あえて受付の方もそんなこと聞きづらいだろうし、生活圏をある程度共にしているウクライナからの母子だから「家族」と言われても別にこちらとしても違和感は正直感じない。
それにしてもこのケーキは美味しかった。
5月25日
・戦争3ヶ月
・相変わらずの支援が続く。今日はまずウクライナの友人と会って今後の支援について話し合い、その後車を出し、別の母子と共に買い物へ。
・ロシアによる侵略3ヶ月というこの日について考えながら隣町のデパートに行ったが、まさにポーランドの支援疲れを象徴するような景色を見た。
・1枚目の写真は3月の初めに撮った支援物資収集箱の様子。2枚目は今日。場所もデパートの中心から角に移され、サイズも半分。ポスターも破れたまま直されておらず入れようという気持ちにも影響が出るだろう。この箱を見て、今のポーランドで支援を続けてきた人達の中には少なからずこの箱のような気持ちになっている人もいると感じた。
・開戦当時から日本では「即時停戦」を求める声が上がっているし、それは今でも変わらない。しかし私は即時停戦が平和には繋がらないと考えている。即時停戦で今の状況が固定化された場合、ロシア軍支配下にある地域から逃げてきた人は路頭に迷うことになる。マリウポリから来た人にとって即時停戦が実現したとしても、ロシアの支配下にあるふるさとに帰りたいと思うだろうか。否。彼らは「ウクライナ」に帰りたいのであり、自分たちを殺し、拉致し、家を破壊したロシアの占領下にある土地には帰りたくない。必要なのは「ロシア軍の撤退」が第1であるべきで「停戦」はその後でなければならない。だから「即時停戦」だけを叫ぶことは必ずしもウクライナの人々の希望とは一致しないということを私たち日本人は理解しなければならない。
・もしみなさんの家が悪党に占領され、交渉している時に「即時交渉中止」と外部から言われたらどうだろうか。それで悪党はあなたの家に残るだけで、あなたは路頭に迷うことになる。
・こちらのウクライナの皆さんと話していて「即時停戦」について議論になることは基本的にない。みな口をそろえて「今停戦したとしてもいつまた襲われるか分からない」「停戦時にロシアは力を再構築して、次はもっと大きな被害が出るかもしれないからインフラ復旧なんてやる気はおきない」と言う。つまり、ロシアが軍事侵略できないほどにならなければ、ウクライナの皆さんは安心して帰れないわけだ。また、ロシアが「侵略しない」と確約したとしても、それはどうせまた将来破られると多くの人が思っているし、それは今までの歴史でも裏付けられている。
・侵略者は、出なければならない。出ないのなら、力で出さなければならない。それが交渉でできるならいいが、こちらが交渉で、向こうが武力でという場合それが成り立たないのが現実。
・それにしても日本は「平和」だと思う。今、こんなに即時停戦が叫ばれているが、50年以上前から問題になっている拉致被害者を「即時奪還」するために今のような大きな運動は起きなかった。約80年前に武力で奪われた千島などに対する運動も同様である。これは私自身にも言えることで、平和になったら猛烈に自省するべきだと考えている。
・ポーランド・シベリア孤児記念小学校から依頼を受けていた、ウクライナの子どもたちのためにパソコンを12台搬入。校長によると授業中にパソコンがあれば、ポーランド語を打ち込んでそれをそのままネットでウクライナ語に翻訳できたり、学校のオンライン日誌へのアクセスも得られたりと多くの面で教師によっても子どもたちにとっても助けになるそうだ。
・子どもたちにとって、慣れないポーランド語をノートに書いて結局意味が分からないより、パソコンで書いて自動修正などあった方が楽になるだろう。
ポーランドには学校に通わず、家にいるウクライナの子どもたちも多い。彼らはスマホでウクライナの教育を受けているケースもあり、今週はさらに3台、家にいる子どもたちにパソコンを届ける予定。