坂本龍太朗のワルシャワ通信(5月12日〜5月18日)
5月12日
先日講演会でお世話になった千曲市より、77万1474円の支援金をいただきました。正直、戦況が長引くにつれて西側の国々による支援疲れも危惧され始めました。私もポーランド国内における支援疲れは1か月以上前に感じ始め、今ではそれがニュースでもあまり取り上げられなくなっています。
一方、ウクライナの状況は「長期化」するだろうと言われており、今後も引き続きウクライナは支援を必要としています。このような状況下で日本から引き続き支援金をいただけ、それによってウクライナ支援を継続できていること、大変助かっています。もし、私が支援金を集めている拠点がここポーランドであったら、初めの一カ月は集まってもそれ以降は下火になっていただろうと思いますし、募金の動きもあまり見られなくなっているのが現実です。
大変な時、いつも考えます。隣の国にいるみなさんはもっともっと信じられないぐらい大変なんだから。だから私たち支える側は背中を押し続けなければいけないと。 https://www.city.chikuma.lg.jp/.../kifukin.../4993.html...
・ウクライナから来ている4人の姉妹とのインタビュー。彼らが避難するにあたりどれだけの期間を想定していたのか。今1番ほしいものは。日本に対して望むことは。ぜひ聞いてみてください。
・彼女たちの祖国ウクライナは小麦の主要輸出国です。侵攻以前は、トウモロコシの輸出量は世界4位、小麦は世界3位になるとみられていました。ロシアとウクライナの小麦の輸出量は、世界全体の約3割にもなります。
東部で戦況が悪化し、西部における農業の重要性は高まっていますし、今は作付けの時期です。しかし場所によっては不発弾などで安全な作業ができません。そして、農家からも防弾チョッキが求められています。
5月13日
・本日は松本大学にて「ウクライナ支援」をテーマにオンライン講演を行いました。大学生たちにとって考える機会となったことを望みます。
・松本大学学長でいらっしゃる菅谷昭氏には過去20年以上お世話になっており、私がベラルーシに留学したきっかけを与えてくださったのも菅谷先生です。
・菅谷先生を代表とするチェルノブイリ医療基金からはウクライナ支援のため、200万円の支援金をいただいており、この場を借りて報告と感謝をお伝えします。
・ウクライナ側と話し合い、今後しばらくは男性用の服や靴、避難用鞄、ヘッドライトなどを送ります。今回の搬入で協力するのはポーランド・シベリア孤児記念小学校に通っているウクライナの子どものお母さんです。ウクライナにはもちろん家族が残っており、そのつながりを使って支援物資を送ります。
・今日は鞄が50個届きました。今後も届くと思うのである程度集まり次第まずは小学校に運び込みます。男性用衣類などを購入する手立てができたと校長がウクライナのお母さんに報告すると、泣いて喜んでくれたそうです。あとはできるだけ早く、ウクライナで必要としている人に届けることです。
5月14日
・本日の信濃毎日新聞です。大学生に語る時は大学生に考えてほしいこと。高校生に語る時は高校生に考えてほしいこと。しっかりと対象を意識した発信を続けていければと考えております。
・新聞にある菅谷昭学長は私が中学生の時に中学校で講演を聞きました。そんな方と講演会を共にできるとは夢にも思っていませんでした。菅谷先生はベラルーシで5年間、支援活動をなさっていました。それを考えると私はまだまだだなと改めて感じます。
5月15日
・スイスに送り出したウクライナの皆さんが、たまに向こうでの様子を伝えてくれる。元気そうにしている姿を見ると、本当にほっとするし今後も安心できる環境で避難生活を送ってほしいと思う。
・ある方から今回紹介する写真をいただいた。これは私の支援チームだ。今まで私たちは写真を撮る側で、ウクライナ支援が始まって3ヶ月近く経って、この写真が送られてきて初めてチームの写真がないことに気付かされた。もちろんここに写っているのが全員ではないし、私たちが協力しているのはスイスやウクライナ、アメリカなどにもいる。そしてこの支援を支えてくれているチームの一員が、日本から支えてくださっているみなさんだ。
・チーム長から頼まれ、前回避難民50名を送り出す前の昼食代を支援してほしいと言われた。こちらにも日本からいただいた支援金を活用した。50人が食べて、お腹いっぱいになって、心もある程度満たされて、たったの3万円。大切な支援金に対し「たったの」という言葉を使うには適切ではないかもしれないが、誤解を恐れずに言えばこの3万円だけで50人が幸せになれる。たったの3万円、されど3万円、偉大な3万円である。
・写真が送られてきて気づいた。もしかしたら私のことを心配してくださる日本のみなさんは、私が1人で四苦八苦していると考えていらっしゃるのかもしれない。しかし、私はチームの一員としてお互い支え合って支援をしている。私が大変な時は周りのみんなが助けてくれる。だから大丈夫ですし、これからも長く支援を続けていけます。
・ちなみにこのチームにはウクライナから避難してきている方も入っています。支援疲れが報道されるようになりましたが、これは避難疲れを克服するヒントかもしれません。人が足りないなら、ウクライナ語もでき、ウクライナの事情も分かるウクライナ人で、すでにこちらである程度生活基盤ができている方に支援側に回ってもらうということです。
・今回の支援に関わっていらっしゃる全てのみなさまに感謝いたします。
5月16日
・支援報告です。先日ウクライナに送ったパソコン、届いてすでに使っているという報告の写真が届きました。
・将来にわたって祖国ウクライナを復興していかなければならない子ども達が、その土台となる教育機会をロシアの侵略によって奪われています。教育は将来の収入、生活、そして何より子ども達が持っているそれぞれの夢を実現させるための礎です。戦争は彼らの責任でもなく、教育の機会を可能な限り守っていくのは私たち大人の責任です。
・ちなみにポーランドにいるウクライナの子ども達にも今までパソコンを送っています。パンデミックによるオンライン授業が行われているというわけではありません。私はパソコンが必要ない小学校時代を過ごしましたが、今は時代も私の頃とは違いネット環境とパソコンが子ども達の教育を支えています。
5月17日
今週末に行われる講演会の告知です。今回は世界の日本語教師ネットワークを使ったウクライナ支援に動き出してくださっているAMF2020(代表 田代純子さん)主催です。どうぞよろしくお願いします。 日時︰5月22日(日)日本時間21時~22時30分
・今日は大量に男性用の靴を運び込む。ウクライナから来る支援物資リストは多岐にわたる。先日は洗濯機や食洗器といった話もあった。この2つは結局別ルートから確保できたそうだが、依頼メールの内容を紹介したい。
・ウクライナ西部で女性が交代でこれから戦争に行く120人のウクライナ兵の世話をしている。恐らくウクライナ兵は訓練に明け暮れており、彼らの食事や服の洗濯など身の回りの世話は周りの女性の役目だ。少人数の彼女たちは休む暇もなく120人分の食事を作り、洗濯をする。しかし食洗器がないので皿洗いだけでも長時間労働となり、洗濯機が壊れているので使い物にならないそうだ。そんな状況に対し、ウクライナ政府からの支援を得ることはできず、ポーランドに対し支援要請が来たというわけだ。その話が巡り巡って私のもとに、依頼があった3日後に届くことになる。支援できる旨を伝えたが、その時にはすでに洗濯機も食洗器も別ルートから確保できたということだった。
・ただ、今回は色々と考えさせられた。それは支援と武器についてだ。日本から支援金を送ってくださる皆さん大多数が「大きな組織だと送ったお金がいつどこで誰に使われるか分からないし、武器になるのが心配だから」という理由で私に支援をしてくれる。
・大前提として民間人である私は武器を「買わない」のではなく「買えない」のであり、そもそもそういった支援はNATO各国に任せておけばいいいうスタンスを取っている。一方でなぜ西側各国がウクライナに対する武器支援ができるのかというと、ある程度民間やNGO、ボランティアなどに人道支援を任せているからだ。裏を返せば私たち民間が人道支援をすることで国家は武器を買う余裕が生まれる。
・さらに、人道支援として送る食べ物や服などは兵士に行くか民間に行くのか区別できないし、医療物資は殺傷する武器にだってなりえるわけだ。ウクライナで戦っている兵士の家族を私達は預かっている。結果としてある程度、間接的に私たちがウクライナを軍事支援しているといえなくもない。
・では、どう線引きをするのか。まず、私はお金を送ることはせず(遠方に住んでいる避難民のための石炭購入などは除く)、物資は自分で購入する。また私が民間として買えるものとして武器弾薬はないわけで、ウクライナから依頼され、民間として買えるものであればそれは問題ないと考える。
・今回の支援で、いかに日本は軍事に対する抵抗が強いのかということを改めて感じている。戦車200両を送っても目立った反発がないポーランドと、防弾チョッキやドローンの提供に反対意見も強い日本とはそもそも根本的な平和実現に関する考え方が違う。だからポーランドにいる日本人としてこの差に驚き、人一倍注意しなければと思う。
・今回私の家に届いたのはウクライナからの支援要請リストにあった男性用の靴(サイズまでの指定はなかったのでとにかく多めに様々なサイズ)。そして防犯用熱探知カメラ。早速運送で今回協力している小学校に持って行った。これらの物資が手に入る目処がたったことで、ウクライナのみなさんは泣いて喜んでくれた。
5月18日
・この地下組織の存在がニュースになったので私も今まで言えなかったことをお伝えします。
・この地下組織を使って私が支援を行っている施設にも7人のマリウポリ出身者が来ました。マリウポリで40日間地下での避難生活を送った後ロシアに拉致され、その後8日間ずっと移動しっぱなしだった人達です。彼らはこの地下組織の協力でサンクトペテルブルクに行き、そこからエストニアのタリンに脱出。飛行機でワルシャワ空港に来てから私の施設にいました。ここポーランドで民間の飛行機が空を飛ぶ音を聞くだけで身を強ばらせてしまうような精神的ダメージを受けていました。
・彼らの話を今まで詳しく公表してこなかった理由は、この地下組織の存在が表に出ることで避難ルートに支障が出る心配があったためです。ただあまりにも地下組織の規模が大きくなり、ついにニュースにもなったことがあります。
・まだまだロシアに拉致されたままのウクライナ人は多くいると思います。引き続き活動を続け多くのウクライナ人をこちらに避難させてほしいものです。
焦点:ロシア地下ネットワーク、ウクライナ難民の脱出を支援
・現在ポーランドの北部に避難しているチェルニヒウからの子ども達4人。彼らはただの避難民ではなく、クラスター爆弾で体中が傷つき、ここ1カ月半ポーランドで病院に通っている。年は7歳、8歳、10歳、そして16歳。彼らのお母さんは残念ながら戦争の犠牲になってしまった。
・彼らからの支援要請で冷蔵庫(約27,000円)を購入。その他にもベッドがないので二段ベッド、今後は勉強のためのパソコンなども支援していきたいが、まずは体の傷、そして心の傷をいやすことが最優先。
・彼らがクラスター爆弾によって受けた傷の写真も送られてきたが、さすがにここで公表することはできないと判断される。ウクライナでは多くの子ども達がロシア軍の攻撃の犠牲になっている。私たちは失われた命を取り戻すことはできないが、少なくとも残った命を守っていくこと。ロシア軍による爆弾1つで今後何年間、どれだけの支援が必要になるのか、考えるだけでも気が遠くなる。しかし、どんな大変な状況であろうとも子ども達を支援することは将来のウクライナ復興の支援につながるわけで、弱音なんて吐いていられない。子ども達の方がもっともっと辛いのだから。