坂本龍太朗のワルシャワ通信(6月8日〜6月15日)

6月8日

こちらはガスコンロで使うためのプレートです。ガスコンロとセットで購入しました。なぜこのような物が支援物資として要請があるのかというと、戦地では野外で煙を立てて料理することが危険だからです。ロシア軍内で動くものは全て撃てといった指令があったことは報道されていますが、遠くからでも煙があがればそこに人がいることが分かり、ロシア軍の攻撃対象となりえます。前線の兵士からはこんな話も聞きました。

・食事を作るのはできるだけ早朝の、それも霧が立っている時にしなければならない。そのような環境でなければ、多少の煙でもドローンで見つかり、攻撃されることがある。このような状況下で、セベロドネツクでは市街戦が続いており、民間人も多く残っています。
・今回、このようなガスコンロを10セット購入しました。ガス管は280本別で準備してあり、まとめてウクライナに搬入します。

6月9日

今日は小学校に来ています。廊下にはウクライナ語で色々なメッセージが書かれれいます。感動的なのでいくつか日本語にして紹介します。
・「友達になってもいい?」
・「あなたは強い」
・「私はあなたの味方」
・「ここにいてくれて嬉しいよ」
・「ここで気持ちよく過ごせますように」
・「助けが必要な時は言ってね」
・「ポーランドにようこそ」
・「あなたのために何ができる?」
・「あなたは特別な存在」
・「いつでも頼ってね」
・「あなたのことを待っていたよ」

上にウクライナ語、下にポーランド語が書いてある。ポーランドの子供たちもウクライナ語で伝えられるように。

6月10日

・6月10日ルガンスクのセルゲイ・ガイダイ州知事の投稿です。11秒の動画です。砲撃音が聞こえても子供たちはブランコで遊び続け、全く避難する様子も見られません。これが慣れです。今回は箱にただ単に日章旗と「日本は君たちと共にある」とのメッセージを書くだけではない。一度箱を開けて、パソコンにメッセージを書き、そしてまた詰めなおす。ついでに子ども達の名前も漢字で書いてあげた。名前はイリーナちゃんとマクシム君。3か月以上筆を握る暇がなかったので、結構書道の腕もなまってしまった気がする。

いつか、書道でウクライナに行って、子ども達に書道ワークショップをしよう。

6月11日

ここ最近、ずっと集め続けてきた物資をついにウクライナに搬入する時が来た。まずは私の家に山積みになっていた段ボールの支援物資を4回に分けてウクライナに運び込む友人の家に運ぶ。そこから友人が3.5トンのバンに上手に積み込み国境へ。

・今回は国境の中立ゾーンでの受け渡しではなく、リビウまで入るとのこと。今までこの友人は4回ウクライナに人道支援物資を運び込んでいるが、今回は物資の価値は金額ベースで今までで最も高い。ウクライナに物資を届けた後、ウクライナから避難してくる子供たちを車に乗せ、日曜日にポーランドに戻ってくる予定。物資がウクライナの西部に届くこと。その後ドンバス地方(特にルガンスク州)に届くことはとても大切。しかし、そんなことよりとにかく友人が道中安全でいてくれることを願っている。東部の前線からも色んな情報が入るし、写真も届いている。ただ、こういった情報は安全面からFacebookには投稿できない。いつか平和になって、前線にいるの人たちに絶対に危害が加えられないような世界になったらいずれみなさんにもお伝えしたい。

・今まで色んな種類の支援物資をウクライナに搬入してきた。しかし毎回その内容は同じではない。今回初めてウクライナに搬入するものの1つに浄水材がある。水道などのインフラが破壊されている地域では、雨水などを浄化して飲み水とするしかない。今後は気温も上がり、衛生面での懸念も高まるばかりだ。

6月12日

・今回のウクライナ搬入で、初めて送ったものをもう2つ紹介します。まずはガソリン。車があってもガソリンがなければ移動できませんし、農業で使うトラクターなども動きません。ガソリンを手に入れるのはお金や時間の問題ではなく、そもそも足りてないんです。
・次に蚊除けスプレーです。野外で暮らしている人もいます。穴が空いた自宅で住み続けている人もいます。今後は伝染病なども心配で、子供たちが外に行くにもこういった虫除けスプレーなどが足りていません。

パンは今まで通り。ウクライナに搬入後すぐに冷凍庫に入れ、必要な時に解凍して食べるためです。今回は6月1日の子どもの日以降最初のウクライナへの物資搬入ということでチョコレートなどのお菓子も大量に入っています。

またウクライナからのプレゼントをいただきました。このTシャツにはロシア語で「ロシア軍艦」と書かれており、下にはウクライナの紋章がある言葉で形取られています。その言葉、日本語にすれば「地獄へ落ちろ」といった感じになります。

・ウクライナには黒海の軍艦からも砲撃が加えられています。キーウやハイキューへの砲撃はロシアやベラルーシ領内からです。しかしウクライナは防衛する一方で、ロシア領内にある発射基地などに反撃できません。つまりミサイル攻撃に関してはやられっぱなしです。そして人がなくなっています。どこから発射しているのか分かっても、根本である発射台などを潰せないので、ミサイルが飛んできてから対応するしかありません。ミサイル防衛システムで着弾前に破壊できたとしてもミサイルの破片が田舎に降り注ぎます。

日本で敵地攻撃能力の話が具体化している背景にはこのような理不尽な戦争の現実があります。

・この世界には考えたくなくても考えなくてはいけない。選択したくなくても決めなければならないことがあります。私はウクライナの人々が日々殺され続け、アラームで夜起こされ避難させられる毎日が続くぐらいなら、ミサイルを発射しているロシアの軍艦をたたく能力をウクライナにより協力に西側が供与すべきだと思います。おそらくこの私の意見には反対論もあると思います。「それで、ロシア兵が死ぬではないか」と。しかし民間人が際限なく殺され続けるのと、軍艦に搭乗しウクライナを攻撃し続けているロシア兵が例えば50名亡くなるとこと、どちらかを選ばなけれなならないのなら、私は迷わず前者を選びます。もちろん、共に亡くならないのが最善の道ですが、それを求める間にもウクライナ人が殺され続けていることを考えると、理想だけを語るのはあまりに命に対して無責任だと思います。

6月13日

・ウクライナでよくケーキを作っていたというお母さん。こちらの避難施設にいいオーブンがないということで、先日購入し運び込みました。その避難施設で昨日、ウクライナの3家族が揃ってのピクニックがありました。そこで登場したのは、先日プレゼントしたオーブンを使ってのケーキです。正直このケーキは店を出せるレベルです。もう1つチーズケーキもありました。こちらもおいしく、どこで買ったの?と聞くとこれはウクライナから一週間だけこちらに来ている方が自宅で作ったとのこと。近所に牛がいて、そこから牛乳をもらってきてチーズにし、そのチーズを使ったチーズケーキだそうです。

今までお菓子やケーキをもらうとおいしくてすぐに食べてしまい、その後に写真を撮らなかったことを後悔します。今回はなくなる前に思い出して撮りました。

・今日は支援物資の買い出しでワルシャワへ。2度もウクライナ国旗をつけたベラルーシナンバーの車を見た。ロシアナンバーであればもちろんだろうけど、ベラルーシナンバーの車も今ポーランドでは運転しにくいと思う。ウクライナ攻撃の拠点に今でもなっているベラルーシに対し、ロシアほどではないけれどよく思っていない人が多い。
・高速に乗ればウクライナナンバーのトラックもよく見る。こんなにたくさん行き来しているのにウクライナで物資不足が深刻なのが不思議になるぐらい、状況が悪い。

6月14日

・ウクライナから一時的にこちらに来ている方からプレゼントをいただいた。今回は刺繍の入ったTシャツ、チョコレート、鍋置きなどなど。このチョコレートを日本に持って行って、みなさんと分けられないのが残念でならない。
・今はウクライナにひたすら人道支援物資を入れている。しかし復興が始まったら、ウクライナから大量にお土産を買って、日本に持って行くことができたら、それもウクライナ支援になると思う。その時は復興のために最初の数年間だけでもいいから、ウクライナと日本の間に直行便でもできれば、今行けない分多くの方がウクライナにいらっしゃると思う。

6月15日

・私の家に最後に泊まったウクライナからの家族。正直彼らについて、注目が集まるのも良くないと思いあまり投稿して来ませんでした。しかし先程彼らから、このようなニュースが送られてきました。アメリカ大使やウクライナ大使の前に座っている3人が彼らです。彼らの仕事は日本でウクライナに対する関心を高め続けてもらうことだと伝えました。

3ヶ月前にちょっと遊んだだけの私と、3ヶ月前までずっと一緒に暮らしていたウクライナに残っている家族。人生を考えたら彼らとはすれ違った程度の私がこんな気持ちになるなら、突然家族が引き裂かれるという悲劇の深刻さは私なんかに全く想像できない。

・ここ一カ月で一番の心が動かされた。しばらく会っていないがずっと連絡を取り合っているウクライナの子。ここ最近はおたふく風邪にかかってしまい学校にも行けていない。最近12歳の誕生日だったのでプレゼントに何がほしいのかと聞くと、物じゃないものをたくさんもらっているから十分だといい、それより私が龍太朗にプレゼントがあると返事があった。その後写真が送られてきたがこれ。とても素敵なブレスレットだ。そもそも写真がいいのでどこかネットからダウンロードしたのかと思ったら、どうやら本人が撮ったらしい。素敵なブレスレット、どこで買ったの?と聞くと、「今日龍太朗のために家で私が作った」とのこと。もう、これ以上言葉が出ないぐらい感動した。そして今日、また別の写真が送られてきた。今日も学校には行けず、家にいる。その時間を使って、私に2つめのブレスレットを作ってくれたそうだ。

・実はこの子の家族は6月中旬までしか今の避難家庭にいることができないということで、ここ最近ずっと新しい家を探し続けてきた。写真にはならない支援なので今まで投稿も報告もしていなかったが、私にとっては大きな支援だった。色んな不動産に電話をしたり、ネットで賃貸アパートを探したり。しかしどこも1年以上の契約でなければ無理だと言われた。ネット上にあるウクライナ人受け入れ家庭リスト。電話をしてもそのオファーはもうありませんと繰り返し聞くことになる。最後は行政の担当者と協力して探したが、一般家庭でも受け入れる場所が見つからない。彼らは戦争が終わればすぐにでも帰国したいと思っている。だからとにかく2,3カ月いられる場所を求めている。それが見つからなければ帰国するしかないと言われていた。帰国したいではなく、するしかないとの言葉。たった一つの動詞が違うだけだが、この言葉が私にとってはとても重く、なんとしても彼らのための住まいを見つけようと奔走してきた。そして先週の日曜日、昔から深いつながりがある教授に時間をとってもらい相談し、研究施設の部屋を開けてもらえることになった。

・私の周りにはウクライナに行き来し、ウクライナの生の状況も頻繁に耳に入ってくる。ここでは書けないような話ばかりだ。だからこそ、この子ども達を絶対にミサイルが飛んでくる危険がある場所には行かせないと心に決めていた。彼らの新しい避難先は、私の家から車で15分とかからない場所にある。今まで3カ月間住んでいた場所はここから車で4時間半は離れており、ウクライナの国境よりも距離的に遠い。彼らを守りたい、助けたいの一心で、結局私の近くに避難してもらうことになった。正直、その方が私にとって安心だし、直接会って話せることで多くのことが解決できると思う。来週、ついにこの子の家族がこっちに来る。こんな言葉は古臭いかもしれないけど、命に代えてもこの子たちは守りたいと思う。ウクライナの全ての子ども達は救えない。時間的にも金銭的にも距離的にも、自分自身の力量でも、救えない理由を挙げればきりがない。それでも私が支援できるこの子たちの未来に対しては戦争が終わってからも責任を持ち続けたいと思う。

この子は言った。「ブレスレット、会ったら渡すから」会ったら、今まで離れていた3か月分を取り戻せるぐらい、いっぱい遊んであげたいと思う。

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