坂本龍太朗のワルシャワ通信(6月21日〜6月27日)

6月22日

約1ヶ月半ぶりに大使館訪問。今回は在ポーランド日本国大使館の宮島大使のお膳立てを賜り、現在ポーランド訪問中の外務省の植野国際協力局長、在ウクライナ日本国大使館の松田大使、在ジュネーブ日本政府代表部の山崎大使、外務省の人道支援課の松田課長と面会しました。ウクライナやポーランドの現状、日本が今できること、将来できることなどについて率直に、普段あまり言いにくいことに対しても耳を傾けてくださいました。

・普段はTシャツに半ズボンで支援活動をしておりますが、本当に久しぶりにスーツを着ました。スーツに常についているブルーバッジを見て日本人として拉致被害者を取り戻したいという気持ちは変わりませんが、ウクライナ関連でも青をよく見ていることから、戦地にいる人々を救いたいという気持ちも改めて感じました。ただ、戦地にいる皆さんはそこから離れられないケースも多いですが、そこを離れたくないと考えている人も多く、安全なポーランドや日本に救い出すというのはこちらの一方的な考えかもしれません。であればせめて、物資を送ることで彼らが生きながらえる道を探るしかありません。戦地で満足に服や飲み水もない人々のことを考えると、スーツを着て、安全な道で車を運転し、大使館でお茶などいただくという現状を正直申し訳なく感じてしまいます。

・日本の令和4年度のODA予算は778.1億円です。ウクライナに将来どれぐらいの国家予算が裂かれるか分かりませんが、いずれにせよ私がしている支援はこれに比べればもちろん米粒以下。しかしその米粒支援を続けてきたからこそ、今回大使館で日本の国際協力予算を左右する方々にお会いでき、直接ウクライナのニーズを伝えることができました。
・この米粒支援も4ヶ月になります。長期化が叫ばれていますが、世界の戦争の歴史を見ると100日とは短い部類に入ります。なので将来、今を振り返ってみたら長期ではなく始まりに過ぎなかったと思うかもしれません。そうならないことを祈りつつも、一般的な歴史上の戦争ぐらいの長さになることを想定して支援を続けなければなりません。長いと思うのと、まだ始まりだと思うのでは支援の熱が変わります。

6月23日

・先日のこと(参議院選挙公示前)ですが、都民ファーストの会共同代表の伊藤悠都議会議員(中央)が私の家にご訪問なさいました。もちろん、ウクライナ情勢や支援体制に対しての意見交換が目的です。
・伊藤議員がおっしゃっていた「参議院選挙前だから来ないのではなく、選挙前だからこそウクライナの情勢を知るために来るべきだ」との想いには大変共感いたしました。今回の選挙では国防も大きな課題であり、選挙結果次第では日本の国防の方向性が大きく変わるかもしれません。その大きなきっかけとなったのが、日本人の安全保障に対する見方を変えたのがウクライナ戦争です。

・ウクライナが戦うのをやめたらウクライナがなくなる。ロシアが戦争をやめたら戦争がなくなる。今私たちはこの国際社会の現実を見つめ、議論できる余裕がある日本だからこそ議論を深めてほしいと思います。
・ウクライナ戦争に関し、参院選があることもあり日本のメディアの注目も減っていますし、ポーランドに入るメディアもほとんどなくなってしまいました。しかし状況は悪化する一方。日本から関心があるという行動や気持ちには本当に励まされます。

6月24日

・今までウクライナ人の足として自転車を何台も購入していますが、数が増えればそれだけ修理も増えます。今回はパンクした2台を自転車屋に車で運びました。時間的に余裕があればパンク修理は好きなので自宅でやりたいところですが、やはり今は修理よりも他の支援に時間を割くことが優先です。
・私の車はそもそも和太鼓を何台も入れてコンサートに行けるようにとトランクが大きいものを買ったのですが、支援物資がたくさん入る点で今の活動に役立っています。自転車も大人用でも3台入ります。

・車がなく、近くに駅などもない場所にいるウクライナのみなさんにとって自転車は必須です。買い物はもちろん、子供たちの送り迎えにも使えます。また、自転車があれば私が車を出さなくても自立できるという点で、私の負担も随分減ります。7月からウクライナ人に対しても国鉄が有料になったり、寒くなく移動しやすい季節にもなり、自転車の需要はさらに高まっていくことが予想されます。

6月25日

・ポーランド・シベリア孤児記念小学校は夏休みに入ります。終業式に来賓として参加しました。
・夏休みに入るということは学校に子供たちがいかない、つまり家にいるということです。そのため今まで子供たちが学校や幼稚園に行っていたからこそ仕事ができたというウクライナのお母さんたちの中には、仕事ができなくなるケースが出てくると思います。また、ポーランド政府から補助も減っていきますし、ウクライナの幼稚園や学校に新学期から登録するなら、この夏に一時的であれ帰国する必要があります。多くの理由から、この6月末に帰国を選択せざるを得ない人達が大勢出てくることは容易に想像できます。

6月26日

・避難所の1つにワルシャワ日本語学校から持ってきたテレビを2台搬入。ここでは計11人のウクライナ人が避難生活を行っている。パンデミックの影響でオンライン授業に移行した約3年前、ワルシャワ日本語学校の校舎の約60パーセントの教室を閉鎖した。その際に閉鎖した教室で使っていたテレビだ。
・子どもたちはたまにウクライナ語のアニメなどを見ている。それがスマホでは視点が小さい画面に集中し、目が硬直化してしまう。それを少しでも大きな画面にすることで、子どもたちの目の負担が減る。

・先日の自転車修理も、そしてこのテレビも、時間はかかるがお金はかからない支援だ。ウクライナに人道支援物資を入れるという支援はとにかくお金が必要。しかしポーランド国内にいるウクライナ人支援の多くは時間や愛、気力、友情、共感、そういったお金ではない支援が私の場合は全体の8割ぐらいだと思う。お金は大事。大事だが、お金がかからない、目に見えない支援もできるだけ可視化して報告していきたいと思う。

6月27日

・3ヶ月半ぶりに5人のウクライナの母娘に再会。今まで住んでいたポーランド南部より、私が住む町まで約4時間の旅。3ヶ月半前に会った時は荷物は少なかったが、ポーランドで避難生活を送っている間に随分増えたようだ。そもそも彼女たちがポーランドに来た時はまだ冬で、冬服や冬靴ばかりだった。しかし、その後春服が必要になり、今はもう夏だ。ポーランドの学校に通っていたので学校関係の荷物もある。
彼女たちの住まいを探している時はずっと心穏やかではなかった。見つからなければ帰国という選択肢しかなかったからだ。住まいが見つかってからも、無事にたどり着けるかなどずっと心配ではあった。今日、ようやく今まで抱えていた心配が解消できた。

・彼女らを出迎え、部屋やキッチンを案内。4人の娘たちのうち3人はポーランドに来てから誕生日を迎え、以前に会った時より特に一番下の子は随分大きくなっていた(7歳)。彼女たちも成長したけど、私も彼女たちに負けないぐらい心の面で成長したと思う。彼女たちにとっても、私にとっても本当に激動の3ヶ月半だった。
・ここからまた、新しい避難生活が始まる。

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