坂本龍太朗のワルシャワ通信(7月6日〜12日)

7月6日

ウクライナの娘の1人から写真が送られてきた。安全な避難場所を確保してくれただけで十分だから、誕生日プレゼントはいらないと言っていた12歳の子だ。以前インタビューしたとき、今一番何がほしいの?と聞くと、一言「平和」と答えた。大人が起こした戦争で、何の罪もない子ども達が犠牲になっている現実。こんな世界にしてきてしまった大人の一人として、本当に申し訳ない気持ちになったことを今でも覚えている。若かった時は、理不尽な世の中に対して、そんな社会を作ってきた大人を責めたい気持ちをずっと持ってきた。しかし今、自分が大人になると必ずしも今私を取り巻く社会は子ども達にとって理想だとは言えないのが現実だ。少なくとも、そんな世界を変えるためにもがいている大人の姿を子供たちに見せること、子供たちのために大人はいい世界を作りたいんだと本気で考え行動する背中を見せること。今は多分それしかできない。

・その娘が今回送ってきてくれたブレスレットの写真。「SAKAMOTO」と私の苗字が並べられている。どうやら「RYOTARO」はビーズが足りなくてできなかったそうだ。作りたいなら100個ブレスレットが作れるぐらいビーズを買ってあげたいと一瞬思ったが、さすがに私の名前を作るために買ってあげるのもちょっと気が引ける。娘はこのブレスレットを彼女自身のために作った。私のことを記憶に留めておくためだという。それを聞いた時、近いうちにウクライナに帰国でき、私と簡単に会えないような環境になることを彼女自身が今でも願っていることを知った。彼女や彼女のお母さんも早くウクライナに帰りたいと思う。しかし、なんとなく夏休みが終わって、また子供たちがポーランドの学校に行くことになるような気がしている。「早く帰ってほしい」そんなこと、どのウクライナ人にも言わないけど、もちろん、ロシア軍には早く自分たちの国に帰ってほしい。こんな純粋な子供たちの土地を爆弾で汚し、家族を破壊し、外国に追いやったロシア。地雷や不発弾の処理はもうこっちでやるから、今すぐ出て行ってほしい。

7月7日

過去4ヶ月、私のプロフィール写真に共に映っていた娘たち。4ヶ月ぶりに再会しましたがもうこんなに大きくなってしまいました。この写真を撮ってくれた彼女達のお母さん、そして私だけが置いていかれた気持ちです。

・今回購入し運び込んだ支援物資は簡易洗濯機。避難先としてウクライナ家族を研究所に入れることができたのはいいが、やはり避難場所が決まったのは始まりに過ぎなかった。
・キッチンにはオーブンもレンジもまな板もないし、洗濯機や物干しなどもなかった。今までは5人の洗濯を全て手洗いでしていた。普通の洗濯機を設置できる環境になかったので、困っていたが、最近ようやくこの簡易洗濯機を発見。かなり小さく片手でも持ち上げられる程度のもので値段は日本円で12,000円ほど。シャワー室に置き、シャワーの水と排水溝を使っている。

・避難生活が長期化するなら、いや、しなくても普通の生活を送ってほしい。一方彼らは明日にでも戦争が終われば帰国したいと思っており、ならば不便でもいいとも思っている。そんな彼らの生活を改善するために新品の普通の家庭にあるようなものを買うのは負担になるかもしれない。つまり「どうせすぐ帰るのに、そんなものもらっても」という反応が見えないにせよあるだろうと簡単に想像できるからだ。そんなある意味でのミスマッチを埋めるためなのか、今回の簡易洗濯機も先日買った自転車同様中古だ。金銭的負い目を感じさせないことも大事な支援のポイントだと思う。

7月8日

・先日ウクライナに送った物資が届き、 報告とともに写真が送られてきた。今月はウクライナ搬入関係で3人のそれぞれ横のつながりがないウクライナ人と協力している。それぞれ必要とされている物資が違うし、搬入は全て今月前半に集中している。そのため限られた予算をどう配分するか、優先順位、私の家への配達日時など考慮すべきことが多い。家に積み上がるダンボールもしっかりと仕分けしないと間違えて別の目的地に搬入してしまいかねない。正直、届いてからこんなの注文したっけ?と疑問に思って調べ、確かにリストにあることを確認してほっとすることもある。
・世の中では支援疲れとも言われるが、支援を続けている人はずっと続けている。全体的に支援疲れしているというより、恐らく支援している人の人数が減ってきているのかもしれない。

・世の中ではイギリスのジョンソン首相が辞任を表明したり、バイデン大統領の支持率低下などでウクライナへの支援が弱まるのではないかと報道されている。しかしそれはあくまで政治の世界であって、私たち民間で個人と個人の繋がりによる支援はそういった世の中の動きとは程遠いところで、社会に左右されず支援を続けているのが現実。
・本日は安倍元首相への銃撃事件で正直投稿に迷いました。今日初めて流した涙はこの蛮行に対するニュース触れた時でした。

7月10日

・日本から預かっているたくさんの絵本。以前三菱商事キーウ支店からポーランドに避難しており、日本語が達者なカーチャさんに1部翻訳を依頼した。本日までにこれだけたくさんの絵本を翻訳してくれた。絵本と共に包まれていた日本からの多くの手紙は涙ながらに訳してくれたという。それを聞いた時、私は絵本をウクライナの子どもたちのために訳してほしいと依頼し、子どもたちにしか目がいっていなかったことに気づいた。メッセージは子ども達に届く前に、訳してくれたカーチャさんの心にも届いていたのだ。

・擬音語擬態語が多い日本語の絵本は一筋縄では訳せない。カーチャさんの翻訳を見ると、とても時間をかけ、どのお親御さんや先生が読んでも分かりやすく説明されている。まだあと15冊ほど訳していただいているが、今ならこれらの絵本は子どもたちだけではなく、それを読んでくれる親御さんや先生方にも気持ちが届くということを知っている。日本から来ただけではなく、訳してくれた人がいるということも大きな励みになるに違いない。
そんな私も多くの精神的サポートを既に得られている。

7月11日

・ポーランド・三菱商事ワルシャワ支店より、ウクライナのためにとパソコンを9台いただきました。自宅で日章旗シールを描き、貼り、パックし、明後日に迫った搬入に向けて準備を進めています。デスクトップ用モニターはまだ手元にありませんが、明後日の搬入までに必ず9台分手配します。
・今回送るパソコンはリヴィウ州に避難している子どもたち、そして学校に行けない子どもたちのために活用されます。1つの学校では10台あれば、近所で何人かの子どもたちが集まって1つのパソコンを使ったり、二交代制で使うことで全校生徒に教育機会を提供することができます。

7月12日

・ウクライナのお母さんと娘たち2人の買い物手伝い+車出し。チーズや肉、魚などは店員と直接話し何グラム必要なのかなどを伝える。つまり買い物には言葉が必要となる。
・チーズを買う際、ウクライナのお母さんから「この1番安いチーズの塊を半分にして、サンドイッチ用にスライスもしてほしい。自分たちで切ると1枚が大きくなりすぎて勿体ないから」と言われそれを私がポーランド語にして店員に伝えた。

・しかし、その店員は私に片言のポーランド語で応えてきた。どうやらその方もウクライナ人だったようだ!なんだ。僕いらないじゃん。ウクライナ人からウクライナ語で聞いて、それをポーランド語に訳してウクライナ人に伝えるって、すごく無駄な作業をしてしまったように思うがこれもいい経験。今後、こういった機会は増えていくと思う。ウクライナ人とポーランド人は見た目だけでは分からない。だから街頭での募金活動で、ウクライナ避難民も「ウクライナ避難民のために募金いただけませんか」と声をかけられたことがある。その時の経験をふと思い出してしまった。

・そう考えるとポーランド人とウクライナ人に混ざって、見た目で特に違うのは私だけじゃないか。。。そう考え始めると、ウクライナのみなさんはポーランドに来て、ポーランド人に助けられると思ったらそこに想定外の日本人がいて、拍子抜けしていないかと正直心配になったりもする。もちろんこれは私だけの杞憂だと分かっているけれど。ロシア語を話していて「あなたはウクライナ東部出身?」と1度だけウクライナ人だと思われたことがある。見た目なんてどうでもいいか。ウクライナにもたくさんクリミア・タタール系の人いるわけだし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です