坂本龍太朗のワルシャワ通信(7月26日〜7月31日)

7月26日

ウクライナから日々報告が届く。パソコンを受け取った子どもたちの写真は特に嬉しい。
ウクライナには日本ではなかなか想像できないかもしれないが、パソコンはおろか両親がスマホさえ持っていないという家庭がまだまだある。そしてもちろん、東部から避難してきている子どもたちはそんな電化製品は持ち合わせていない。
何が言いたいのかというと、パソコンの価値は私たち日本人が考えている以上にとても重いということだ。日本の子どもたちは生まれた時からパソコンやスマホが家にあるのが当たり前というケースが多い。さらに学校でタブレットを使うなんていうのも最近は少しずつ一般化しているらしい。そんな環境にある子どもたちがパソコンをもらった場合と、今まで全くそんな環境にはなく、しかも戦争で疲弊している子ども達がパソコンをもらうのではわけが違う。

・嘘のような本当の話しだが、私がパソコンを渡す際、子どもたちの前でダンボールから出してその場でパソコンを開いたことがある。もちろん子どもたちは喜んでいたが、しばらくすると困ったように私にこう聞いた。「これ、どうやってつけるの?」ベラルーシに住んでいた頃、そういえば現地の大学生の友達を私の家に呼んだ時、私のパソコンを見て同じ質問をされたことを思い出した。あの時はデジカメの付け方も聞かれたっけ。
・多分、多くのウクライナの子どもたちにとって、パソコンをもらうということは、私たち日本人が突然フェラーリをもらうような気持ちなのかもしれない。
・もちろん、ウクライナには都市を中心に裕福な人達もいるということは付け加えておかなければならないが。

7月27日

・ウクライナからこんなメッセージが届いた。
・パソコンを子どもたちに届ける前に、IT専門家に頼んで言語やキーボードの設定や必要なソフトをインストールしてもらいました。今後、子どもたちはスマホではなく、パソコンでオンライン授業を受けることができます。避難所に住んでいる多くの子どもたちにはアシスタントとして大学生がついています。障害を持っていたり、孤児もいますし、両親がウクライナ防衛のために侵略軍に対して立ち上がり、戦っているという子どもたちも多くいます。
・今回いただいたパソコンで低学年の子どもたちは全員オンライン授業へのアクセスを得ました。しかしまだ、高学年では教育へのアクセスが限られている子どもたちが数多くいます。スマホしかない子どもたちもいます。もし彼らにもパソコンをいただければ、子どもたちだけではなく教師にとっても教育を提供しやすい環境になります。
・もし可能であれば、そんな子どもたちに心を1片を届けていただけませんか。

・私がパソコンを送っているのはウクライナ西部にいる子どもたちに対してである。東部の方が必要なんじゃないかと思われるかもしれない。しかし、西部は東部から避難してきた子どもたちで溢れている。東部は場所によってネット環境や電気の問題もありそもそも教育どころではない。
・将来、ウクライナ全体をインフラなどが比較的被害を受けていない西部が中心になって支えていくことになるだろう。子どもたちに夢を諦めさせたくない。子どもたちが夢を叶える過程で、ウクライナは復興していく。
・今回、「日本は共にある」というメッセージではなく、筆で「夢」と書いて送ることとする。

7月28日

・私がパソコンを送っているのはウクライナ西部にいる子どもたちに対してである。東部の方が必要なんじゃないかと思われるかもしれない。しかし、西部は東部から避難してきた子どもたちで溢れている。東部は場所によってネット環境や電気の問題もありそもそも教育どころではない。
・将来、ウクライナ全体をインフラなどが比較的被害を受けていない西部が中心になって支えていくことになるだろう。子どもたちに夢を諦めさせたくない。子どもたちが夢を叶える過程で、ウクライナは復興していく。
・今回、「日本は共にある」というメッセージではなく、筆で「夢」と書いて送ることとする。
・「今会ってから知ったけど、ヴィクトリアは僕の友達の友達だったよ」

・世界は狭い。ウクライナ支援の世界はもっと狭い。みんな「ウクライナを支えたい」という想いで繋がっているから、国が違ってもどこかでしっかり繋がっている。この友人も手首の怪我をしてしばらく支援を休んでいた。友人オルガもしばらく入院していた。でもやっぱり、みんなウクライナを助けたいと思って元気になったら戻ってくる。私はできるだけ、ウクライナ人でもなくポーランド人でもなく日本人として、この支援の輪の中で私だけにできる役割を全うしていきたいと思う。その役割はたくさんあるが、1番大きいのは周りのポーランド人やウクライナ人に「ある意味第三国であり支援をしなくてもいいような日本人がやっているのだから、当事者である自分も頑張ろう」と思ってもらうことだ。正直、これでもかと支援をして、ウクライナへの関心が薄くなって来たり、支援疲れしている人達にもウクライナについて考えてもらいたいし、何より私が支援を続けることで、避難しているウクライナのみなさんに希望を持ってもらいらい。誤解を恐れずに言うならば、日本人の私がウクライナを諦めないということは、周りのウクライナ人から祖国を諦めるという選択肢を奪うことにもなる。

歴史上、多くのポーランド人が祖国を諦め海外に出た事実を知っているからこそ、その想いも強くなる。

7月29日

・こちらはデスクトップパソコン用のモニターです。デスクトップは場所は取りますが、避難所などで数人の子ども達が同時に1つの画面を見ながら勉強する場合、パソコンよりは便利です。
・最近はパソコンを送る準備をしながら、パソコンに対し相棒をウクライナに送り出すような感覚があります。ウクライナに行って、子ども達を支えてこい。活躍してこい。優秀な人材を育ててこい。そんな声をかけながら送り出しています。
・とあるウクライナからのお母さんが言っていました。彼女が約20年前に通っていた小学校では、8年生ぐらいのときに箱型パソコンが数台学校に設置されたそうです。驚いたことはそこではなく、そのパソコンは20年経った今でも使われているそうです。「箱型パソコンの歴史博物館と言った方がいい」と冗談を言い合いました。

7月30日

・ついに撃たれた。ただ正直驚かなかった。こういう環境に送ったNISSANだったわけだし。そして同時にほっとした。ロシア軍に撃たれたのが車で本当に良かった。乗っていた人達は誰一人として命を落とすことはなかった。
・そして恐らく私に気を使ってくれている。なぜなら撃たれたときではなく、車両を直してまた活躍しているというニュースと共に報告が来たからだ。
・このNISSANは今までポーランドから物資を大量に送り、ウクライナ国内でも西から東まで物資を運び、その後民間人の避難や遺体収容などで役割を果たし続けてきた。今までどれだけの命を運び救ってきたのだろう。これからも活躍してほしいし、できるだけ長く使ってほしい。

・でも、いつどこにミサイルが落ちてくるか分からない環境に送っている車だから、いつ破壊されてもおかしくない。ただ、車が攻撃されてバラバラになったとしても、運転手の命だけは奪わないでほしい。
・次前線から電話があった時はそれを伝えようと思う。何かがあったら車は後回しでまずは人命第1。車は破壊されてもいいと。何度も繰り返すが物は買えるし直せる。しかし命は1度失われたら絶対に戻ってこない。むしろ防弾車両を買うお金がないことを申し訳なく思う。
・とにかく生き延びろ。傍受され、発信元を攻撃される可能性があるからそう何度も電話で話すことはできないが、いつもそれだけは伝えている。毎回先方からは「そう願う」という返事だけ。私は「約束する」という返事がほしいのに。でもそんな不確かなことは約束できないとお互い分かっている。今日は「これが仕事だから」と言われた。電話を切って、毎回これが最後の電話にならないことを祈っている。

・こっちは平和な週末を迎え、天気が悪いことに文句を言う。なんて贅沢なこと言っているんだろうかと自分を責めたくなる。
・神はいるのかいないのか。いるならなぜ無実の彼らは死ななきゃならないのか。それとも悪魔に負けたのか。悪魔は裁きを受けるのか。受けても命は戻らないじゃないか。イラク戦争の時も、シリアでも、ミャンマーでも毎回思う。神がいるならなぜこんなことが起こる?世界は本当に平等じゃない。平和な世界で雇用機会の平等なんて叫べることはなんて贅沢なことか。

7月31日

・実は私がウクライナに送っているものの中でパソコンはほんの1部に過ぎず、日々色んなものが家に届く。数が多いし、届く時間もそれぞれで、包み方もバラバラで中身とダンボールの表示が同じではないことがほとんど。
・今回届いた物資は本当に見ただけでは分からない。sakamoto ryotaroとだけ書いてあり、中に何がいくつ入っているのか届いた時点では分からない。配達員も正直私に何を届けているのかなんて知らない。
・開けてみるとこれは発電機4台であった。中身を確認した後、3台はウクライナ西部にある避難所にそれぞれ、残りの1台はハルキウに送った。

・西部にある避難所の受取人は「これ、本当にここで使っていいの?すごく必要で、依頼はしたけど、すごく高いものだしまさか本当に届けてくれるなんて実を言うと信じていなかった。」と涙を流して感激してくれたとの報告あり。
・今回の発電機は1台約4万5000円。これが高いか安いかは人によって意見が分かれるところだと思う。ただ、重いので搬入は簡単ではない。でも、人の命はもっとずっと重い。ウクライナから届くメッセージも重い。だからこちらも、その想いに今後も応えていきたい。

・今後もできる最大限の支援を続けていく。このまま近い将来支援金がなくなることを考えて今支援の手を緩めると、今ここで救える命が減る。あとから後悔したくないから今救えるなら今救いたい。今救える命と後で救える命、どちらが重いかといえばそれは今救える命だ。なぜなら今救った命は、今後の命を救う力を持ち続けるから。
・だから発電機も1ヶ月に1台ずつ数ヶ月に渡って長い支援として入れていくより、今すぐ全部入れてより長くより広く多くの人の力にしていくのが正解だと思う。正直言えば、長びく支援を考えて計画的にやった方がメディア受けもするだろうし、日本からの支援も長く得られると思う。でもそれは、人道的には正解ではないと思う。もちろん、お金がなくなっても支援はなくさない。そもそもお金でできる支援は支援全体の1部に過ぎないわけだし。そういった支援は写真で報告はできないが、すごく大事だと思う。

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