坂本龍太朗のワルシャワ通信(8月24日〜8月29日)
8月24日
テルノーピル州のクレメネツィ小学校に対して初の支援を行った。今月に入ってからここの英語の先生とずっと電話やメールで連絡を取り合ってきた。会ったこともない人を信じてもいいのかという意見もあったが、英語でやり取りする中でこの人は信頼出来る。子どもたちのためになる。実際に困っている子どもたちが多いと判断し第一弾としてパソコンを40台送った。
・今回、忙しい私に変わって避難しているウクライナの子どたちに大部分を手伝ってもらった。正直、私がやった方が楽な作業も多いが、彼らが祖国のために何かをするということには他とは変えられない価値がある。また、日頃から子どもたちには「最低限英語は習得しろ」と口うるさく言ってきた。そのため実際に私が学校の先生と英語で電話している様子などを見せ、例え日本人とウクライナ人であっても英語で言葉の壁がなくなるという、役に立つということを伝えたかった。そんなかっこいいことを言いながら、実は嘘だ。正直なことを言うと私にとってウクライナ語でやり取りするより英語はずっと楽なだけ。
その先生を通して学校の子どもたちに一言だけ伝えた。「私たち日本人は決して君たちを見捨てない」
8月25日
・ウクライナの子どもたちだって、祖国のためにできることはたくさんある。彼女達には自分たちの学校に送るパソコンなどに貼るシールを作成してもらっている。ふるさとから、ある意味この子どもたちを預かっている身として、力になってあげたいとずっと思っている。でも子どもたちだって私を助けたいといつも言ってくれるし、私だけではなく祖国ウクライナを助けたいに違いない。お金や知識がなくても、彼女たちが作ったシールはウクライナに届き、避難していない、または避難できていない級友たちに届く。
・シールには「日本からウクライナへ」と書かれているが、ポーランドにいる彼女たちは一体このシールを作りながら、いずれの国に対する帰属意識を高めることになるのだろう。もしかしたら、私と共にウクライナに物資を送る側として、支援する側として新たな意識も芽生えていくかもしれない。
・3人の子どもたちが2時間働いてくれた。私一人だったら6時間の作業だっただろうと思うと、本当に助かった。
8月27日
・21台のプリンターとプロジェクターをウクライナに搬入。9月から始まる新学期に備えた教育支援の一環だ。今回は詰め込みも、そして日章旗とウクライナ国旗のシールもウクライナの子どもたちに手伝ってもらった。8歳のアーニャが重いプリンターを運んでいる時ははらはらしたが、多分この少女にとっては支援物資の重みは人生の重みに直結するだろうと思ってあえて手を差し伸べなかった。
・前回パソコンを送った時は「日本からウクライナへ」と書いていたが、今回は「日本はウクライナと共にある」と子どもたち自身で考えたフレーズを書き込んでくれた。
・この支援は正直、物資の支援というよりも子どもたちの心の支援という意味合いが大きい。ウクライナで受け取った子どもたちがいかに自分たちは世界から見捨てられていないかを感じることができるか。
・ウクライナ政府も世界のウクライナに対する支援疲れが1つの大きな脅威になっていると述べている。そんな時期だからこそ、ウクライナのみなさんに落胆ではなく希望を与えることに価値がある。私には時間的も金銭的にも物質的にも限界があるが、せめて見捨てないという気持ちには限界がないということは伝えていきたい。
8月28日
・ウクライナからいただいたもの。これが何だか写真から想像してみてください。
・戦争が始まって1ヶ月後の3月末、リヴィウ州のグリニャニ郡より依頼があり服や靴など約100万円分の支援物資を購入して送ったことがあります。彼らは今でもそれを覚えていてくれ、今回副郡長率いる代表団がポーランドに来た際にお礼としてこれをいただきました。
・何かと言うと、これはグリニャニから前線に行き戦っている兵士が持ち帰ったもの。ロシア軍によって打ち込まれたミサイルの破片だ。ミサイルは全長12メートルのもので、ウクライナ軍のよって着弾前に撃沈された。前線には様々な物資が送られている。しかし前線の兵士は受け取る一方でお礼としてあげられるものがない。そのためこういったミサイルの破片などを返礼としているのだそうだ。グリニャニ郡に前線から送られた破片の1つを、お礼として私に贈ることを決めてくれたのだそうだ。そしてそれをわざわざ、ポーランドまで持ってきてくれた。
・グリニャニの副郡長は私がロシア語を話すことも知っていて、どこで学んだのかを聞いてきた。その時のやり取りだけはロシア語で行ったが、すぐにお互い阿吽の呼吸でウクライナ語に切り替えた。そういえば、最近はロシア語もほとんど使っていない。たまに電話で話す時はウクライナ語が大変なのでこちらの都合でロシア語で済ましてしまうこともあるが、やはりウクライナのみなさんとはできるだけウクライナ語を話すことが寄り添うことにも繋がると思う。
・代表団と話す中で、彼らの街で必要とされているものについても確認できた。
・今回の戦争はハイブリッド戦争だと言われる。実際の物理的な戦いだけではなく、情報戦や心理戦が繰り広げられている。そのため、世界どこにいても特に情報戦においては他人ではいられない。私は日本人として、ポーランドから、ウクライナの子どもたちとも協力して支援を続けている。そう考えるとこの支援もハイブリッド支援だと言える。今後もこの連携をさらに強固にしていかなければならない。
8月29日
・送ったらすぐに届く。これが隣国ポーランドからウクライナに支援をする上で大きな地の利となっている。
・教育支援で送ったプリンター。子供たちが学校に通えなくても資料配布などが可能になる。これを送ったテルノーピル州クレメニツェは周りを山に囲まれており、ロシア軍のミサイルに対して天然の防壁となっているため比較的安全だ。ミサイルは上空を飛んでいく。
・ここは第二次世界大戦集結まではポーランド領だった。とても単純に、考えてみたい。同様に大戦集結まで朝鮮半島は日本だった。そして韓国では反日が今でも高らかに唱えられている。もしかして、クレメニツェに住んでいる人達はポーランドに対してあまりいいイメージを持っていないのか?と疑問に思った。しかし実際に話を聞くと、今でもポーランド領であれば、今頃NATOに守られていたのにとのこと。
これをアジアに移して考えてみたい。台湾の人達は中国の脅威を受ける中でどう感じているのか。日本は日米同盟を防衛の根幹に据えている。単純すぎる論点ではあるが、頭の体操として考えてみた。