坂本龍太朗のワルシャワ通信(9月30日〜10月4日)

坂本龍太朗のワルシャワ通信

ベルギー人の父親を持つ友人オスファルドは今まで私が知っているだけでも6回はウクライナに支援物資を搬入している。
毎回会うのは日の出前、国境へ向かう高速沿いにあるガソリンスタンドで、目的は私の車から彼のバンに支援物資を積み替えること。

コーヒーを飲む時間はあっても話す話題はウクライナのことだけ。
だから正直、私たちはこんなに協力しているのに、お互いのことをよく知らない。
分っていることは、お互いウクライナのために何をしているのかということと、組むことでウクライナをより深く、広く、長く支えられるということ。

ずっとやめていたタバコも、最近彼はまた吸い始めた。戦争が終わったら、ウクライナ以外のことも話したい。その時はウクライナの方ではなく、お互いの方を見て勝利のコーヒーを飲みたい。

9月30日

・ウクライナの子どもたちから日中に送られてきた作品。まさかオンライン授業中に絵を描いているのかと思ったら、授業は今週ないらしい。
・「1週間まるまる授業がないってどういうこと?」
・「学校のインターネットなくなって、オンライン授業できないの」
・「再開はいつ?」
・「来週の月曜日だよ。今週は回線を改修してる」
・「ネット環境ってもともとよくないの?」
・「パンデミックでオンライン授業やってた時は普通だったから、戦争のせいで」


2つ目の投稿の日本語訳(12歳の少女)
戦争の時、大きな日本からの支援をありがとう。
私達は日本が大好きです。


10月1日

・ウクライナには避難したくてもできない人達がいる。そういった人たちの声はなかなか届かないが、実はそんな声が一番支援を必要としている場合がある。彼らに車がなければ、誰かがそこに届けなければならない。
・支援を求めたくても、声をあげたくても、スマホなどの手段がなければそれも叶わない人達が多い。そんなところにはメディアも入らない。しかし、そこには命があり、子どもたちがいて、生活がある。

聞こえてこない声に耳を傾け支援を届けるには、
大きな組織ではなく個人個人の繋がりで探るほかない。

10月2日

・友人を殺されたショックを引きずる週末。多くの人が死に、生活が破壊されれば私たちの心が挫けて停戦を求めるのではないか。ロシア軍はそう考え多くの命を殺めて来た。しかし友人を殺され、私のロシア軍に対する憎しみは増す一方で、心は挫けるどころかよりウクライナへの連帯感が強まっている。今まで殺害された人数は数としてニュースで流れるが、その裏には何倍もの悲しみと憎しみがある。結局自分の友が殺されここまで憤りを感じているが、ウクライナではこの7ヶ月、毎日こんな悲しみが全土で広がってきたわけで、今後も続く。それがウクライナ人の反発と強さにつながっていることをロシアは理解すべき。

・今日はリヴィウから以前いただいたウクライナのトレーナーの袖に、マジックテープを縫いつけた。今後は彼に預かったワッペンを飾るのではなく、身につけてウクライナを支える活動をしていこうと思う。これ以上、こんな悲劇を繰り返さないために。
・今まで実際に知らない人の戦死の話は何度も聞いてきた。悲しかったがやはりどこか他人事だったと思う。自分の友が殺されて初めてこんな気持ちになるなんて、過去の自分に対し猛省したい。今後はもっと一人一人の命に正面から向き合わなければならない。今まで送っていた医療支援物資だって、それを使って助かったという話にばかり集中し、その周りで殺された多くの命について軽視してきたように思う。結局僕は、ウクライナに寄り添おうとしながらどこかで他人事だったのかもしれない。友が死ぬまで気づけないなんて、本当に情けない。

10月3日

・友人がロシア軍に殺されてからも、時計は針を進め、戦争は続き、無情にも彼がいなくても世界は回っている。
・ロシア軍ではリマン奪還戦の前後で1日500人前後の戦死者を出していたが、今日は300人台。この数字が増えれば増えるほど、戦争の終わりが近づくというのが現実である。戦死者が増えればその分その後ろにいる家族や親戚、友人に悲しみが広がる。それがロシア国内の反戦運動に繋がり、プーチンを引き下ろさなければ平和は来ない。
・ウクライナはいくら兵が倒れたとしても戦いをやめることはないだろう。やめたら今まで命を張って守ってきた家族の命が危なくなる。祖国がなくなる。

・他国侵略しているロシア軍、祖国防衛をしているウクライナ軍 。死は死でも、侵略のための死か、家族や国を守るための死かによって残された者の意識は全く違うだろう。
・憎しみは憎しみしか産まない。それによって戦いが続き人が死ぬ。しかし死んでも残された者が前を向いて戦い続けなければならない状況がある。その死を無駄にしないために。
・友人から預かっていた遺品である紋章を、リヴィウ市議会の方からいただいたトレーナーにつけ、心が落ち着いたら支援という私なりの戦いに復帰しようと思う。

10月4日

・リヴィウ州グリビャニ郡に作っている避難施設より要請あり、ここ1ヶ月以上ずっと準備してきたもの。お金節約のため、ワルシャワ日本語学校から家具は全て寄贈することにする。何度も往復し、ようやく全て揃った。家で保管できないので市民体育館の一角を借りている。
・机20            ・椅子40
・プロジェクター2     ・事務机4
・プリンター1       ・パソコン6
・発電機1         ・モニター1

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