人のいとなみ・自然のいとなみ

第22号/伊勢参り、鳥交る、二輪草

投稿日:2020年4月30日 更新日:

文/石地 まゆみ

伊勢参り

伊勢参海の青さに驚きぬ  沢木 欣一

 今では誰でもいつでも参拝することの出来る伊勢神宮ですが、国の最高の神様で皇室の氏神様ですから、遠い昔は一般の人がお参りすることは叶いませんでした。
 平安時代の終わりに朝廷の財政の悪化に伴って神宮の経済基盤も弱ってきました。そこで、神官が「御師(おし)」という案内や宿の手配をする宗教者となって各地を回り、土地の寄進や金品を集め始めたのです。御師は「家内安全・農耕豊穣などすべてにご利益がある」と説き、各地に伊勢信仰が浸透してゆきました。
 室町時代になると「伊勢講」が出来ました。村ごとに旅費を積み立て、御師を案内人に連れだってお参りするような形式が出来てきたのです。

 江戸時代にはさらに盛んになって、農民も伊勢講・大々講といった団体を作り、皆の積み立て費用で、講の中の数人が代参に出掛けました。この頃農民たちは、ほぼ一生村を出ることは出来なかったのですから、旅をするいい口実だったわけです。伊勢参りは、信仰と物見遊山を兼ねた旅となる、外の世界を知る楽しい開放的な時間だったのです。御師の家で接待を受け、二見ケ浦で禊をしてから、内宮、外宮、また奥宮としてあがめられていた朝熊(あさま)山などにも足を延ばしました。
 その旅は時候のよい春に行われることが多かったので、俳句では春の季語となっています。農閑期だったせいでもあります。周囲の人に隠れてこっそりとお参りするのを「抜参り」、60年目に巡ってくるお蔭年に行くのを「お蔭参り」といいました。

撮影/石地 まゆみ

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二見ケ浦の夫婦岩。かつての伊勢参りではこの二見ケ浦で禊をしてから、外宮、内宮へと向かった。

 その昔、伊勢参りをした人々は、伊勢の海を初めて見て、さぞかし感動したことでしょう。今のように何処にでも自由に行ける時代ではなかったのですから、海を見たこともない人もいたでしょう。作者は現代の方ですが、お伊勢参りをして、その海の青く澄んだ広がりに、驚き、感動を覚えています。「ぬ」と止めたことで、その感動が強かったことがしっかりと伝わってきます。現代でもこんなに感動するのだから、昔の人は…、と、遠い昔の伊勢参りにも思いを馳せたのかもしれません。

 代参の人たちは、神札や若布、鰹節、鮑熨斗、菅笠などを買って帰って、親せきや友人に贈りました。神札は板に貼られていました。「宮笥(みやけ)」と言います。それが今の「お土産」の始まりといわれています。お土産に、こんな由来があったのですね。

   燈の入る磴を惜しみて伊勢参り  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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内宮の宇治橋前の大鳥居。

外宮の参拝所。

鳥交る

鳥交るしきりと喉の渇く日ぞ  石川 桂郎

 春から初夏、鳥のさえずりが賑やかになってきました。野鳥はおおむね、この時期に繁殖期を迎えるので、美しい声でさえずり、求愛をするのです。オスは歌うだけでなく、踊るようなしぐさをしたり羽ばたきをしたり、どうにか目を引いてメスを誘って交尾するのです。羽根の色が変わることさえあります。生き物の自然な子孫を残すための行動ですが、鳩の求愛を間近で見ていた時、そのオスの、羽根を広げたり体を地に擦りつけたり、一種ひょうきんに見える必死な動作に、思わず笑ってしまいました。鳩は実は、この時期だけでなく年に5、6回繁殖するそうですが。その時は、桜の花の散る中でした。人間世界の、女子に好かれるべく努力をする男性に似ているなあ、と思ったことでした。同様な行動でも「鶴の舞」というと、優美で美しく見えてしまうのは、少し鳩に可哀想でしょうか。「鳥の恋」という季語は、ほほえましいですね。

 作者は、鳥の繁殖行動を何気なく見ていて、やたらと喉が渇いている自分に気づきます。鳥の交尾と自身の喉の渇きと、どんな関係があるのか。息をのむ、というほどの鳥の行動ではなかったにしても、作者もその時、妻との交情を思ったのでしょうか。
 思い出したのは、人間は緊張すると喉が渇く、という説。自律神経の乱れが、なんだか熱っぽい体の状態を引き起こすのでしょう。「渇く日ぞ」と「ぞ」の強調が、作者の心の状態を表しているようで、人のいとなみの深さを感じ取れる句です。

   鳥交る古墳の裾や水を飲む  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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鳩や鳥の求愛は身近に見られる。街中でも、さえずりが賑やかな時期だ。

二輪草

膝折ればわれも優しや二輪草  草間 時彦

 4月ごろに咲くキンポウゲ科の二輪草は、落葉樹林の林や沢沿いに群生しているのをよく見かけます。一輪草というのもありますが、その名の通りこちらは一輪、そして二輪草は一つの茎に二輪の、小さな白い花を咲かせます。どちらも良く似ているのですが、二輪草の方が少し小ぶりで、その花は二輪のことも三輪のこともあります。花はたいてい同時に咲かないで、ちょっとずれて咲きますから、俳句では「姉妹」に例えられることも多いようです。
 一輪草も二輪草も、五弁の花(実は萼片)で、葉は裂けていて、すっきりとした白と緑の取り合わせには、可憐でけなげな趣きがあります。実はこの種は、学名に「アネモネ」と付き、あの園芸種のアネモネと同じ属なのです。アネモネは赤やピンク、紫と華やかな色味ですから、ちょっとびっくりですね。一輪草は一花草(いちげそう)とも呼ばれ、五弁だけでなく、菊咲一花、東一花と、萼片の数が多いものもあります。
 一輪草や二輪草は、春に花を咲かせ、他の植物が茂る夏ごろには葉を落として休眠に入る植物です。このような花は「スプリング・エフェメラル」と呼ばれ、「春の儚いもの」「春の短い命」という意味があります。その花の姿に加えて、この性質を知るとなおさら、いとおしく感じます。

 二輪草はそれほど高さがありませんから、見つけると、かがんで愛でたくなります。白いやさしい花に、作者も膝を折って顔を近づけます。少しの風にも揺れる、小さな白い花。その姿を見れば、誰でも皆、やさしい気持ちになれるのです。どんなに難しいことを考えながら歩いていても、この花に出逢うと、自然に顔がゆるんで、心も優しくなっているのに気づきます。

   一輪草古層の神のささめきぬ  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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小さな二輪草の蕊にも、日の影がひとつずつ。群生で見られることが多いようだ。

一輪草には種類が多い。左は珍しい八重咲き一輪草、左は東一花と思われる。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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