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第22号/伊勢参り

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伊勢参り

伊勢参海の青さに驚きぬ  沢木 欣一

 今では誰でもいつでも参拝することの出来る伊勢神宮ですが、国の最高の神様で皇室の氏神様ですから、遠い昔は一般の人がお参りすることは叶いませんでした。
 平安時代の終わりに朝廷の財政の悪化に伴って神宮の経済基盤も弱ってきました。そこで、神官が「御師(おし)」という案内や宿の手配をする宗教者となって各地を回り、土地の寄進や金品を集め始めたのです。御師は「家内安全・農耕豊穣などすべてにご利益がある」と説き、各地に伊勢信仰が浸透してゆきました。
 室町時代になると「伊勢講」が出来ました。村ごとに旅費を積み立て、御師を案内人に連れだってお参りするような形式が出来てきたのです。

 江戸時代にはさらに盛んになって、農民も伊勢講・大々講といった団体を作り、皆の積み立て費用で、講の中の数人が代参に出掛けました。この頃農民たちは、ほぼ一生村を出ることは出来なかったのですから、旅をするいい口実だったわけです。伊勢参りは、信仰と物見遊山を兼ねた旅となる、外の世界を知る楽しい開放的な時間だったのです。御師の家で接待を受け、二見ケ浦で禊をしてから、内宮、外宮、また奥宮としてあがめられていた朝熊(あさま)山などにも足を延ばしました。
 その旅は時候のよい春に行われることが多かったので、俳句では春の季語となっています。農閑期だったせいでもあります。周囲の人に隠れてこっそりとお参りするのを「抜参り」、60年目に巡ってくるお蔭年に行くのを「お蔭参り」といいました。

 その昔、伊勢参りをした人々は、伊勢の海を初めて見て、さぞかし感動したことでしょう。今のように何処にでも自由に行ける時代ではなかったのですから、海を見たこともない人もいたでしょう。作者は現代の方ですが、お伊勢参りをして、その海の青く澄んだ広がりに、驚き、感動を覚えています。「ぬ」と止めたことで、その感動が強かったことがしっかりと伝わってきます。現代でもこんなに感動するのだから、昔の人は…、と、遠い昔の伊勢参りにも思いを馳せたのかもしれません。

 代参の人たちは、神札や若布、鰹節、鮑熨斗、菅笠などを買って帰って、親せきや友人に贈りました。神札は板に貼られていました。「宮笥(みやけ)」と言います。それが今の「お土産」の始まりといわれています。お土産に、こんな由来があったのですね。

   燈の入る磴を惜しみて伊勢参り  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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内宮の宇治橋前の大鳥居。

外宮の参拝所。

二見ケ浦の夫婦岩。かつての伊勢参りではこの二見ケ浦で禊をしてから、外宮、内宮へと向かった。

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