夜長
長き夜の妻の正論聞きゐたり 中村 昇平
日の入りが早くなって、夜が長く感じられる季節です。「灯火親しむ」は、長い夜に読書を楽しむという季語、「夜なべ」は仕事に精を出すという季語です。いずれも夜長をありがたいと思って過ごすのですが、ここに掲げた句の作者は「やれやれ、秋の夜は長いからなあ」と困惑した様子です。
「正論」は道理にかなった議論という意味ですね。妻の発言は実に筋が通っていて正論だと耳を傾けている夫。「なるほど、確かに」と思うので異論を申し立てるつもりはないのですが、少し戸惑いを覚えているのでしょう。夜は長いのでまだまだ続きそうです。そして女性の正論はまさしく正論ですから、聞き役に徹しているほうが良さそうですね。
鴨来る
明るさに果して鴨の来てをりぬ 高田 正子
「鴨」は冬の季語ですが、「初鴨」は秋の季語で、「鴨来る」「鴨渡る」とも使われます。関東地方の池や川には10月ごろから鴨が渡ってきます。多くはロシア東部から飛来してくるそうです。身近な公園の池に注意していると、少し前までは静かだった水面に鴨の姿がぽつぽつと見え初め、真冬になるとたくさんの鴨が群れていることに気づきます。
この句の作者は鴨が来ることを心待ちにしていたのでしょう。公園に入って池のそばへ近づこうとすると、鴨の姿が見える前に、何となく気配を感じたのです。鴨の声が聞こえてきたでしょうし、水面が揺らめいていたのかもしれません。そしてついに目で鴨を捉えました。嬉しい瞬間です。冬の池の明るさは鴨がいるからだと気づかせてくれる句でした。
柿
法隆寺出て八方の柿の秋 伊藤 伊那男
法隆寺で柿と言えば、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を思い出さずにはいられません。子規の句が生まれた背景を調べると法隆寺ではなく東大寺だったという説がありますが、東大寺ではここまで有名にならなかったでしょう。斑鳩に建つ法隆寺だからこその句だと思います。
さて掲句は子規の句を充分に知った上での「法隆寺と柿」という取り合わせです。世界最古の木造建築物である法隆寺を観て、外の道を歩き始めたら、あちこちに柿が実っていたのです。そこに日本の原風景を見る気がしたのではないでしょうか。法隆寺から日本中に、八方へ文化が広がっていったように、法隆寺を出発点として柿の秋が日本中に広がるように思えたことと思います。