人のいとなみ・自然のいとなみ

第21号/御忌、鶯餅、三椏の花

投稿日:2020年4月24日 更新日:

文/石地 まゆみ

御忌

指あてて耳のつめたき御忌小袖  古舘 曹人

 「御忌(ぎょき)」は、高貴な人や寺の開祖などの年忌(毎年の命日)の法会のことを敬っていう言葉です。ですが俳句では特に、平安末期から鎌倉初期の僧で、浄土宗を開祖した、法然上人の年忌のことを指します。法然は「専修(せんじゅ)念仏」または「称名(しょうみょう)念仏」、つまり、阿弥陀仏への念仏だけで、特別な行をしなくても極楽浄土へと往生できる、と説いた人です。「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで往生できるのですから、大変な修業をすることの叶わない庶民にとっては、ありがたい話で、大人気となりました。

 今は「御忌」を4月に行っていますが、もともとは1月でした。
 上人は建暦2(1212)年の1月25日、80歳で、浄土宗の大本山である京都東山の知恩院で亡くなりました。勅命によって法会が行われたので「御忌」と呼ばれ、その頃は1週間、大々的に法要が行われていました。知恩院は江戸時代には幕府の援助も受けて、広大な寺となり、この日は年初の仏教行事として全国から大勢の人が集まってきました。皆、着飾って出掛けたので、「衣装競べ」「御忌小袖」、遊山の始めだから「弁当始め」という季語も使われました。知恩院の大鐘は有名で、京都の人は御忌の大鐘を聞かないと、正月心がしない、と言っていたとか。
 明治の初めに知恩院が御忌を4月へと変更し、他の浄土宗の寺も合わせて4月に行うようになりました。出掛けるのに季節が良いから4月へと変更したのか…は、定かではありません。ですから、「御忌の鐘ひびくや谷の氷まで 蕪村」といった句は、まだ1月に行われていたころなので「氷」がでてくるのですね。現在でも知恩院では毎年、4月18日から25日まで「御忌大会(ぎょきだいえ)」を執り行います。

 東京芝の増上寺でも4月の上旬1週間ほど行われます。献茶式を始まりとして練行列や法要、舞楽の法要など、さすがに重要な儀式だけあって、さまざまな行事・催しが行われ、出店も出ています。野点も開かれるので、着物姿の一群に出会ったことがあります。この句は、京都でしょうか、東京でしょうか。「御忌小袖」は、今でもこんな景に使ってもよいでしょう。作者は昭和時代の方ですから、4月になってからの御忌です。4月とはいえ、寒い日だったのでしょう。法要が終わって何かの拍子にふと耳に触れると、びっくりするほど冷えていたのです。今まで気づかなかった体の冷えを指先に感じた作者。桜が咲き、寺は人で賑やかではあるけれど、それは、御忌が法然の忌日だ、ということを改めて実感する身体感覚だったのでした。
 ちなみに、なかなか参拝をして詠むのは難しいからか、御忌よりも「法然忌」として使われることが多いようです。こちらだと、ああ、今日は法然の忌だと、どこにいても詠めるからなのでしょう。

   雲割つて夕日の現るる御忌詣  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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増上寺の大堂前には舞台が出来、舞楽が数曲、奉納される。

左の写真は大堂裏にある圓光大師堂で、座布団と木魚が置かれ、一般の人も上がって念仏を唱えられる。右も舞楽だが、三解脱門に向って、桜が見頃なのがわかる。

鶯餅

首ねつこやんはりつかみ鶯餅  檜 紀代

 春には楽しい和菓子がたくさん並びます。代表といえば草餅、桜餅でしょうが、鶯餅、わらび餅、椿餅と、種類はさまざまで、最近は凝ったものも作られています。どのお店で買おうか、というのも楽しい時間です。
 鶯餅は、餡を求肥や柔らかなお餅でくるんで、青大豆の黄粉がまぶされています。形は楕円形、ちょっと左右を引っ張ると、まるで鶯を思わせる形になります。緑色の黄粉や形に、春を告げる鶯を思いながら食べるのは、楽しみです。鳴き声も聞こえてきそう。

 鶯餅はまわりの求肥がとても薄いので、ちょっと触っただけでも形が崩れてしまいます。また、せっかくの緑色の粉も、はらはらとこぼれてしまうので、優しく優しく、つまみあげます。ちょうど、鶯の首のあたり。首根っこを摑むのは、なんだか、子猫の首を持つような感じですね。「首」と「鶯餅」だけが漢字であとは全部、平仮名で表記されているのが、とても柔らかい鶯餅らしくて、その様子を思い浮かべる読者も、つい、笑みがこぼれてしまいます。

 ちなみに鶯餅は、天正時代に大和郡山城主の豊臣秀長が、秀吉を招いた茶会を開くときに、御用菓子屋に珍しい菓子を作るように命じて出来たのだそう。気に入った秀吉が「鶯餅」と名付けたといいます。

   眠たくて鶯餅のよく伸びる  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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鶯餅の粉はこぼれやすくて、口が粉だらけになることも。
下の草餅や道明寺に比べて、柔らかいのも特徴だ。

三椏の花

文机や三椏明り降るほどに  小林 康治

 ジンチョウゲ科の三椏(ミツマタ)は、中国が原産で、和紙の原料として渡来し、栽培されるようになりました。枝の先が三本に分かれて、3つの叉ということからの名付けです。和紙に使われる植物で有名なのは、楮(コウゾ)、雁皮(ガンピ)などがありますが、繊細で光沢のある平滑な紙が出来るとして、三椏の樹皮も人気がありました。それに強いので、紙幣にも使われているのです。実は、身近な植物だったのですね。
 葉が出る前に、小さな球状の花を付けますが、その毬のような塊りは、いくつもの筒状の花が寄り集まって出来ています。花は初め白く、開くほどに、その先が黄色く変わっていきます。

 家庭でも庭先に植えられているのをよく見かけます。花の無い時期にはただの枯れ枝で、気づかず通り過ぎてしまいますが、花が咲くと、その白と黄色の毬のような塊りは、春光を浴びて、輝きます。文机に向かって筆を走らせていた作者。目を休めようと、窓に目を向けます。そこには、まぶしいほどの、光の粒のような三椏の花が咲いていました。下向きに咲く三椏の花は、降るように、群がり咲いていたのです。その明るさに、稿を継ぐ間のひと時の安らぎを感じています。

   化身とは三椏の咲く門に入る  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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毬のような姿、口先だけが黄色い小さな花は、和紙の材料としてだけでなく愛されてきた。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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