季語でつなぐ日々

第19号/立春、雪解、梅

投稿日:2018年2月6日 更新日:

立春

肩幅に拭きゆく畳春立ちぬ  小西 道子

 春の最初の二十四節気は立春。「春立つ」とも言います。今年は2月4日でした。「暦の上では春になりましたが」という言葉がよく使われる通り、立春を迎えたと言っても、急には暖かくはなりませんね。でも俳句では、立春を過ぎると、春の季語が使われることになります。立春を過ぎてからの寒さは「春寒(はるさむ)」「余寒(よかん)」「冴返る」という季語で表します。

 この句は畳を拭いている動作を描いています。雑巾で畳を拭きながら後ずさりして行くとき、手の動きが肩幅ぐらいに左右に動くというのです。この具体的な表現によって、きびきびとした作業が目に浮かぶ句となりました。立春の水も畳もまだ冷たいでしょう。けれどもリズミカルに拭いてゆく姿には春の訪れで心が弾んでいることが見て取れます。

雪解

光堂より一筋の雪解水  有馬 朗人

 雪は冬の季語ですが、雪解は春の季語になります。「ゆきどけ」または「ゆきげ」と読みます。冬でも天気が回復すれば雪は解けるのですが、雪の多い地方では春になってはじめて雪が解けることを実感します。したがってこの季語は積雪の多い地方の季語と言えるでしょう。

 「光堂」は中尊寺の金色堂です。藤原三代の栄華を今に伝える建物ですね。作者は早春の或る日、そこを訪れて雪解の水が流れていることに気づいたのでしょう。残雪に陽光が射して美しい光景だったと思います。実景を詠んだのだと思いますが、「光堂」という固有名詞が生かされ、たいへん有名な句になりました。三代で儚く終焉した運命が、やがては消える雪解水に象徴されている、と鑑賞されることが多いです。

 けれども私は、雪解水の季語によって、千年前の建造物が大自然の中で今も息づいているように感じられてなりません。


ウチノメ屋敷 レンズの目様のブログから画像をお借りしました。
ありがとうございます。

たくあんの波利と音して梅ひらく  加藤 楸邨

 梅の花が香る季節になりました。寒さの中でもけなげに咲いて香りを放ち、清楚な風情で人の心を惹きつける梅の花。『万葉集』の時代から数多の詩歌に詠まれてきた伝統的な花です。

 その数多の梅の句の中で、この句はユニークです。たくあんを食べることと梅の花とは、一見何の繋がりもありませんが、たくあんを嚙んだときに音を立てると、梅の花がぱっちりと目を開いたように見えたというのです。感覚的なことですが、なぜか共感できますね。たくあんの庶民性が梅の花の優しさに通じてもいます。「波利」を「ぱり」と読む人と「はり」と読む人がいますが、「はり」のほうが乾いた空気に合うような気がします。

 梅という伝統的な季語を、既成概念に捉われず、思い切って感覚だけで詠んだこの句は、多くの人の共感を得ています。そのことにも元気をいただける句です。

藤田直子先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

-季語でつなぐ日々

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事

第5号/小暑、蠅叩、蓮

小暑 小暑かな佃煮選ぶ佃島  田中 風見子  7月には小暑と大暑の二つの二十四節気があります。初めに来るのは小暑で、今年は7月7日が小暑に当たります。  本格的な暑さの入口という意味の小暑ですが、日本 …

第22号/春分、木の芽、桜

春分 春分の田の涯にある雪の寺  皆川 盤水  春分も二十四節気の一つです。太陽が春分点を通過する時刻が春分ですが、その時刻がある日を暦で春分と呼んでいます。今年は3月21日でした。この日はお彼岸の中 …

第38号/神無月、冬の波、枯芒

神無月 神無月跳んで帽子を掛けて子は  国東 良爾   神無月は陰暦10月のことです。陽暦に直すと1か月ぐらい遅くなりますから、歳時記では初冬の季語になっています。  この月は古くから、諸国の神々が出 …

第14号/小雪、障子、石蕗の花

小雪 小雪や声ほそほそと鳥過ぐる  鍵和田 秞子    小雪は、立冬から十五日後、雪が降り始める頃という意味を持つ二十四節気です。地域によっても異なりますが、雪がまだ降っていない土地にも、山間部の雪の …

第33号/九月、秋の蝶、曼珠沙華

九月 それぞれの丈に山ある九月かな  三森 鉄治   暑さはまだ残っているものの、日差しは明らかに穏やかになり、ほっとできる9月を迎えました。子どもたちは学校に行き始め、大人たちも、暑い時期には先送り …