人のいとなみ・自然のいとなみ

第19号/涅槃会、野焼き、蕗の薹

投稿日:2020年4月7日 更新日:

涅槃会

現し世の櫛落ちてをり涅槃寺  木田 千女

 お釈迦様が入滅(亡くなること)された日、旧暦2月15日は、各寺院で「涅槃会」(常楽会とも)という法会が行われます。4月8日の灌仏会(釈迦の生誕日)、12月8日の成道会(悟りを開いた日)とともに、釈迦の三大法会として重んじられているものです。

 「釈迦」は、古代北インドのシャカ族の出です。「釈迦牟尼」「仏陀」と言われますが、それは尊称で、元の名は、ゴータマ・シッダールタ。この名を筆者が知ったのは、若いころ読んだヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』でした。一般に使われている「ブッダ」とは梵語で「悟れる者」「目覚めたる者」という意味なので、もともとは、釈迦一人を意味する言葉ではなかったそうです。
 さて「涅槃」ですが、これは「寂滅」のことで「すべての煩悩を解脱した、悟りの境地」のことで、そこから、肉体を離れた釈迦の入滅の意味となったのでしょう。

 日本では奈良時代に元興寺(興福寺)で行われたのが初めといいます。平安時代には舞楽を伴った盛大な法会が行われていたそうです。
 インドでは涅槃像が多いようですが、日本では「涅槃図」を掲げる寺が多いですね。臨終の釈迦が沙羅双樹の下で「北」を頭に横たわっている図で、「寝釈迦」とも呼ばれています。そこから「北枕は縁起が悪い」という俗信ができたようですが、お釈迦様はいつも北を頭に寝ていらした、などという話もあり、風水的にも良いのだ、などという話も聞きました。
 涅槃図には、釈迦の周囲に仏弟子を始め諸菩薩、鬼神、禽獣などが嘆き悲しむ様子が描かれています。天からは釈迦の聖母摩耶夫人が嘆きつつ出迎えます。季語にある「涅槃変」の「変」は、変相図(仏教説話を図絵にしたもの)のこと、「鶴の林」は、沙羅双樹が悲しんで鶴のように白くなったことから。「お釈迦様の鼻くそ」などという風習もありますが、「花供御(はなくご)」からの訛といいます。言葉の変遷は面白いですね。

 涅槃会の句では、釈迦の姿、集まった人や鳥や獣を詠む句がよく見られます。この句では、それとは違って涅槃寺の「床」に目を向けています。しかも、生きる人の使う「櫛」が落ちている様子です。どんな女性が落としていったのだろうか、どんな思いで涅槃図を見ていたのだろうか・・・。「死」の図に対して、「現し世」を詠んでいるのです。「死」と「生」がそこにあり、こんな詠み方もあるのか、と、教えてくれます。

   涅槃図へ灯して部屋のふくらみぬ  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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一般公開されていない寺で、たった一人で拝観させていただいた。

寝釈迦の周りでは、嘆き悲しむ弟子や鬼神が。

左は集まった禽獣、右は聖母摩耶夫人。

野焼き

野を焼けば焔一枚立ちすすむ  山口 青邨

 「野焼き」「山焼き」は、新しい草がよく生えるように、春のはじめに枯れ草を焼くことです。奈良若草山の山焼きは一月ですが、阿蘇の野焼きや箱根の山焼き、渡良瀬遊水地の葦焼きなど、二月から三月にかけて行われます。火入れをしないで放置すると、草原は森林化して雑木林になってしまうとか。植生としても、必要な作業なのです。今は様々な規制があって、野焼きも徐々に姿を消してはいますが、このような大々的な野焼きでなくても、ちょっとした村はずれや小さな山裾で見かけることがあります。村人の生活の一部であると、しみじみ感じます。

 焔を「一枚」と数として詠んだことが目を引きます。枯れ草ですから、火を付けると簡単に燃え上がります。ところが、一気にすべてが燃えてしまう訳ではなく、最初の枯れ草から次の枯れ草へと、案外、時間をかけて進んでいきます。風の穏やかな日を選んで火入れをするので、まさに、「焔一枚」がじわりじわりと進んでいくように見えるのです。まるで「焔」という巨人が、ゆっくりと歩いていくような感じです。

 くすぶった煙の中の焼野に降りると、ふわふわ柔らかく、いつまでも歩いていたい気分にもなります。靴で灰を掃えば、その下には必ず焼け残った植物の根が見えます。土の中にはきっと、様々な虫たちも逃げ込んでいるのでしょう。焼けた灰が肥料となり、この根や虫たちがまた、新しい命を輝かせるのです。

   眷属は猛き鳥なる野焼かな  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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人の姿のように立ち上がる野焼きの炎。

遠野火。渡良瀬遊水地にて。

野焼きが終わった後を「末黒野(すぐろの)」という。ここから、新しい芽吹きが始まる(箱根にて)。

蕗の薹

目覚めたる土の味なり蕗の薹  花野 くゆ

 野に蕗の薹を見ると、春の訪れを感じますね。まだ冷えの残る季節でも、ほんの少し頭を出している薄緑色の蕗の薹を見ると、やっと冬を抜けたのだ、と嬉しくなります。自生しているものは、地方によって出る時期が違い、北方の雪が解けるころに芽を出す姿は趣きがあります。雪の降らない地域では1-3月頃。今年は暖かだったせいで、ずいぶん早く見かけました。うかうかしていると、すっかり伸びきってしまっています。

 蕗の薹は蕗の子ども。「薹(とう)」は、アブラナや蕗の花軸のこと。「薹が立つ」という言葉もありますが、成長して食べられなくなった頃のことを言って、年ごろを過ぎてしまったことを言いますが、蕗は育ってもまた、美味しく食べられますから、少し可哀想な言い方ですね。
 蕗の薹は鮮度が重要。摘んだばかりだと清々しい香りがあり、大きくなってくるとアクやエグミが強くなってしまうのです。「蕗のしゅうとめ」「蕗の姥」は、この大きくなってしまったものを言いますが、花が咲いてしまっても、茎などは結構、食べられるのだそうです。

 採ってきた蕗の薹。天麩羅や蕗味噌、おひたし・・・と何を作ろうか、と楽しみになります。ほろにがい、独特な香りの春の風味。食べた瞬間に、それが口いっぱいに広がります。ああ、これは、春の目覚めの味なのだ、と感じた作者。土が育ててくれた春一番の恵みをいただくありがたさ。土も春の日差しを感じ取って、目覚めたのです。「土の味」としたことで、土さえも、私と一緒に春を喜んでいるのだ、と、感じたことでしょう。

   ふきのたう一言主(いちごん)さんに婆ふたり  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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たっぷりと採れたフキノトウ。さて、何を作ろうか。

長けてしまうとあまり見向きをされないが、一つ一つの花も趣がある。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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