人のいとなみ・自然のいとなみ

第11号/重陽、蟷螂、鳥兜

投稿日:2019年10月4日 更新日:

文/石地 まゆみ

重陽

一笛に夜気の澄みゆく菊の酒  林 瑞夫

 陰暦9月9日は重陽(ちょうよう)、今年の陽暦では10月7日にあたります。「菊の節句」という言葉も聞いたことがあるかもしれません。
 中国の陰陽思想では、1から9までの数字のうち、奇数を陽数といって、縁起がいいものとされています。1月7日、3月3日、5月5日、7月7日……。みな、陽数です。中でも一番大きい「九」が重なる9月9日は、特別に佳い日として、不老長寿、繁栄を願う行事が行われてきました。古代、桓景という人が神仙の術の達人に、「9月9日に大災厄がある。赤い袋を縫い茱萸(しゅゆ=グミのような植物)を入れ、山に登り、菊花の酒を飲めば、災いは消える」と言われ、一家で山に登り、その後帰ってみると家畜がすべて、死んでいた。そこで、この日に高い丘などに登る「登高」や「須臾の袋」、「菊酒」という風習が始まったといいます。

 日本でも、飛鳥時代、天武天皇の時代から宴が催されています。平安時代にも「菊酒」は、中国での故事と、菊の花の香りと気品によって、邪気を払って寿命が延びる、と考えられていました。「菊花の宴」「菊の節会」として群臣が詩歌を作り、菊酒を賜ったそうです。江戸時代までは五節句の一つとして、民間でも盛んでした。

 面白い行事が、「菊の被綿(きせわた)」というもので、前夜、菊の花を綿でおおいます。その際「仙人の織る袖にほふ菊の露 打払ふにも千代は経ぬべし」という歌を唱えます。露や花の香りを綿に移し、9日の朝、その綿で体を撫でると長寿が保てる、ということで、『枕草子』にもその様子が出ています。菊の露は長寿の薬、とは優美な行事ですね。現代ではほとんどすたれてしまったのが、残念です。
 菊は、十月、十一月が見頃。この行事も七夕などと同様、旧暦で行うのが、合うようです。「菊合せ」(左右から菊の花を出し、歌などをつけて優劣を競う遊び)も本来は、この日の行事でした。のちには、重陽の日とは関係なく、菊の品評会として江戸大名の間で行われていたようですが。今の菊花展などのコンクールと同様だったのでしょう。

 この句の作者は、どこかの菊の節句の催しに行かれたのでしょう。旧暦9月の、ひんやりとした夜の空気が、辺りを包んでいます。かつては風俗歌(くにぶりのうた=日本固有の歌舞)なども奏したという菊花の宴ですから、それにちなみ、優雅に笛や琴の演奏もあったのでしょう。曲は、高く響く笛の音の一つから、始まりました。秋の夜が、さらに、引き締まり、澄んでいきます。作者はその夜の気配を愛しみ、いにしえ人に思いを寄せながら、長寿の菊酒を味わっているのです。

   菊の綿明治の椅子に深く掛け  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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菊に薄い綿をかぶせていく。右は、部屋に飾ってあるもの。後ろの掛け軸も、「菊慈童」という、菊の露を飲んで不老不死になったという説話のもの。「菊慈童」は能の演目にもなっている。東京谷中の旧安田邸での行事だが、杉並の大宮八幡宮でも「菊被綿」が行なわれている。

こちらは、菊酒ならぬ菊茶。お菓子も谷中の「菊あられ」

蟷螂

蟷螂は馬車に逃げられし馭者のさま  中村 草田男

 頭が三角、前脚が鎌のようで、その姿が楽しいカマキリ。秋になると、良く見かけます。日本には15種類もいるのだそうです。俳句では「かまきり」以外に「蟷螂(とうろう)」と使うことが多いのですが、他に「いぼむしり」「祈り虫」とも呼ばれます。

 「蟷螂」は中国から渡ってきた漢字で、車が来ても逃げないので、「當郎」(あたり屋)から来ているといいます。「蟷螂の斧」という諺を聞いたことがあると思います。弱いものが、自分の力を考えないで強い敵に向かっていくこと。人や車が来ても逃げず、斧を挙げて身構えるという習性が、このような字を生んだのでしょう。
 「いぼむしり」は、この虫で撫でればイボがなくなる、という俗説から。「祈り虫」は獲物を狙うときに前脚を揃えて拝むような姿をするから。もともとの姿も面白いですが、その動きが様々で、ついつい、怒らせてみたくなります。動くものは餌だと思って向かってくるので、指を出すと、ひょいっと鎌をもたげてくるのです。

 冬の季語で「枯蟷螂」というものがあり、緑色の蟷螂がだんだん枯れて茶色くなってくる、というふうに思われていますが、実は生まれてから色は変わらず、種類と、生まれた場所(緑が多いか、土が多いか)で決まってくるようです。

 鎌のように振りかざした姿が、馬車をあやつる馭者(ぎょしゃ)の、鞭を振り上げた姿に重なった作者。たしかにそう言われると、そんな姿に見えます。でも、蟷螂の前には、馬車は無く、逃げられた、と表現しました。ちょっと、間抜けなような、哀れなような。作者の自註にも、鎌を「準備運動として後方へ振り上げはしたものの、肝心の打ち下ろすべき対象が消え果てている」と書かれています。ただこの句は終戦直後の作品で、その時代の複雑な背景を持った句でもあります。「打ち下ろす対象物」が見えないのは、現代でも同じような気がします。

   首傾げゐる蟷螂と独裁者  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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三角の頭は、よく動く。鎌に細い腰、ぷっくりとした腹、面白い造形だ。

死んだものには興味を示さないが、生きていると、素早くとらえ鎌のような前脚で、がっしりと抑え込む。逆さになったまま、1時間でも餌にむさぼり付く姿は、ちょっと、恐ろしい。

鳥兜

とりかぶと紫紺に月を遠ざくる  長谷川 かな女

 トリカブト、と聞くと、即「毒物」を思い出し、怖い感じがしますが、花は濃い青紫で美しく連なり、秋の山林に見られます。とても惹かれる美しい色なのですが、たしかに日本三大有毒植物のひとつで全草にアルカロイドという毒を持っていますから、気をつけなくてはいけません。が、干した根は「鳥頭(うず)」、「附子(ぶし)」という漢方となり、鎮痛、リウマチ、強心剤として使われてきました。世界で初めて全身麻酔で外科手術をした華岡青洲も、このトリカブトを使ったのでした。

 「鳥兜」の名は、この花の姿が、舞楽の舞人の冠である「鳥兜(鳥甲)」や、古来の衣装の烏帽子などの被り物に似ているから、とか、鶏のトサカに似ているから、と言われています。英語では「Monkshood(修道士のずきん)」や「Helmet flower(兜の花)」と呼ばれ、そこから花言葉は「騎士道」「栄光」とあります。「復讐」という花言葉もあるのは、毒があるからでしょう。

 花の青紫色は、とてもしっかりとした色です。まさに「紫紺」です。夜に入っても、その花の存在感はあるのでしょう。この句には、毒草といったイメージよりも、その美しさと力強さに焦点があるように思います。いわば、孤高とか、孤独といったようなもの。普通なら、月の明るさを引き込むようにとらえるものですが、この花は、月を遠ざけています。月よりも、己れの紫紺に矜持を持っているのです。

   鳥兜やまとをぐなの峯尖る  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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毒草だと知らなければ、手折りたいような鮮やかな紫紺。(東京・御岳山)

兜のような花は、実は、萼片。園芸種の「ハナトリカブト」というのもあるらしい。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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