立秋
秋来ると文(ふみ)の始めの佳きことば 松浦 加古
立秋は秋の初めを表す二十四節気で、今年は8月7日に当たります。俳句では「秋立つ」「秋来る」「秋に入る」「今朝の秋」などという季語でも詠まれます。
立秋を境に、暑中見舞いは残暑見舞いになりますね。前日と同じ暑さが続いているのですが、立秋のあとは「残暑」と受け止めるのが慣いです。
この句の作者も「暦の上では秋になり・・」と、立秋の挨拶で手紙を書き始めたのでしょう。他にどんな表現があるかと思いをめぐらせると、「初秋の候」「爽秋のみぎり」「新涼の折」といった言葉が浮かびます。どれも秋の訪れを表現した爽やかな言葉です。四季がある国の、四季を彩る美しい日本語で手紙を始める習慣。そのことに改めて気づいたのも、空が澄み、水が澄む秋になったからでしょう。
日中の暑さはまだ厳しいのですが、朝夕に秋の気配を感じさせる風が吹き、蜩が鳴きはじめました。秋の入口に立ったのです。
蜩(ヒグラシ)
魂まつり
電線が家に入りゆく魂まつり 遠山 陽子
「魂まつり」は、お盆(盂蘭盆会)の行事のことです。東京では7月にお盆をしますが、本来、旧暦7月に行う行事なので、新暦の8月にお盆をする地域も多く、お盆の帰省は8月、歳時記でも秋の季語です。一般的なしきたりは、お盆の入りに迎え火や盆提灯で先祖の霊を迎え、花や果物などを供えた精霊棚の前で僧侶に棚経をあげてもらい、最終日は送り火で祖霊を送ります。
この句はその「魂まつり」を詠んでいるのですが、墓も寺も、僧侶も盆棚も出てきません。電線と家だけです。作者はおそらく、迎え火を焚くために門の外に出たのでしょう。そのときふと電線が電柱から引かれて家に繋がっていることに気づいたのです。家に入ってゆく電線を見て、先祖の霊がそれぞれの家に入ってゆくことも自然な流れと思ったのではないでしょうか。
亡き人への感傷的な思いを抑え、即物的に詠みながらも、魂まつりへの思いを表現しています。
窮屈堂庶務課様のブログから、迎え火の写真(下)を掲載させていただきました。
朝顔
朝顔のやはらかく張りつめてをり 後藤 信雄
朝顔の蔓が支柱に巻きついて花が次々に咲き始めました。窓辺の朝顔は軒の近くまで咲き上って、道行く人の目を楽しませています。
朝顔の観察が夏休みの宿題になるので夏の花だと思われがちですが、歳時記では秋の花に分類されます。旧暦の七夕の頃に咲く花で、牽牛花(けんぎゅうか)という別名も持っています。
朝顔は奈良時代の末に薬用植物として渡来しましたが、いつの頃からか花を愛でるようになりました。江戸時代になると品種改良が進み、爆発的な朝顔ブームが起こったそうです。入谷の朝顔市もその頃に始まりました。
この句の朝顔は藍色がふさわしいでしょうか。ピンと張って開く花びらの凜とした様子と、少しの風にも震える薄くて柔らかな花びらの様子を同時に表現しています。
柔らかな物腰でありながら凜として崩れない、美しく清楚な人の姿も想像させますね。