麦の秋
教科書を窓際におき麦の秋 桂 信子
「麦の秋」は、「秋」と付いていますが、夏の季語です。麦の穂が稔り、黄色く熟してゆく頃を、麦にとっての実りの秋だという意味で「麦の秋」と呼びます。「麦秋」と書いて、「ばくしゅう」としても使われます。五月の半ばから七月にかけて、麦畑が一面の黄色になっている風景には、どこか異国の雰囲気があり、また、懐かしさも感じられます。
この句は学生の机を詠んでいるのでしょう。一冊の教科書を窓際の棚か机に置いた句とも読めますが、私は昔の机を思い出しました。最近のデラックスな学習机は棚が付いていますが、昔は教科書を机の上に立てて並べたものです。机は明るい窓辺に置かれていましたから、教科書の向こうに外の景色が見えました。この作者の家からは麦畑も見えたのでしょう。そして麦秋の頃になると、その光景を思い出すのではないでしょうか。家族が多かった昔、自分の机を与えられたときの子どもはほんとうに嬉しそうでした。
ざりがに
ざりがにの形に泥の動きけり 佐田 素子
暑くなって、水辺で遊びたくなる季節になりました。池や小川でざりがに釣りをしている子どもを見かけると、室内ゲームばかりでなく自然に触れている子がいて良かったと思います。ざりがには簡単に釣れますが、ちょっとしたコツも必要で、そのコツを掴んだり、餌の工夫をしたりする楽しさがあります。よくやっているのは、割り箸の先に糸をつけて小さく切ったスルメを結び付けて垂らすと、ざりがにが食い付いてくるというやり方です。スルメがちょうど良いのは、水でふやけても崩れず、ざりがにの鋏ではちぎれないからです。
ざりがには澄んだ水の中にも見えますが、泥の中に隠れていることが多いので、泥に餌を垂らして探ってみます。そのときにこの句が生まれたのでしょう。泥まみれのざりがには泥と一体になって判別がつきにくいのですが、泥がざりがにの形に動いた、と思ったのです。写実的な表現で、ざりがにの生態を掴んでいます。
道の駅 サシバの里いちかい様より画像をお借りしました。
ありがとうございます。
紫陽花
紫陽花剪るなほ美(は)しきものあらば剪る 津田 清子
紫陽花を見かける季節になりました。庭や公園では昔ながらの青い毬の紫陽花が多いですが、花屋さんには新種が並んでいて色も形も多彩。その名も、墨田の花火、万華鏡、アナベル等と付けられていて、命名に感心しつつ眺めるのも楽しいですね。
この句は庭の紫陽花を剪って部屋に活けた場面だと思います。「なほ美しきものあらば剪る」の強い言葉に驚かされますが、紫陽花が非常に美しいことを讃えているのです。そして作者の美への貪欲な追求が感じられます。
心の奥に、土に咲いている花を剪ることへのうしろめたさがあったのかもしれません。花瓶に活けて部屋で眺めるというのは花を独占して我が物にするという行為とも言えるでしょう。でも、梅雨の鬱陶しい季節、瑞々しい紫陽花を部屋に飾ると気分が一新することも確かですね。