秋分
秋分の灯すと暗くなっていし 池田 澄子
秋分は昼と夜の長さがほぼ等しくなる、二十四節気の一つです。今年は9月23日に当たります。
俳句の歳時記で「秋分」は、他の二十四節気と同様に「時候」の項目に分類されています。
ところが、「秋分の日」という季語が別にあって、それは歳時記の「行事」という項目に分類されています。紛らわしいのですが、秋分の日は秋のお彼岸の中日で、国民の祝日になっていますね。ですから、その意味で詠まれた句は「行事」の「秋分の日」に採録されているのです。
ここでは時候の「秋分」の句を揚げてみました。夕方になって、部屋の電気を点けたら、ぱっと明るくなったのです。灯すと明るくなるのは当たり前なのですが、灯したら暗くなっていたことに気づいたというのです。実感がありますね。
秋分が過ぎると毎日、少しずつ夜が長くなって、「夜長」の季節になります。
月
月照らす京都に金と銀の寺 名村 早智子
「月」は秋の季語です。月は四季を問わず、俳句に詠まれますが、大気が澄む秋は特に月が明るく美しいので、単に「月」と言えば、秋の月を指すことになっています。
古来から「雪月花」は詩歌の伝統の言葉で、季語の中でも最も重要な位置を占めているのですが、その一つが「月」です。
この句の寺は京都の金閣寺と銀閣寺です。中秋の名月が天心にさしかかってゆくとき、月明りが銀閣寺に射し、そして金閣寺も照らしてゆくという美しい光景です。
二つの寺を「金と銀の寺」と表現したことで、夜に輝く光を想像させますね。京都にお月見の行事は多いのですが、天上から俯瞰したときに最もふさわしい寺は金閣寺と銀閣寺と言えるかもしれません。
古典的な季語ならではの堂々とした詠みぶりの俳句です。
木犀
銀木犀文士貧しく坂に栖み 水沼 三郎
九月の末ごろになると木犀の香りがどこからともなく漂ってきます。ほとんどが金木犀で、濃厚な香りを放ちますが、ときどき銀木犀に出会うこともあります。
銀木犀の花は白くて、香りはそれほど強くありません。でもその控え目な風情は床しくていいものです。
この句の文士の坂はどこでしょうか。馬込の文士村、田端の文士村が東京にあります。どちらも坂の多い地形ですね。「文士」は最近使われない言葉なので懐かしいですが、明治時代の文豪かもしれません。「貧しく」と書かれているのは、後年に有名になった文士が若い頃に住んでいた家でしょう。今のようにマンションが無かった時代は、貸家が多くあって、わりあいに気軽に貸家を引越したりしたものです。作者は「~が一時期住んだ家」という標識の前に立って、若き日の文士を偲んだのです。
上品で控え目な銀木犀がぴったりの風景だと思います。