2100年の人たちから見たら現代人とはどんな人?
これから80年とちょっと先の2100年を想像してほしい。
いきなりそんなことを聞かれても、どうして2100年なのか、疑問に思われたことでしょう。
正しくは83年先の話だが、このときの特許の世界がどうなっているのか想像してみるのもいいかもしれない。そのためには次の世紀がどういう世の中になっているのか知る必要がある。
83年先を遠い先のことと考えるか、比較的身近に感じるかはその人の経験量と感性にも関わってくるだろうが。
さて、あなたは会社などの知的財産グループに所属している人だろうか、それとも特許事務所で働いている弁理士か、それとも特許庁で審査官をされているのだろうか。
それともこれらの職業とはまったく関係のない人たちだろうか。特許と関係のない4番目の方が圧倒的に多いことだろう。
特許とは無関係だからといって、これから始まる話を無視していいものかどうかはもう少し先を見て決めた方が良いように思う。
話は変わるが、今の時代を歴史的に評価するのは現代から見たら未来の人たちだ。歴史のことをいろいろ解説する先生方も昔の人から見たらはるか先の未来人だ。
そういう事だから、現代を評価するためには、われわれが未来人になる必要がある。それで、80年ほど先の2100年の人たちが現代のわれわれを見たらどのように思うか、それを想像してみたい。
2100年というと、今日生まれた子供が83歳の老人の世界に入っている、そういう状況にあるのが2100年だ。さて、この時代の青年や中年、老人たちはどのような世界で、環境で暮らしているのだろうか。
以下の表(注1)を見てほしい。
コンピュータ | 人工知能 | 医療 | エネルギー | 宇宙旅行 | 富の未来 |
---|---|---|---|---|---|
心が物を支配する | 機械に意識が芽生える | 老化を逆戻りさせる | 磁力で走る車と列車 | 宇宙エレベータ | 商品資本主義から知能資本主義へ |
心を読む | ロボットが人間を超える | われわれは死なざるを得ないのか | リニアモーターカーと磁気浮上式自動車 | スターシップ | デジタル格差 |
心を読むことの倫理問題 | フレンドリーな人工知能 | 生体時計 | 天からのエネルギー | 原子力ロケット | 勝者と敗者-国家 |
私の脳をスキャンする | ロボットとの融合 | 多少の希望 | 地球脱出 | 未来は誰の手にも | |
念力と神々の力 | サロゲートとアバター | ネアンデルタール人、マンモスの復活、ジュラシックパーク? | 未来に向けた課題 | ||
特異点の前にある障害 | すばらしい新世界 | ||||
細菌戦争 |
これは、2100年に予想される科学技術をまとめたものだ。
表の左端のカラムを見てほしい。2100年には現在の形のあるコンピュータは姿を消してなくなっている。
パソコンがなくなると困ると嘆くことはない。今のような形をしたパソコンはなくなるけど、どこにでもパソコンやコンピュータがあるような世界になっている。
例えばあなたが友人や奥さま、もしくは恋人と向かい合って食事をしているシーンを想像してみてほしい。あなたが、「何々を調べてー」って言葉に出すとか、単に頭で念じるだけで壁やテーブルに、もしくは目の前の空間に望みの情報が映し出される。もちろん、音声でも教えてくれる。完全なるユビキタス(どこにでもコンピュータがある)社会になっている。
例えばこうだ。「今夜はイタリアンでシャルドネがいいわ」、なんて、念じればいい。
そうすると、レストランの雰囲気や評判、メニューを紹介してくれる。気に入れば予約まですべてやってくれる、そういう世界になっている。
どうだろうか、素敵な世界ではないだろうか。
もちろんこんなにいいことばかりじゃない。頭で念じるだけでユビキタスコンピュータが人の心を読み、感じるのだから、コンピュータがその人の心を誘導し、知らない内にある方向に先導され、コントロールされるかもしれない。それにヒトがあることを思ったとたん、そのことが見知らぬ相手に伝わるような、心のハッキングが起こるかもしれない。
個人のプライバシーや尊厳も無視され、なくなっているかもしれない。こういう事になると、これは困ったことになる。しかも、それが常識化しているのかもしれない。
それをカバーし、防止するために完全な管理社会が出現している可能性もある。つい最近のこと、アメリカのFBI捜査局とアップルiPhoneの情報ロックを解除しろ、しないで論争になっていた。
話は変わるが、NHKの特別報道番組にもあったように2100年には老化防止の薬はもちろんのこと、認知症の改善薬や若返りの薬もできている。そうすると、老化防止の薬が間に合った世代とその少し前の世代とではとても大きな不公平というか、極端な場合、生死を分けるほどの違いがでてくる。薬の入手だって当然、お金持ちが早いことになる。
そんな不公平なこと、あり得ない、とお怒りだろうか。人の命はみんな平等なはずだ、と。
薬の開発当初は生産量も少ないし、開発費だって想像できないほど高い。これらの費用を回収し、企業としての儲けを出す必要もある。だから、発売初期は高価な薬にならざるを得ない。誰からその薬を使うのか、世界中で大論争が巻き起こり、あるところでは紛争が起きるかもしれない。
そして、あってはならないことだけど、薬を手に入れるために命を懸けた争いが起きるかもしれない。
「不老不死の薬を巡っての殺人事件」
不死の薬を巡って死人が出る。これを滑稽なことと笑ってはいられない。
古(いにしえ)より生命は滅することにより新しい命が生まれ、次の世代へと引き継がれてきた。地球上に生命が最初に現れた35億年前からの絶えることのない営みだ。その永遠ともいえる鉄則を否定することにつながる不死の薬。そんなことが人類だけに許されるのだろうか。人が死に、人が生まれる。そんな当たり前のことが当たり前でなくなる。
人が死ななくなると、人の誕生制限と調整が必要になる。選ばれた人間や優れたDNAを有する人たちだけが選別され、選ばれた人たちだけが永遠の命を許される。究極的にはある一人の男と女だけになる……。アダムとイブのように……。それとも、ホモサピエンスが始まった最初のヒトのようにこの二人から新しい超人類が広がっていくのだろうか。
未来のアダムとイブの二人は、やがてエデンの楽園から追放されるなんて、そんなバカなことにならなければいいのだけど、とつまらないことを考えてしまう。
話は変わるが、2100年には分子生物学もものすごい勢いで発展している。
600万年前にチンパンジーから猿人が分かれ、30万年前に猿人から現代人に近いネアンデルタール人が出現する。そのネアンデルタール人は2万年前に絶滅する。ところが、2100年にはわずかに残されたネアンデルタール人の遺体から遺伝子を再生して、復活させているそうだ。それほどに分子生物学が発達している。
ここで一つ問題が起きる。
ネアンデルタール人が復活したら、大変な騒ぎになることは間違いない。絶滅した種を復活させることは生物学者には夢の技術かも知れない。しかし、現実にその技術を使うとなると、大きな倫理的な問題が生じる。
ネアンデルタール人のゲノム配列を完全復活させる方法として、ヒト(現生人類)とチンパンジーとネアンデルタール人のゲノムをコンピュータで解析し、その後数学的に「ミッシングリンク」の技法を用いることによりネアンデルタール人のゲノムが再構築できるそうだ。
そうであるならば、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ジュラシックパーク』で主役を演じた名優ティラノサウルスが生き返っているかとなると、それはかなり難しいそうだ。しかし、マンモスは復活できるみたいだ。
『ジュラシックパーク』は1993年に放映され、関連する作品が4つ作られている。恐竜たちによるパニック・サスペンス映画で、今でもその人気は高い。
オックスフォード大学の進化生物学者リチャード・ドーキンス教授は、「いつか人類は大昔に絶滅したさまざまな生物を甦らせるようになる。2050年には、『生命の言葉』が読めるようになっている。未知の動物のゲノムをコンピュータに入力すると、動物の形態だけでなく、暮らしていた環境、捕食者や獲物、寄生者や宿主、営巣場所、さらには彼らのいだく期待や不安までもわかるのだ」、と述べている(注2)。
ところで宇宙開発も急速の進歩を遂げている。
2100年になると宇宙エレベータができている。すでにロケットに乗って宇宙に行く時代は終わっている。
ロケットに代わるエレベータ。そのエレベータが3万6000キロメートル上空にある宇宙ステーションまでつながっている。地上から数十分で宇宙ステーションに着くらしい。
宇宙エレベータに乗ると、青い地球が背後に見え、紫色の空からやがて漆黒の闇に浮かぶ宇宙ステーションに着く。ステーションからは鋭く光り輝く満天の星々を見ることができ、息を呑むほどに素晴らしい。
宇宙エレベータは地球の遠心力を利用するための釣合い重りが10万キロ先にある。釣合い重りと地球をつなぐワイヤーは、鋼やカーボンファイバーでは強度不足で、実現するための大きな課題となっている。その解決手段としてカーボンナノチューブ繊維の使用が想定されているそうだ。
さらに、宇宙ステーションからロケットに乗り換えて月とか火星へと乗り継ぐことができる。
ロケットエンジンの燃料は液体水素や小惑星イトカワに到達したはやぶさに搭載されたイオンエンジンではなく、原子力ロケットになっている。大幅に小型化が図られ、安全性も向上しているという。
原子力と聞くと2011年3月11日、東日本大震災の津波に襲われた福島第一原子力発電所のメルトダウン事故(レベル7)や1986年ロシア・ウクライナのチェルノブイリ原子炉の暴走事故(レベル7)、1979年アメリカ・スリーマイル島原子炉のメルトダウン事故(レベル5)のこともあり、やはり不安が残る。
3・11の大地震による津波で福島第一原子力発電所が破壊され、今でも避難生活をされている方々が多くいる。原子力はこれまでの人類が発明した最大の成果の一つだが、そのエネルギーを安全にコントロールする発明は残念ながらできていない。原発の廃棄物処理はこれからの人類に残された大きな課題の1つだ。
スペースシップの動力源として、原子力よりももっと安全な別のエネルギー源の開発が望まれるところだが、その代替エネルギーとして宇宙に漂う水素を集め利用したラム核融合エンジンや恒星エネルギーを用いたエンジンなどが考えられている。次の世紀には宇宙エネルギーの75%あるといわれるダークエネルギーを利用して、アンドロメダ星雲に出かけているかもしれない。きっとそういう技術が次の世紀に開発されているのだろう。
そして、この技術を発明する表舞台に立っているのは、人間の能力をはるかに超越した人工知能なのだろう。
次は宇宙の乗り物から地球上の乗り物。クルマや電車、船はどうなっているのだろうか。
クルマも電車も船も、もちろん自動運転になっていて、ヒトが運転に関与することはない。交通事故や海難事故も起きることはない。
自動運転も大きな変化だが、それよりもクルマからエンジンがなくなっている。クルマは電磁誘導で浮上して進む。品川と名古屋を40分でつなぐというリニア新幹線と基本的には同じ理屈だ。
正式には、超伝導磁気浮上式リニアモーターカーと呼ぶそうだ。
ちなみに、超伝導っていうのは電気抵抗がゼロになることで、例えば円になった超電導線にいったん電気を流すと永久に円内を回り続ける。そういう状況を作る物質を超伝導体という。
わたしたちが使っている電気は遠い発電所から送電線を使って送られてくるが、この送電線での電気のロスは30%もある。そうだからといって、原子力発電所を東京湾や横浜に建設することは多くの住民から「それはダメ!」と猛反対が起きるだろう。
それでこの超伝導体でできた電線を使うと電気抵抗がゼロになり、送電ロスがなくなるからとても大きな節電になり、原発10基が7基で済むことになる。
そういった理由もあり、クルマにも超伝導を使うことになる。
しかし、今の超伝導体は液体チッ素で冷やさないと超伝導にならない。液体チッ素の温度は、マイナス196度だ。こんな低い温度で使うのはいかにも不便だ。
2100年には常温で、言い換えると普通の温度でも超伝導になる物質が発明され、それが使われている。
この常温超伝導体を道路に引き詰めておき、クルマに搭載されている永久磁石と反発して浮上する。最大速度は時速300キロ、通常は200キロで走る。この速度だから、ヒトが運転することは禁止されている。特別に許されたヒトか、サイボーグだけになっている。
ここでいうサイボーグは、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』とか、映画『ロボコップ』の主人公のような半分人間で、残り半分がロボットみたいなヒトのことだ。そんなサイボーグが2100年にはいる。
例えばだけど、2100年には眼や耳の人工臓器が開発されている。眼の機能に、紫外線や赤外線、それともエックス線を感知できるようにすると、スーパーマンのように壁の向こうが透視できるようになる。小型化さえできれば今でも可能な話だ。そんなサイボーグもいるだろう。
そう想像すると、なんだか恐ろしい話でもある。
さて、この章の最後のテーマは人工知能だ。
身近なところでは、アメリカのアイロボット社から発売された人工知能を搭載した掃除機が有名で、部屋の形状や家具に合わせて隅々まで掃除をしてくれる。でもそれは、人間がインプットしたアルゴリズム(問題解決のための手順を表したもの)に従って動いているだけで真の意味での人工知能ではない。
では、本当の人工知能ってどういうものだろうか。
人工知能の定義にもいろいろあるが、ここでは人間の頭脳や知能と同じかそれ以上の機械と定義する。
2100年には人間の知能をはるかに越えた人工知能が身の回りのそこら中にある。ユビキタス(どこにでもある)人工知能だ。
ロボットの頭脳に人間の知能をはるかに越えた人工知能を組み込み、ロボット自身が考え、判断し、行動する。
また、人間の知能をはるかに越えた人工知能が、ヒトが必要とするものを発明し、製造している。
では2100年になって、人は何をしているのだろうか。
――人間の知能をはるかに越えた人工知能が、生活するうえで不便だと感じることはない――
そのような前提が正しいとするならば、発明をするための根源は人間にある。しかし、その課題を改善し、解決するのは人工知能と極優れた少数のヒト(超人類)ということになる。
蛇足ながら、いま、企業や公的機関で研究されている多くの人たちは、既にその存在価値がなくなっている。なぜならば、知能に関してはヒトは人工知能にかなわないからだ。
現在の特許法では、不便を感じただけでは、発明者になれない。特許権を手に入れることは出来ない。
すなわち、特許制度自身が根底から崩れ去り、現在の形では存在できないことになる。
もし発明がなされたとして、現在は形のない特殊な特許制度が残ったとしても特許明細書を作成するのは、高度に発達した人工知能弁理士であり、それを審査するのも人工知能審査官ということになるだろう。
そして数十年前に人間の研究者や弁理士と審査官がいたという事実は、2100年の歴史の教科書に小さく載るかもしれない。
[コラム 1]
古今東西、永遠のテーマに不老不死がある。
アダムとイブがエデンの楽園を追い出されることになる原因の根っこは不老不死にあった。
紀元前27世紀のメソポタミアで著された『ギルガメシュ叙事詩』に、ギルガメシュが壮大な旅の末に不死の秘密を見つけるが、最後の最後に蛇にその秘密を盗まれるという話がある。
中国では紀元前3世紀に中国を統一した秦の始皇帝が、『不老不死の霊薬』を求めて大船団を蓬莱(ほうらい)の国へ送る。その中に徐福(じょふく)がおり、東の島に日本を建国したという伝説を残す。
そして、永遠の若さと美貌といえば、誰もが思い出されるのが女王クレオパトラだろう。17世紀、フランスの哲学者ブルーズ・パスカルは、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」、と彼女のたぐい稀な美しさを絶賛している。
地位と名誉、金と権力を得た男も女も最後に望むものは永遠の命、永遠の若さと美貌であることに間違いはない。古代においては、いや現代においてさえ永遠の命は神の手の中にのみあるが、2100年には誰でもが神の命を手にすることができると言われている。これを人類の英知の勝利というのか、それとも神をも恐れぬ所業なのだろうか。判断が分かれるところである。
2100年に生きる人たちは自身の延命だけでなく、優秀なDNAだけを持つデザインされた子供を産むことができる。デザインされ、設計されたDNAは、ノーベル賞をもらった博士やオリンピックで金メダルを獲得した選手、有名な作家や歌手、音楽家、画家などの芸術家の優れた才能を有する人たちのDNAだけに限定され、あなたやわたしたち、親や先祖から引き継いできたDNAはすべて廃棄され、抹殺されるかもしれない。
もし、2100年の時代になっても血統や血筋を重んじる古人(いにしえびと)の神聖な精神性が残っているとしたら、人工知能を研究し発展させた科学者のDNAが、釈迦十大弟子やキリストの十二使徒のように特に重んじられるかもしれない。
そして、2100年の永遠の命が約束された時代に生きる人びとの宗教、哲学、観念や常識はわれわれとはかけ離れたものになっているだろう。
[コラム 2]
2100年になっても地球人が火星や金星に移住するようなことはないだろうと予想されている。しかし、人間ではなく、ロボットたちが惑星探査に出かけ、われわれ太陽系の属する銀河や隣のアンドロメダ銀河を目指しているはずだ。その中で有力視されているものにマイクロロボットがある。このマイクロロボットは無機物とも有機物とも判断できないものでできており、ごく小さなエネルギーで宇宙空間を飛び、惑星に到達すると周りの材料を使い、または分解し再構成しながら自己複製を無限に繰り返し、記憶されていたものを再構成するそうだ(注1)。
特にこの考え方の後半の部分、「周りの材料を取り込みながら自己複製する」とは、まさしくわれわれの知る細胞そのものではないだろうか。地球に生命が誕生したとき、RNAがアメーバ―のような核のない原核細胞を作った。そしてミトコンドリアと融合することにより核を有する真核細胞ができ、これらが分裂して多細胞生物へと発展していく。やがて多様な生命体が誕生するカンブリア爆発が起きる。これらの生命現象を誘発させた小さなRNAもミトコンドリアも宇宙の果てから放たれたマイクロロボットだとしたら……。
そして、カンブリア紀の生命が幾度となく被った大絶滅の危機を乗り越え生き残った生命のひとつが32億年後にホモ・サピエンス(新人類)に進化した。そして、われわれ新人類は自身の脳を発達させ、やがて自分たちをはるかに凌ぐ人工知能を創り出そうとしている。そしてこの人工知能は、原核細胞とミトコンドリアが合体し、われわれの細胞ができたように新人類と人工知能が一体化し、DNAをデザインした超人類を誕生させているかもしれない。
スティーブン・ホーキング博士は自著(注3)の中で、生命の定義として「自分自身を複製する」というのがある。自己認識は人間独自のものと考える人たちがいる。自己認識が自由意志、つまり行動を選択する能力を与えるからだ。
そうであるならば、ある存在が自由意志を持っているかどうかを、どのようにして判断できるのだろうか。もしあなたがエイリアンに遭遇したとして、それが単なるロボットなのか、それとも独自の心を持っているのかどうやって判断するのでしょうか?
これらの技術革新が進められた先の2100年とはどういう時代なのだろうか。わずか80数年先のことだ。日本の歴史を今から80数年遡った1932年(昭和7年)は、第二次世界大戦のきっかけを作ったアメリカ発の大恐慌が世界中に吹き荒れており、日本では内閣総理大臣犬養毅が暗殺された五・一五事件が起き、世情は騒然としていた。いつ戦争が起きてもおかしくない状況にあった。
科学技術ではクルマ、鉄道、飛行機、テレビ、冷蔵庫、洗濯機など、今の製品から見れば機能は劣るものの一応すべてが揃っていた。ヒトの外見も現在のわたしたちとほとんど変わらない。ところが今日から同じ80数年後の2100年は、その様相ががらりと大きく変わると予想されている。
ある未来研究者は、今後100年の文明の進化は、これまでの1万年の変化に相当するという。また別の未来学者は、10万年に相当するとも発言している。ここで1万年だろうが10万年だろうと、2100年の人びとから2017年に生きる現代人を振り返れば、われわれが言う3万年前のネアンデルタール人か、2万年前の石器人の文化と同じレベルだろうということだ。
参考文献
(注1)2100年の科学ライフ ミチオ・カク著、斉藤隆央訳 NHK出版 2012年
(注2)悪魔に仕える牧師 リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳 早川書房 2004年
(注3)ホーキング、宇宙と人間を語る スティーブン・ホーキング、レナード・ムロディナウ著 エクスナレッジ 2010年