人のいとなみ・自然のいとなみ

第6号/茅の輪、山女、烏柄杓

投稿日:2019年7月22日 更新日:

文/石地 まゆみ

茅の輪

己が身を直径として茅の輪かな  能村 研三

 旧暦の6月30日、各地の神社で「夏越(なごし)の祓」という行事が行われ、人々は半年間の罪・穢れを祓い清め、これからの半年間も健康に過ごせるようにと願います。「茅の輪くぐり」もその行事の一つです。
 古代には、一年を二分する暦の考えで暮らしていたので、6月と12月の晦日(最後の日)の「祓」は、新たな時期に入る前の、国としても重要な行事でした。「夏越」以外にも「名越」「六月(みなづき)祓」「荒和(あらにご)の祓」と呼ばれます。邪神を払い和める意味で「和し(なごし)」が語源とも、「夏」の名を越えて災いを払うからだ、ともいわれています。

 暑さが増し病疫が流行する時季を前に、民間でも昔から特別な思いで、この呪力のこもった行事が行われてきたのでしょう。今では陽暦の6月晦日、旧暦の6月晦日、7月15日、月遅れの7月晦日、と、各神社によって行われる日はさまざまです。「夏を越す」(秋になる)という意味では旧暦の方に軍配が上がりそうです。
 今年は陽暦7月31日が、旧暦6月晦日の29日です。ここで、旧暦のお話を少しすると、現在の陽暦と違い、ひと月は29日(小の月)か30日(大の月)しかありません。しかも、今のように月によって決まっているのではなく、毎年変わるので、大小の月がわかる暦が庶民にも使われていたそうです。今年の旧暦では6月は29日が最後で、晦日なのです。

 「茅の輪」は、チガヤや藁を束ねて大きな輪の形に作られたもの。「蘇民将来」という人が、腰に茅の輪を付けることで疫病を免れた、という「備後国風土記」の「蘇民将来」説話に基づいています。邪気を払うものですが、もともとは、腰につける程度のものだったのですね。

 鳥居やお社の前にこの茅の輪を立て、左、右、左と、八の字を描いて三回くぐります。茅の輪は神社によってその大きさが違いますが、北野天満宮のものは直径5メートルの大茅の輪。だいたい、人がちょうど通れるほどの大きさが多いですが、遠くから見た限りでは、そのサイズは分かりません。長身の作者。さて、突っかかりはしないか、腰をかがめなければいけないか、と考えます。参拝者が次々とくぐりぬけ、さて、自分の番になりました。礼をして茅の輪へと進むと、それはちょうど、自分の身長と同じだったのです。偶然ですが、うれしい偶然、これから半年も、良いことがありそうです。すっぽりその直径に嵌ったような作者の姿を思うと、読む方もなんだか、楽しくなります。

   斎竹(いみだけ)を立てて茅の輪を全くす  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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根津神社・茅の輪の下の櫃には、形代が入っている。数百人の参拝者なので、茅の輪を3回潜ると1時間以上かかる。

神田神社は場所柄、木遣り衆がまず潜る(左上)・下谷小野照崎神社は、こじんまりとした茅の輪(右上)・杉並大宮八幡宮「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶというなり」という唱え事が茅の輪の上に掲げられる(左下)・駒込天祖神社は数年前に神事が復活された(右下)。

大小暦「山姥と金太郎」(寛政3年・東京国立博物館蔵)。「大」の扇を持つ山姥の着物の裾に数字、金太郎の腹掛けに「小」と数字。「大」の山姥の着物に「六」とあるので、この年の6月は30日までだとわかる。

山女

逃れし斑うつくしかりし山女かな  稲岡 長

 大自然の緑と清らかな川音、そして釣った魚を炭火で焼いて食べる…と、渓流釣りの楽しみはたくさんです。水温の低い川の上流部で釣る渓流釣りの対象は、最上流部に生息するのがイワナ、やや下流部にヤマメ、アマゴといった魚がいて、漁の期間は各地でちがいますが、3月~9月ごろまでが多いようです。餌を豊富に食べて体が出来上がってきた6、7月が一番美味しいといいます。

 ヤマメは、容姿、食味、釣り味(魚がかかった時の感触)どれをとっても良く、「渓流の女王」といわれます。「山女」「山女魚」という表記は、しなやかで美しい女性的な姿の魚という意味なのだとか。銀色とも虹色とも見える流線型の魚形、黒っぽい斑点は、魅力的です。「雪代山女」(春)「木の葉山女」(秋)という季語もあって、俳人にも愛されていたことがわかります。

 ある歳時記に「敏捷で悪食で神経質な習性」と書かれていて、ちょっと可哀想になりましたが、確かに神経質で、鳥や人の影に敏感なのです。渓流釣りを見ていた時に、「川に姿を映さないで!」と注意されたことがありますが、釣り人にとってはそんな敏感な山女を釣り上げるという楽しみは相当なのだろう、と思います。

 釣り人たちは山女を釣り逃がすと、「うつくしかった」「これほど大きかった」と、指で大きさを見せながら悔しがります。この句の作者も、「かかった!」と竿を引き上げたとたんにするり、と逃げてしまった山女に、今まで釣ったものよりも、きれいだったのに・・・と残念がったのでしょう。手に入ったものよりも、逃げてしまったものの方が、いとおしく美しく感じる。そんな人の心持ちが見えてくる句です。

   山女の瀬葉騒とともに遡る  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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緑深い中、渓流釣りを楽しむ。

黒い斑紋が並ぶ、美しい山女魚の姿。

塩焼きはもちろん、塩味とネギだけでスープを作ると骨まで軟らかく美味しい。

烏柄杓

ぬきん出て烏柄杓は影のごとし  岩淵 喜代子

 畑や草地でよく見かける、みどり色で、ひゅんと抜き出た姿が愛らしい烏柄杓。みどり色の花に見えるものは、「仏炎苞(ぶつえんほう)」です。サトイモ科の植物はこれを持っていますが、中にある花を包む莢のようなものを、仏像の光背の炎の形に見立てて、そう呼ばれます。たとえば、水芭蕉の白い部分が仏炎苞だ、といえば分かりやすいでしょうか。

 その奥に隠れた花は、仏炎苞の上の方にまで、ひゅるんと細長く伸びて、まるで触角のようです。小さくて人には使えない、烏が使う柄杓。名前も姿もユニークです。ちなみに、植物で「カラス」の名がつくものがよくありますが、これは食べられないとか役に立たない、という意味合いがあるそうです。

 この花の球茎を乾燥したものは「半夏」と呼ばれる漢方薬。七十二候のうち、夏至から11日目の「半夏生」は、この半夏の花が生える時期なので名づけられました。

 ひゅんひゅんと葉から抜きん出て、触角のような、竿のような、長い糸を伸ばす烏柄杓は、細身の花。花なのに、みどり色ですから、葉と間違えてしまいそうです。自己主張しているようで、控えめなようで。実体があるようで、無いようで。そこで作者は思ったのです。「影」であると。不思議な烏柄杓に魅了された作者が、たどりついた「影」という言葉は、烏柄杓の形容として似つかわしいものとなりました。

   阿闍梨の墓からすびしやくの糸伸ばす  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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葉は三枚が鮮やかな烏柄杓。真ん中に見える花(仏炎苞)も緑で、まぎれ込むようだ。

仏炎苞の中から伸びる鞭のような付属体が、楽しい。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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