人のいとなみ・自然のいとなみ

第4号/時の日、袋角、大山蓮華

投稿日:2019年6月10日 更新日:

文/石地 まゆみ

時の日

吹き戻さるる時の日の群鷗  永方 裕子

 一斉に飛び立つ鷗。風に乗って海へ…と思いきや、前に進むことをせずに戻ってきてしまいました。6月の梅雨入り前の強風に押され、進むと思っていた鷗が吹き戻されてくる様子は、鷗が宙にとどまって、一瞬、時が止まったようにも思えたことでしょう。おりしも今日は、6月10日、時の記念日だ、と気づいた作者。進むはずの「鷗」が、戻ってくる、それはまるで進むはずの「時」が戻る映画のコマの逆回しのようにも感じられます。目の前の景に、季語が待ち構えていたようにすうっと結びつく瞬間があるのが俳句の面白さです。

 「時の記念日」は俳句では「時の日」と使われています。「時」から、花時計、砂時計など、時計と結びつけた句も多く見られますが、この句のように、実景と重ね合わせて詠むことで、句が生き生きとしてきます。

 天智天皇が671年4月25日(太陽暦6月10日)に漏刻(ろうこく、水時計)を設置し、時を知らせたことが、『日本書紀』に書かれています。漏刻が設置されたのは大津宮で、近江神宮ではこの日に「漏刻祭」が行われています。水時計は、古く3500年前のエジプト・バビロニアでも使われていたようで、それが中国を経由して日本に入ってきたと思われます。「時の記念日」は、時間の貴重さを思い、時刻を守る意識を深めようと、大正時代に設定された記念日です。

 「時」への意識は、漏刻から始まって、日時計、砂時計、電子時計、と様々な時計を生み出しました。国立科学博物館には、携帯用の日時計や櫓時計など、古くからの時計がたくさん並んでいて、時を測るための人々の飽くなき追究に、感心してしまいます。

   時の日の乗り過ごしたる風の駅  まゆみ

撮影・石地 まゆみ

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古制蓮漏図「宣明暦」。下に中国での漏刻の歴史が記されており、黄帝が作ったと記されている(提供 国立天文台)。

万年時計。季節によって1時間の長さが変わっていた不定時法に合わせ、自動で昼夜の時間、季節の移り変わりを知らせる和時計で、江戸末期に作られた(国立科学博物館蔵)。

携帯日時計。折りたたみ式、精巧な技術で様々な形を生み出した(国立科学博物館蔵)。

香時計。香や線香の正確な燃焼時間を利用する(国立科学博物館蔵)。

袋角

袋角夕陽を詰めてかえりゆく  澁谷 道

 鹿の角は毎年初夏に自然に落ちるのですが、そのあとから出てくる、やわらかい新しい角を「袋角」といいます。生え変わったばかりの角は、まだ骨の芯が見えておらず、ビロードのような皮をかぶって柔らかい状態です。鹿は、角の成長にも栄養を使うので、冬の間に消耗した体力を回復するために角が落ちるのだと言われています。

 少し毛の生えた外側の皮膚の内には血管があって、栄養を蓄え、その中に、骨質の角が出来てきます。最初は赤い瘤のようなものがふくらんで、だんだんと、枝分かれしてきます。これが十分に伸びると血液が止まり、外側の皮膚は乾燥して、中の骨のようないわゆる「角」となるのです。

 袋角は血管が通っていることもあって、触られるのを嫌がるといいます。が、一度、「ちょっと触らせてね」と鹿にことわって、触れてみたことがあります。産毛のほわほわとした感じ、赤黒い見栄えに比して柔らかく温かいその袋角は、ここから育っていく命の熱さとして、いまだに手に感触が残っています。

 この句を知った時、ああ、いかにも袋角だ、と感じました。空は、夕映えの美しい時間。見事な赤い夕陽の色は、見る見るうちに、夕闇に溶けていきます。鹿たちも、山へ帰る時間でしょうか、夕陽をその赤い血のつまった袋角に詰めて。夕陽は、一日の終わりであると同時に、明日への入り口でもあります。角を落とし、袋角を作るという鹿の生態もまた、再生のエネルギーなのです。

   彼方此方の光がぬるし袋角  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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枝分かれしつつある袋角。

産毛が生えていて、熱い。安芸の宮島にて。

大山蓮華

大山蓮華白毫の香を放ちけり  瀬戸 清子

 モクレン科の大山蓮華は、茶花としてもよく、使われています。奈良の修験の地、大峰山系に自生し、蓮の花に似ていることから、大山蓮華と名付けられました。「天女花」「深山蓮華」とも呼ばれます。その花は大きいものでは10センチ近くあって、香りのよい白い花が横向きに咲きます。中心部の赤い蘂が、白く大きな花びらと相まって、印象的です。

 大峰山・弥山のふもとの天川村によく通っていた頃、「大山蓮華が花盛り。見に行ったら」と言われましたが、お山に登る機会が無く、見ることが出来ませんでした。貴婦人のような気品のある花は、天川村の「村の花」だそうで、残念なことをしました。自生しているのを最初に見たのは、九州の山の中。大自然の中で、光り輝いているようでした。

 山深く、神秘的な花の美しさに出逢った時の、ふるえるような気持ち。近寄れば、ほのかな甘い香りがしてきました。「白毫」とは、仏様の眉間にある白い毛のことです。仏像では、水晶の玉など宝玉をはめこんで表されていますし、絵画では、白毫から光明が放射状に描かれているものもあります。きっと、緑深い中での日差しがこぼれ、その白さを際立たたせていたことでしょう。高貴な花の香に触れた作者は、ああ、これは、仏様の光の香りだ、と思ったのです。それは、香を包みこむ白い花びらからの連想かもしれません。咲くのを待つ蕾の形が、宝珠のようだったせいかもしれません。そんな美しい花も、はかない一日花だといいます。

   秘神尋(と)む深山蓮華の白き炎に  まゆみ

撮影・石地 まゆみ

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大山蓮華。白い貴婦人と呼ばれる。英彦山にて。

こちらは大葉大山蓮華。蘂の色が鮮やかで、庭木として使われるのはほとんどこの種。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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