新涼
新涼の母国に時計合せけり 有馬 朗人
夏に「涼し」という季語があります。暑さの中でも、朝夕の涼しさや木陰に入ったときの涼しさが嬉しいと感じるときに使われる季語です。
立秋を過ぎてからの涼しさは「新涼」「涼新た」と表現されます。秋風が立ち、涼しさが本物になった頃の爽やかな気分が託されます。
この句は渡航していた人が帰国するときに、飛行機の中で日本時間に時計を合わせたという場面です。夏の間、日本を離れていたけれど、帰国する頃は涼しくなっているだろうと想像しているのです。夏季休暇に海外旅行したときは皆似たような思いをするのではないでしょうか。
日本に四季があることを意識するのも、このような時かもしれません。
残暑
西安を西へ出づれば残暑かな 山田 真砂年
暦の上では秋ですが、まだまだ高い気温は続くようです。
でも残暑に打ちのめされているばかりでなく、沙漠でさらなる熱暑を体験してみるのも一興ではないでしょうか。
この句は中国の西安で詠まれました。西安はかつて長安と呼ばれていた古都。秦の始皇帝陵、兵馬俑坑、華清池、大雁塔など、見るべき史蹟がたくさんあります。
もう一つの魅力は西欧へつづくシルクロードの起点だということです。西安の西方に広がっているのはゴビ砂漠。この句では、西安を西へ出たというのですから、敦煌や楼蘭などのオアシス都市を目指して沙漠を進んだのでしょう。
沙漠の暑さは日本の残暑とは異なると思いますが、「残暑」という語の響きには、かつて沙漠を駱駝で渡った隊商の残像が浮かんで輝くようなイメージを起こさせます。
ゴビ砂漠
桃
白桃を剝くねむごろに今日終る 角川 源義
俳句では「桃」と言うと桃の実を指します。桃の花を言う場合は「桃の花」と言わなくてはなりません。でも梅は「梅」と言えば花を指し、梅の実は「梅の実」と言うことになっているので、少しややこしいですね。
掲出句の「ねむごろ」は「ねもころ」の転じた言い方で、現在の言い方では「懇ろ(ねんごろ)」です。心づかいがこまやかであったり、何かの行為を念入りにするという意味で使われます。
この句は「白桃を剝く」で一旦切れているので、「ねむごろに」は「今日終る」にかかっています。柔らかくて傷つきやすい白桃を指でそっと剝いたところ、甘い香りが立ち、ゆったりとした気分になったのでしょう。するとその日一日も懇ろに過ごして終わったという充足感に満たされたのです。秋の夜長も感じさせます。