五月
緑の台地わが光背をなす五月 金子 兜太
今年の2月20日、98歳で亡くなった金子兜太さんの、30代の作です。金子兜太さんは戦後の俳壇を率いてきた大きな存在でしたから、訃報はニュースになり、新聞や雑誌に追悼文も多く出ました。
この句は「鹿児島八句」と前書がある句の中の一句ですが、鹿児島に限定して読まなくても良いと思います。「光背」はお寺で仏像を拝するときに目にしますね。仏像の背後にある装飾です。それは仏像から発せられた光でもあります。
緑の台地を背にして立っている自分を意識している句です。春になって芽が出てきた木々は、若葉が萌え出て、五月ともなると青々としてきます。兜太さんは、その瑞々しい新緑が仏像の光背のように、自分を輝かせてくれると実感したのでしょう。大自然から生命力を与えられていて、自らの存在もまた光っているのだと思えたのでしょう。
五月の森に出かけてみたくなりますね。
噴水
噴水は人を待つ花北の街 大郷 石秋
噴水は公園に行けば、一年中、見られますが、涼しさを招くものとして夏の季語になっています。最近ではいろいろなタイプの噴水が生まれています。音楽を伴ったものや、色が変わるものなど、その意匠に驚かされますが、この句は噴水を花に譬えているので、昔からある、噴き出しては落ちる単純なものかもしれません。
「北の街」と書かれているのは作者が札幌に住んでいるからです。札幌の噴水と言えば、大通公園やモエレ沼公園を思い出します。札幌の春は遅いですが、五月になると一斉に花が咲きます。そして訪れる旅人を歓迎するのです。その思いが噴水に託されたのでしょう。北の街の瑞々しい噴水に憧れの気持ちを抱かせる句です。
カーネーション
カーネーション夫より享けて子を生さず 畑中 ゆり子
母の日にカーネーションを送る習慣は、アメリカから始まったそうです。1832年生まれのアン・ジャービスという女性は11人兄弟でしたが、無事に育ったのは4人だったそうです。敬虔なクリスチャンだった彼女は、地域の医療や衛生環境を改善しようと「マザーズデイワーククラブ」というボランティア団体を組織しました。さらに南北戦争で敵味方に係りなく負傷兵のケアをしたことでも知られています。アンが亡くなったあと、アンの娘が母の追悼礼拝のときに参会者に贈ったのが白いカーネーションだった。そのことが由来だそうです。
さてこの句は子宝に恵まれなかった女性の句です。母の日に夫がカーネーションをプレゼントしてくれたという、母の日の句としては珍しい内容です。でも、母の日のカーネーションは、特定の子どもが特定の母に贈ることだけを意味しなくてもよいのではないでしょうか。女性が持つ母性愛は子どもたちだけに向けられるものではないと、カーネーションの由来からも再認識させられました。