清明
清明やきらりきらりと遠き鍬 大橋 弘子
清明は「清浄明潔」の略です。その文字の通り、空気が澄んで陽光が明るく、万物を鮮やかに照らしだすという意味の二十四節気です。この時期になると、萌え出た草木の芽が、何の草木か判別できるようになる、そういう季節とも言われています。今年は4月5日が清明でした。
この句の作者は、田園地帯の遠くまで見渡せるところに立っていたのでしょう。するときらりきらりと光るものが見え、それが農夫が扱っている鍬の動きだと気づいたのです。広々とした風景の中の点景として、農夫と鍬の動きが見事に描かれています。清明という明るくて澄んでいる大気にふさわしい内容で、春の瑞々しさが伝わってきます。
動詞を使っていませんが、鍬の動きが目に浮かんできます。その表現も手柄です。
宮津エコツアー様より画像をお借りしました。
ありがとうございます。
燕
燕来る天はしがらみなき大河 山田 径子
燕がやってくる季節になりました。街の人々の頭上や川面の上などを弧を描いてスーッと飛んで行く燕を見ると、心が晴れやかになりますね。この句の作者は燕の自由な飛翔を見ていて、「しがらみなき」と感じました。「しがらみ」は「柵」と書きます。水流をせき止めるために杭を打ちならべて、これに竹や木を渡したものです。それが転じて、「しがらみ」は「まといつくもの」という意味にもなりました。
地上の人間にとって、何ものにも邪魔されず、思う存分に飛んでいる燕が羨ましかったのかもしれません。しがらみに煩わされることのない暮しは難しいですが、せめて己の精神は、燕のようでありたいという願望があって生まれた句ではないでしょうか。
馬酔木の花
父母に便り怠り馬酔木咲く 加倉井 秋を
「馬が酔う木」と書いて「あしび」と読みます。ツツジ科の常緑低木ですが、有毒植物なのです。馬がこの茎葉を食べると、足が痺れて酔ったようになるところから、「馬酔木」と書き、足がしびれるので「あしび」と読むのだそうです。小さな鐘の形の花が穂のように垂れて咲き、清楚で温和な雰囲気を醸し出します。
この句は父母と遠く離れて暮らしている作者の気持ちです。両親のことが気になりながら、目の前の仕事に追われてついつい連絡も取らない日々が続いていたのでしょう。馬酔木は郷愁を誘う花です。父母と過ごした幼い頃の家を思い出したのかもしれません。そして便りを怠っている自分を顧みて、少し鬱屈した気持ちになったのでしょう。親元を離れた人が共通して抱く春の感傷かもしれません。