季語でつなぐ日々

第21号/啓蟄、雛祭、沈丁花

投稿日:2018年3月7日 更新日:

啓蟄

啓蟄の上野駅から始まりぬ  鈴木 只人

 3月6日は二十四節気の啓蟄でした。啓蟄の「啓」の字には「戸」と「口」があります。口を開けるように戸を開くという意味の字です。「蟄」の字は、蟄居というときの「蟄」です。蟄居は武士の刑罰で、家の中に籠らせるという意味がありますね。それが示すように、「蟄」は虫が土の中で冬ごもりをしているという意味です。したがって、啓蟄は冬ごもりをしていた虫が土の中から出てくる頃という意味を持ち、暖かい陽気になってくることを表しています。

 啓蟄というと俳句では虫や土が詠まれやすいのですが、この句は少し変わっています。作者は東北の出身ですが、東京の大学に合格し、下宿に挨拶をするために上京した日が啓蟄だったそうです。東北の青年にとって新しい人生のスタートが上野駅だという思いは、歌謡曲の「あゝ上野駅」でも歌われていますが、まさにその通りなのでしょう。

 東京へ出てきた緊張感と懐かしさを思い出す上野駅。その思いが啓蟄という二十四節気に託されました。

雛祭

玄関の棚母だけの雛祭  林 佐(はやし・たすく)

 お雛様は過ぎてしまいましたが、この句を紹介します。雛祭の起源は、中国の古代の風習で、3月初めの巳の日に水辺で禊をすることでした。それが日本に伝わり、人形(ひとがた)を作って身体を撫で、けがれを移して川に流す祓になりました。雛流しの起こりです。その一方で、平安時代には童の雛遊びが四季を問わず盛んになっていました。その両方が室町時代に結びつき、江戸時代になって3月3日の雛祭となったのです。江戸中期になると雛壇や調度品等、豪華な物も制作されて、江戸や京や大坂には町に雛市が立ったそうです。

 さてこの句は、老いた母の家を訪ねたときの作者の思いです。玄関に小さなお雛様が飾ってあり、心が和んだのでしょう。子どもたちがいた頃は七段飾りを設えて桃の花を活け、五目ずしなどを作って祝っていたけれど、今はひっそりと可愛らしいお雛様を飾っているのです。季節を忘れずに暮らしている母を嬉しく思ったことでしょう。

沈丁花

沈丁の匂ふくらがりばかりかな  石原 八束

 家路を辿っていると、沈丁花の甘い香りがどこからともなく漂ってくる季節になりました。花の名前にしては地味な字ですが、香料の沈香(じんこう)や丁字(ちょうじ)に似る香りがするということで沈丁花、沈丁、丁字などと呼ばれている花です。この花には花びらがありません。花びらに見える白いところは筒状の咢だそうです。

 この句は暗がりから沈丁花の香りがしてくるというのですが、香るところがいつも暗がりだと言っているので、少し強引な気もします。でも、庭木に多い沈丁花は垣根の外を通る通行人が気づきやすく、しかも昼間よりも夜に香りを強く感じる花だと言われています。

 こうして一句に詠まれると、沈丁花がこの世の闇の中で、優しい香りを放っている花だという気がしてきます。早春の短い期間ですが、沈丁花の香りを楽しみたいと思います。

藤田直子先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

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