冬至
玲瓏とわが町わたる冬至の日 深見 けん二
冬至はよく知られている二十四節気です。北半球で、正午の太陽の高度が一年中でもっとも低くなり、昼がもっとも短くなる日です。今年の冬至は12月22日です。
この日は柚子を浮かべたお風呂に入ります。「冬至風呂」という慣習です。端午の節句の菖蒲湯と同様、古くは「禊ぎ」の意味があったようです。冬至に食べると良いと言われるのは小豆の入った「冬至粥」や「冬至南瓜」。疫病神を退けるという謂れがありますが、風邪を引かずに冬を乗り切るための食品としても肯けます。
冬至は昼が短いことから、やや消極的な内容の俳句が詠まれ易いですが、ここに紹介した句は美しくて大らかです。町の東側の空から上がって西側の空へ移ってゆく冬至の太陽を「玲瓏と」と表現しました。玲瓏とは、金属や玉が美しい音をたてることですが、うるわしく照り輝く意味にも使われます。
日が短い冬至には、いつにも増して、日輪に感謝したくなります。
おごと温泉びわ湖花街道様から柚子風呂の写真をお借り
しました。ありがとうございます。
煤逃(すすにげ)
煤逃げのいたく汚れて戻りけり 鈴木 伊都子
煤払いの時期になりました。寺や神社での大掛かりな煤払いもありますが、家々で念入りに掃除をするのも年の暮ならではの習慣ですから、「煤払い」は季語になっています。
窓を開け放して、普段は手の行き届かない家具の裏の埃も掃き出したりするため、年寄りや子どもは一室に集まって、掃除が終わるのを待ちます。それを「煤籠り」と言います。
さらに、煤払いが終わるまで外出するのは「煤逃げ」です。家のことは普段から女房に任せていて、勝手が分からず、大掃除でも却って邪魔になるだろうからと出かけてしまう男性もいるでしょう。煤逃げはだいたい男性が多いようです。この句では、煤逃げと言ってどこかで時間をつぶしてきた人が、汚れて帰ってきたというのです。川岸で釣をしていたのか、競馬に行っていたのか。作者は少し呆れているようです。皮肉交じりの句ですが、どこかに情が感じられて、温かさとユーモアが伝わってきます。
龍の玉
龍の玉地に喝采のあるごとし 大石 悦子
庭園を歩くと、足元に暗緑色の細い葉が、まさにドラゴンの髯のような勢いで噴き出しているのが見られます。「龍の髯」という常緑の多年草です。日陰でも育つので、花壇の縁や飛び石の周囲などに植えられています。
冬になると、その盛り上がった葉の中央部あたりに、青い色の実が現われることがあり、鮮やかさに目を奪われます。それが龍の玉です。すぐに見つけられない場合は、髯の中に手を入れて探ると、ぽろぽろと出てきます。冬枯れのなかで、つやつやとした瑠璃色を見つけると嬉しくなりますね。
この句では、龍の玉を見つけた喜びを、喝采を受けた喜びに喩えて詠んでいます――喝采を浴びることとは縁がない仕事だけれど、ふと気づくと自分の足元に龍の玉がこぼれてきた。草の中に潜んでいた宝石のように美しい瑠璃色の玉。どこかで誰かが私を認めてくれたかのようだ――身近に小さな幸せを見つけて幸せな気持ちになったのでしょう。