文/石地 まゆみ
二百十日
近々と二百十日の鳶の腹 対中 いずみ
二百十日は、立春の日から数えて210日目、今年は9月1日でした。多くの地方で稲の開花期に当たりますが、台風が接近し荒れることが多い頃ですから、10日後の「二百二十日」とともに「厄日」とされて、警戒されてきました。
今年はすでに秋雨前線の停滞による局地的豪雨、また台風の襲来で、甚大な被害が出ています。異常気象で、世界的に、一年中の天候がおかしくなっているような気がします。少しでも被害が少ないようにと祈るばかりです。
「二百十日」は、江戸時代前期の天文暦学者・渋川春海が品川の漁師から教えられたものだといいます。釣り好きの春海が舟を出そうとすると、漁師は「今日は立春から210日目に当たるが、体験によると午後から暴風雨になるから止めた方がいい」と言い、その通りに大暴風になったことで、暦の中に取り入れられ、一般に使われるようになったのです。
鳶はたいてい空高くを舞っています。作者は普段から、その景を仰いでいたのでしょう。ところが今日は、その鳶の舞が低く、自分に近く感じられました。そう、今日は二百十日です。上空は風が渦巻いているのでしょうか。生き物たちは、天候の変わりを敏感に感じ取っているのです。鳶の豊かな腹が眼前、近々と見え、恐ろしい災害への危険を知らせているように思えました。いつも見ているからこそ、生き物の動きの違いを知ることが出来ます。それを見逃さない作者の目が、確かです。
大歳時記を見ると、二百十日の項に「風祭(かざまつり)」という季語を見つけます。稲の花が散らないよう、風を鎮め、豊作を祈る祈願のお祭りで、8月から9月にかけて行なわれています。神社やお堂にお籠りする、風穴ふたぎといってお団子を作って神棚に供える、獅子舞をする、風を切るというお呪いで屋根に鎌を立てる…、と、その形はさまざまです。現代でさえ自然災害の予測がつかないわけで、気象のことがよくつかめなかった時代、風は悪魔であり、また神の去来を現わすものともされ、霊的な存在を感じさせるものでした。自然と向き合って生活をしている者にとって、風祭は大事な行事だったことでしょう。
奈良の龍田神社では、風鎮大祭が行なわれています。兵庫の伊和神社や熊本の阿蘇神社、新潟の弥彦神社ほか各地で風祭があるとのこと。有名な越中「風の盆」も始まりは異なりますが、今では風を鎮める祭りともされています。この願いが、天に届くようにと、切に願います。
島原藩薬園跡の厄日かな まゆみ
画像をクリックすると、画像が拡大されます。
風雨の害で倒れてしまった稲。これはある程度、成熟した穂なので刈入れができるだろう。怖いのは、花の時期に来る風害だ。
長崎県・有明町八幡神社の「風除祭」。
神輿の先導をする「ハナダゴ」という鼻高面が、子供たちにヘグロ(炭)を付けて廻るのも厄除けだ。
巫女・騎馬の宮司が海の近くの御旅所まで付き添う。
神輿が海に入ることで氏神様を清め、新しい力で風害から守ってくれるといわれているようだ。
風を鎮める道具である鎌。風の神である諏訪大社では「薙鎌」といって、蛇か鳥のように見える鎌は、さまざまな神事で重要なもの。
案山子
倒れたる案山子の顔の上に天 西東 三鬼
田んぼに案山子の立つ季節となりました。鳥獣の毛や肉を焼いて、その悪臭で農作物が食い荒らされないようにした「嗅がし(かがし)」が語源だと言われています。「案山」は低くて平らな机のことで、低い山田を示し、それを守る「子」である、という意味でしょう。鳥獣を追うものには、鳴子、鳥威し、添水(そうず)とありますが、一本足で「へのへのもへじ」とだけ目鼻を書かれた案山子は、懐かしく、郷愁を覚えるものです。最近は、本当に人と間違えてしまうような手の込んだものがあって、「かかしコンクール」も各地で行われています。
本来、案山子人形は、作物を守る田の神の姿として立てられ、長期間、田畑を見守ってくれているものです。収穫が終わって用が無くなると、地域によっては、田から家へと案山子を移して祀る「案山子揚げ」という行事も行われています。
『古事記』には、久延毘古(くえびこ)という神様が出てきます。大国主神が国造りをする段で、海からやってきた小さな神の名前がわからず、ヒキガエルが「久延毘古なら知っているだろう」というので聞いてみると、「神産巣日神の御子、少名毘古那神である」と答え、それが合っていたのだそうです。さらに『古事記』では「足は行かねども、尽(ことごと)に天の下の事を知れる神なり」とあって、歩くことが出来ませんが、天地すべてのことを知っている知恵の神でした。「久延毘古とは“山田のそほど”のこと」とも説明されていますが、「山田のそほど」は、案山子の古名なのです。奈良の大神神社の近くに、久延毘古命をお祀りしている久延彦神社があり、学業、知恵の神様として尊崇されています。
さてこの句は、「倒れた案山子」があり、その上に「天」がある、という景しか書かれていません。それなのに、なにか思いが深いように感じるのは、仰向けに倒れているのが人の形をしているものだ、ということでしょうか。自分の姿に重ね合わせているのかもしれません。白い顔を天に向けて、仰向けに倒れてしまった案山子は、「神」として、天へと帰る日を思っているのかもしれません。願わくば、仰ぐ天が、曇りのない青空であってほしい、と思います。
氏子みな出払つてをる案山子かな まゆみ
画像をクリックすると、画像が拡大されます。
案山子の立つ風景は、いつもどこか、懐かしい。
稲刈りが終わり、用が無くなった「捨て案山子」。神の依り代としては、わびしい景だ。
これは稲田の案山子ではないが、最近は人と間違うようなものも。
鬱金の花
月よりも淡き光の鬱金咲く 近藤 陽子
ショウガ科の鬱金(うこん)。熱帯アジアが原産で、紀元前から栽培されています。カレー粉の黄色いターメリックのこと。また、肝臓に効く民間薬としても馴染みのあるものです。
「鬱金色」は、この草の根で染めた鮮やかな黄色のことを言います。「黄染草(きぞめぐさ)」とも呼ばれる所以です。沢庵の黄色、インドの僧侶が着ているオレンジ色の袈裟も鬱金で染められたもの。卑弥呼が中国の王に鬱金を献上したという記録もあるとか…。江戸時代初期には、幕府の薬草園でも栽培されていました。薬用、香料、染料、食用、長い歴史を持っている鬱金。温暖化で、育つ地域も拡大しているようです。
これだけ生活に馴染みのある鬱金でも、花は、なかなか見る機会がないかもしれません。季語となっているのは秋ウコンの花で、8-9月ごろの開花。ショウガに似た楕円形の葉は、ショウガというよりは芭蕉の葉のように大きく、花はその奥に咲いています。けれど、ひっそり、という訳ではなく、見つけると、なかなかインパクトのある大きな花です。
パッと見ると、緑色がかった白い花、のように見えますが、実はこれは苞(ほう)で、その中に黄色い小さな花が付いています。白い苞は開き切ると、透きとおったような白さになります。ほんの少し、薄紅を刷いているのも素敵です。作者は、うっとりとその花を眺めています。この透明感。何にたとえようか。そうして、淡い光を放つ月の色よりももっと、透明な光を持つ花だ、と、その美しさがたとえようもないことだと気付くのです。
世を遠く鬱金の花にかがみゐる まゆみ
画像をクリックすると、画像が拡大されます。
白い花のように見えるのは「苞」だが、うっすらとピンク色がにじんで、美しい。これは秋ウコンで、春ウコンは苞が薄紅色(左)。
こちらの黄色い唇状が、本当の花(右)
※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。
写真がきれいですね