人のいとなみ・自然のいとなみ

第8号/穂屋祭、金魚、胡麻の花

投稿日:2019年8月26日 更新日:

文/石地 まゆみ

穂屋祭

草の香のつよき暾が出て穂屋祭  宮坂 静生

 穂屋祭(ほやまつり)は、8月(古くは旧暦7月)の26日から28日まで長野諏訪大社の御射山(みさやま)で行われる、諏訪信仰の原点ともいえる神事ですが、地域以外ではあまり聞き馴染みがないお祭りでしょう。諏訪といえば「御柱祭」が有名ですが、この「御射山祭」も、昔から大祭として知れ渡っていたようで、芭蕉、一茶、井月といった近世の俳人たちは、このお祭りを詠んでいます。「穂屋祭」「御射山祭」「穂屋の芒」と季語で使われます。

 諏訪大社は、上社・下社からなっていて、祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」は武神、狩猟神、風神、農耕神と様々な性格を持っています。大社から車で30分ほど上った霧ヶ峰高原には「旧御射山」という遺跡が残ります。ここは、鎌倉時代に狩猟神事が行われた祭祀跡で、信濃武士、鎌倉武士、一般大衆が大集結する、盛大な祭でした。山に登った神官・氏子一行は「芒の穂」を供え、青萱や青芒で葺いた仮屋(穂屋)を作り、そこにその時代は5日間、参籠しました。今も霧ヶ峰には、人工の階段状土壇跡が残りますが、これは、全国から参集した武士が、それぞれ「穂屋」を作った跡なのです。狩を行なってその幸を神に供え、風害を避け五穀豊穣を祈り、また流鏑馬、草鹿など、武芸を競い合ったといいます。
 「尾花咲く 穂屋のめぐりの 一むらに しばし里ある 秋のみさ山」という歌は、諏訪の神官が詠み玉葉集(鎌倉時代の勅撰和歌集)に載っていますが、今でも霧ヶ峰は山の奥、そこに、この日だけは「里」があるような賑わいだったことがわかります。一茶の「御射山や一日に出来し神の里」も、同様でしょう。今は静かに、小さな御射山社がその時代を伝えていますが、その時代の土器(かわらけ)の破片が清水の中に沈み、いにしえを感じさせてくれます。神事の時でなくても、霧ヶ峰に行ったときに寄ってみれば、中世へ思いを馳せることが出来ると思います。

 武神としての諏訪神は、この祭から全国へと広まり、全国各地にある諏訪神社の例大祭も、ここに合わせて8月27日前後に行うことが多いようです。今は旧御射山とは別に、上社・下社それぞれの場所でも祭場を設けて行われ、また穂屋は神官の籠る一屋だけとなりました。二歳の子の厄除けとして鰻(今は泥鰌ですが)の放生を行なって健康祈願する、という行事の方が知られています。

 この句の「暾」とは「ひ」と読み、朝日のことです。朝、早くも萱で囲われた、穂屋が出来上がっています。作者はかつて穂屋がいくつも建てられ大賑わいだった時代の穂屋まつりに思いを馳せていたのでしょう。そこに、煌々と朝日が射してきました。山の木々、草々がきらめきます。暾が出て草が香ったのではなく、緑の中で朝日がまるごと、草の香にまみれて上ってゆくようだ、と感じ取ったのです。それは、かつての御射山の香りでもあります。清浄な空気の中、作者も、この神聖な祭の一員となって、今日の朝日をありがたく仰いでいます。

   にぎはひの薄暗がりの穂屋ごもり  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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霧ヶ峰の八島湿原に旧御射山がある。右奥に、段の跡が見えるところに武士たちが穂屋を設けた。中世の遺構がのこる貴重な場所。左の森が旧御射山社。

上社の御射山に設ける神官の参籠する穂屋。今は建物があり、そこに萱や芒を巻く(左)。
御射山の境内には「雪ちるや穂屋のすすきの刈り残し」の芭蕉の句碑が建つ(右)。


神霊を乗せた神輿をくぐるとご利益がある。御射山社の神事の前後に、地域の各社に巡幸するが、その際にも神輿を待つ人たちが多い(上)。
里でも、芒を飾った設えをして、神様をお迎えする(下)。

金魚

露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな  摂津 幸彦

 縁日で金魚すくいを楽しんだ経験は、誰でもあることでしょう。千年も前の晋の時代に赤いフナが発見され、そこから改良されたものだといいます。日本には室町時代に明から輸入されたのが始まり。和金、琉金、蘭鋳、獅子頭、出目金…。交配や突然変異で、多くの品種が生まれました。鰭の形や長さが変化に富んでいて、涼しげで、夏の風物詩と言えるものです。

 「金魚売り」「金魚すくい」「金魚玉」「金魚鉢」…。様々な季語が使われてきました。「金魚ーエー金魚」という金魚売の声を覚えている方もいるでしょう。金魚玉は、風鈴を逆さにしたようなガラスの器で、これを持って金魚を買いに行き、軒などに吊るすものです。今はビニールの袋があってそれで持ち運びしますが、かつては情緒がありました。ビニールがエコではない、という時代にもなって、金魚玉が復活したらいいな、などとも思います。

 この句は、さまざまな解釈で論争があったようです。「思ふ」主体は誰なのか。本人か、金魚か、今の話なのか、原風景なのか…。俳句は、読む側がどんなふうに採っても、かまわないと思います。そこにあるのは、細い露地裏。少し暗い、バーなどもあるような場所でしょうか。暗い中にもネオンや生活の光が見える、それを夜汽車で時々見える光に例えたのでしょうか。さびれたバーで飲んでいる作者の前に、金魚鉢が置かれ、ノスタルジーを感じている、という味わい。私は、幼い頃の作者が金魚玉を下げて、露地をゆく姿にも見えます。暗闇の中時々光の見えるそこは、ゆらゆらと揺れる金魚玉の中の金魚から見れば、夜汽車に揺られているようだった、とも取れます。
 一つの句が、読み手それぞれの想いで、読み解かれていく楽しさも、俳句の楽しさでしょう。

   金魚の尾ひみつ持つこと隠しゐて  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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さまざまな色、形の金魚は、見飽きない。

縁日での金魚掬いは今も人気。昔は薄い紙で、破れやすかったものだ。

胡麻の花

山畑は垣など結はず胡麻の花  辻田 克巳

 食卓には欠かせない胡麻。今や、胡麻のセサミンが健康にいい、と持てはやされています。原産地はアフリカ。胡(中国の西域)を経て、中国から日本にやってきました。
 茎は1メートルほどにも伸び、花は、白くてほんのりと紅紫色を帯びて、そのラッパのような花は、口をとがらせている子供のようにも見えます。早朝に開き、一日でしぼんでしまいます。

 花がしぼむと円柱状の実がなって、その種子の色で、白ゴマ、黒ゴマ、金ゴマ、いろいろと種類が出来ます。古くは灯油用として珍重されたのだとか。近世には、菜種油や綿実油が主流となって、胡麻は食用が中心となりました。

 農家の家の前や斜面など、ちょっとしたところにも見かける胡麻。大々的に売るほどではなく、自宅で使う程度の量を栽培しているのでしょう。素朴な山里には、のどかな風が吹いています。口をとがらせた胡麻の花が、うす紅い花を咲かせているのが見え、作者は心懐かしい風景に身をゆだねています。通りがかると、気軽に挨拶をしてくれそうな里。そんな里は、外とのつながりを信じ、立派な垣など結わずに日々を過ごしています。やさしい、行ってみたくなるような、里の風景です。

   宿跡の道の真つ直ぐ胡麻の花  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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一日でしぼんでしまうが、次々と花を付ける。これから胡麻が出来るのか、と思うほど、愛らしい。

花が終わると、こんなふうに筒状に実となる。中にはびっしりと、胡麻が詰まっている。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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