処暑
山を見ていちにち処暑の机かな 西山 誠
処暑は暑さがおさまるという意味の二十四節気で、今年は8月23日が処暑に当たります。
まだ残暑が厳しい頃ですが、朝夕に吹く風が肌にさらっと感じられるようになってきました。
この句は、窓辺に机が置かれてあって、その机で本を読んだり、書きものをしているのでしょう。ときどき机から目を上げて視線を遠くにやると、そこに山が見えるのです。山の形は変わりませんが、太陽の動きによって山の陰が変わり、表情が違って見えますから、見飽きなかったと思います。そうしてふと気づくと夕方になっていたのです。きっと仕事がはかどった一日だったのでしょう。けれども、それを言葉に出してはいません。暑さが遠のく処暑だから充実した日だったとは言わず、「机かな」とだけ言って、それらのすべてを想像させました。
この句は「山」が最も相応しいですが、他の場所でも言えそうです。街を見て、川を見て、森を見て、などとそれぞれの風景に置き換えて鑑賞することもできます。
秋日和
鉄棒の子の台となる秋日和 田子 慕古
秋の日の明るい公園、子どもが鉄棒で逆上がりの練習をしています。休日のお父さんが付いてきて横でコツを教えているのでしょう。
逆上がりは鉄棒に上半身を近づけ、足で地面を蹴って、真っ逆さまになれば、あとは身体が自然に回転します。でもなかなか難しいですね。
腕が伸びてしまうと上体が鉄棒から離れてしまうので、回れないのです。それを見かねたお父さんが、鉄棒の下に四つん這いになって、子どもの身体がお父さんの背に載るようにしました。その様子を「台」で表しています。人間が「台」という物に成りきっていると想像できて面白いです。
きっとこの子どもは感覚を掴んで、逆上がりができるようになったのでしょう。
夏休みが終わるこの時期、何か手伝ってやりたいと思っている優しいお父さんのことを、子どもはずっと忘れないでいることでしょう。
芙蓉
一生を宝とおもふ花芙蓉 東野 礼子
淡いピンクや白い芙蓉が咲く頃になりました。大きくピンと張った緑の葉の間に、直径10センチ以上もある大きな花びらを開く芙蓉は、華やかで上品です。なかでも八重の芙蓉は豊艶な女性のイメージで、母性も感じさせます。
朝咲いて夕方にはしぼむ一日花ですが、その間に色が変化する「酔芙蓉」と呼ばれる芙蓉もあります。朝は白くて夕方になると紅に変わのです。「酔」という字がぴったりです。
この句の芙蓉は紅でしょうか。自分の半生を振り返ってみたとき、特別なことは何も無かったけれど、この世に生を享け、懸命に生きぬいてきた、そのことを大事にしたいと思ったのです。一日を美しく、豊かに咲ききる芙蓉にその感慨が託されました。
芙蓉の花を宝物のように愛でながら、自分を育て、支えてくれたたくさんの恩愛に感謝しているのです。