八月
草濡れたり抜かれたりして八月来 池田 澄子
太陽が照りつけ、入道雲が湧き上がり、山を緑が覆って、生命感の溢れる8月です。でも第二次世界大戦を経た日本人にとって、広島と長崎への原爆投下、終戦という悲しい史実を思い出す月になってしまいました。お盆もありますから、8月は鎮魂の月と言えるでしょう。俳句でもそうした内容の句が多く見られます。
繁茂している草を詠んだこの句は、一見戦争とは無関係のようですが、「八月来」に深い感慨が籠められています。生い茂った雑草が雨に濡れてぐったりし、無残に引き抜かれているのを見て、人間が雑草のように扱われた時代があったことを思い出しています。
作者の父は軍医として中国戦線に出征し、戦地で亡くなりました。作者が8歳のときです。無事に帰還して娘を両腕で抱きたいとどんなに思ったことでしょう。また娘も永遠に会えなくなった父をどんなに慕ったことでしょう。
秋の蟬
啼き止んで空の遠のく秋の蟬 柘植 史子
歳時記では、みんみんと鳴く「みんみん蟬」やじいじいと鳴く「油蟬」は夏の季語ですが、おおしいつくつくと鳴く「法師蟬」やかなかなと鳴く「蜩(ひぐらし)」は秋に分類されています。でもこの句のように「秋の蟬」と言った場合は種類ではなく、立秋を過ぎて鳴いている蟬という意味です。
或る日、あれほど鳴いていた蟬の声が聞こえなくなっていることに気づくことがありますね。夏の間、姿は見せなくても鳴き声で存在感を充分に示していた蟬でしたが、その声がぱたりと聞こえなくなる日が訪れたのです。すると蟬がいなくなった木々は俄かに遠くに感じ、空も遠くに退いてしまったように感じたのでしょう。
まるで秋の空に吸い込まれてしまったかのような蟬たちを心の中で見送り、大気の澄み始めた空に秋を感じる季節です。
蜩(ひぐらし)
木槿
賢母ともなれず雨打つ花木槿 井上 閑子
ピンクの木槿(むくげ)、紫がかった木槿、白くて奥が赤い底紅、豪華な八重咲きなど、秋の初めに次々と咲いて楽しませてくれる木槿の花。朝開いて夕方にはしぼんでしまうところから、白居易の「槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)」という言葉が生まれ、木槿は人の栄華の儚さの譬えに使われてきました。俳句では芭蕉の「道のべの木槿は馬に食はれけり」がよく知られていて、美しいけれども庶民的な花という印象です。
この句では、庭の木槿に雨が当たって哀れな様子なのでしょう。じっと見ているうちに、ふと己が雨に打たれているような気がしたのです。母として半生を生きてきたが、我が子にとって母の私はどうだったかと自問したのでしょう。決して賢母ではなかったが、無我夢中で育ててきたことを感慨深く思ったのです。「賢母ともなれず」に謙虚で清楚な母の美しさが滲み出ています。