文/石地 まゆみ
神田祭
書痴われに本の神田の祭かな 池上 浩山人
神田明神の神田祭と浅草の三社祭が済まないことには、夏がやってこない、と江戸っ子たちのいう夏祭りの始まりの季節です。
5月の第二木曜日から始まる神田祭は、赤坂日枝神社で行われる6月の山王祭とともに、「天下祭」と呼ばれて、徳川将軍家の上覧もあった大きな祭りです。この二つの祭は、一年ごとに「本祭」「陰祭」を交互に行い、今年は神田祭が本祭です。「令和元年」の本祭ですから、さぞかし神田っ子は、力が入っていることでしょう。
この神田祭、江戸時代までは9月に行われていたそうです。農村部で行われている収穫に感謝する「秋祭」より、都市部の江戸には疫病という災厄が流行る初夏の祭の方が合うため、とか、明治時代に神田祭を襲った強烈な台風が、政府がご祭神の一柱である平将門を「平安時代に朝廷に背いた朝敵である」とした政府への将門の祟りだ、時期が悪い、と変更されたとか諸説あります。風薫る5月、江戸っ子の気風と合ったのかもしれません。
元々は今のような神輿ではなく、山車の巡行が中心で、能や浄瑠璃を題材に趣向を凝らした曳き物や仮装行列で表現する「附け祭」という出し物も人気でした。今も、そのユニークな行列は人気があります。
この句の「書痴」とは聞きなれない言葉ですが、「読書にふけって世事に無関心な人」のことをいいます。作者は神田小川町で、和綴じ本製本の家業を継いだ人。神田といえば今でも古本屋街で有名です。自分は本の虫だ、神田っ子だ、と言い切って、生まれた町の祭を楽しんでいます。ひょっとしたら「書痴」の作者には、祭より本の方が大事なのかもしれませんが。氏子の幸せ、日本の平和や繁栄を祈る15日の例大祭の神事で、神田祭は締めくくられます。
化け物も愛し神田の附け祭 まゆみ
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附け祭・将門公使いのガマガエルとダルマの巨大な曳き物
例大祭には巫女による明神胡蝶の舞が舞われます。
豆飯
豆飯や佳きことすこしづつ伝ヘ 上田 日差子
豌豆、蚕豆、枝豆など青々とした豆を炊き込んだ豆飯ですが、やはり、ころころと丸い豌豆、グリーンピースを用いたものが、一番「豆ごはん」と呼ぶのにふさわしいような気がします。
うすい塩味をつけた純白のお米と青い丸々とした豆の美しさ、ほかほかの湯気。家族だんらんを思いだす食事はいろいろあれど、この色と少し青くさい香りは、いかにも初夏のおいしさと一家の幸せな様子を運んでくれます。
ここに揚げた句は、作者が初めて身ごもったことをご両親に告げに行った頃の作品と聞きました。「すこしづつ」という言葉が、うれしさを、ゆっくりと噛みしめながら伝える時の気持ちを十分に伝えてくれます。そのような状況でなくても、「豆ごはん」の句には、「家族」を思わせる句が多いのです。子どもと、ご主人と、愛情のつまった豆ごはんを食べながら、今日あった「佳きこと」を伝える食卓の様子は、懐かしさとともに、誰でもが共感する一句でしょう。
雨男なる人の忌の豆御飯 まゆみ
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白いご飯と青い豆が初夏の風物詩
えんどう豆のころころとしたかわいらしさ
なんぢやもんぢや
婚囃すなんぢやもんぢやの花咲いて 矢島 渚男
「なんじゃもんじゃの木」は、木の種類ではなく、その地方には珍しい、正体不明の木を呼ぶようですが、俳句では「ひとつばたご(一つ葉たご)=タゴはトネリコのこと」の木を指します。「なんじゃもんじゃ」という面白い名前が俳人の心をくすぐります。
青山練兵場(今の明治神宮外苑)にあったこの木を、「なんの木じゃ?」と言っているうちに「なんじゃもんじゃ」という名前になったとか。また、水戸黄門で知られる水戸光圀が時の将軍に「この木はなんという木か?」と尋ねられたときに、答えに窮した黄門さまが「なんじゃもんじゃ」と、とっさに答えた、という伝承も残っているようです。
ひとつばたごの自生地としては対馬列島や愛知県犬山市が有名なようですが、庭木にも見られます。5月、円錐形の白い花をたくさん付け、大木になるので、まるで雪をかぶったような美しさです。
明治神宮内苑の宝物館の脇にも、この花が咲いています。5月の気持ちの良い時季、神宮でも大安の日には何十組もの結婚式が行われるとか。ひょっとしたら、この句もそこで詠まれたのかもしれません。白い花は、先が細く四つに裂けていて、散る時はまるで、白い糸がさらさら、と流れていくようです。神前ではしないでしょうが、婚を囃すライスシャワーのようにも見え、白い花が純潔な花嫁を祝っているようです。
ひとつばたご咲き神宝を守りたる まゆみ
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雪のように真っ白な花がたくさん付く
ひらひらと、風に揺れる花
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