文/石地 まゆみ
鵜飼
疲れ鵜を労はる己が指噛ませ 栗田 やすし
能楽の「鵜飼」という演目をご存知でしょうか。甲斐の石和(いさわ)川に辿りついた僧侶が、鵜飼の老人に出逢います。その老人は実は禁を犯して鵜飼の密漁をし、見せしめのために簀巻きにして川に沈められてしまった鵜飼師の亡霊だったのです。夜な夜な現れては人を苦しめていたこの亡霊は、旅の僧が河原の石に一文字ずつ「法華経」の経文を記し供養をすると、老人は成仏する、というお話。老人が鵜飼の様子を再現する様子は印象的です。この僧は、日蓮だったともいわれています。
石和には、この話にちなんだ鵜飼山遠妙寺という寺があり、境内には鵜飼堂や供養塔があります。
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笛吹市にある遠妙寺境内の鵜の供養碑。
鵜飼は『万葉集』『日本書紀』にも書かれていて、かつては宮廷直属で、大和には阿太の鵜養部という役職が吉野川を漁場として天皇に納めていました。中世には武家が愛好するようになって、各地で鵜匠を保護して鮎を貢がせたそうです。権力者の贅沢だったのですね。
鵜飼といえば、今は岐阜の長良川が有名。皇室御用の鵜飼だからでしょう。先日集中豪雨で増水してしまった大分日田の三隈川も行っていて、かつては全国で行われていた漁でしたが、めっきり減ってしまいました。芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」は、長良川での句です。5月から10月くらいまで行われていますが、闇の中での鵜飼舟の篝火、鵜匠の手さばきは、見ごたえがあります。昔ながらの風折烏帽子に腰に蓑を巻いた鵜匠の姿は、歴史を感じさせます。先の石和では、遠妙寺の近くの笛吹川で、夏の間、徒歩鵜飼(かちうかい)が行われます。こちらは舟に乗るのではなく、川の中を歩いて鵜をさばき、鮎を獲らせます。川の傍にずらりと並んだ観客からは、鮎を獲れば歓声が、獲れなければため息が漏れ、鵜飼舟での漁とはまた違った楽しみがあります。
鵜飼の楽しみは、俳句をたしなむ者でなくても、魅惑的です。「鵜篝」「鵜舟」「鵜匠」「鵜籠」といった季語から、「荒ら鵜」「疲れ鵜」という鵜の姿まで。中でも、漁を終え陸に上がった鵜の姿は、お疲れさま、の気持ちもあって、興味を引きます。
鮎を飲み込んでは吐かせ、また川に放って鵜を獲らせ、鵜匠の鵜に対する労り。筆者も、陸に上がった鵜を間近で見ました。疲れてはいるのに、触らせていただいた鵜の羽根は、艶々とした黒はそのまま、すべらかで、なんだか感動しました。
この句も、陸に上がった鵜と鵜匠の姿です。よく働いた鵜に対して、自分の指を嚙ませてなだめている。きっと、撫でるよりもそれが一番、鵜にとってうれしいのかも、と、この句を読むと思います。鵜と鵜匠の強いきずなを感じさせてくれる、一句です。
ゆるやかに来たる徒歩鵜の闇しぶき まゆみ
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徒歩鵜飼は、ゆっくりと目の前を過ぎていき、舟の鵜飼とはまた違った趣がある。
鵜の獲った鮎を、鵜籠から取り出す。
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