文/石地 まゆみ
修二会
つまづきて修二会の闇を手につかむ 橋本 多佳子
三月の行事と言えば、奈良の「お水取り」が有名です。この「お水取り」は、東大寺二月堂で一日から十四日まで行われる「修二会(しゅにえ)」という行の中の一つで、十三日の未明に香水(こうずい)を汲み上げて本尊の十一面観音にお供えするもの。正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」で、日常犯しているさまざまな過ちを、十一面観音の前で懺悔することです。
二月堂の回廊を駆け巡る大松明がよくニュースで放映されますので、目にされた方も多いでしょう。天平勝宝4年(752年)から行われているといいますから、長い長い歴史のあるものです。
「お水取り」という名称が有名なので「修二会(修二月会)」は聞きなれないかもしれませんが、旧暦の二月に、お正月に準じて(正月は修正会という)旧年の穢れを祓い新年の豊作を祈るもので、かつては行う寺院も多かったようです。お水取りは福井県若狭から「香水」を運んできます。全国の神々が修二会に呼ばれた時、若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが釣りをしていて遅参した、そのお詫びに香水を献じる、と約束したからなのだとか。面白い由来だったのですね。
二月堂のある辺りは東大寺大仏殿から少し離れた場所で、また階段も多いところです。ですから、松明の火の行が済んだあとはまだ人も多くて、係員がライトなどで照らしてくれるのですが、その時間を過ぎての帰り道は、怖いくらいに静かな闇なのです。この句でも、つまずいた先に手で掴んだのが「修二会の闇」だったと詠われています。闇の中には鹿も潜んでいたでしょう。闇を掴んだ手は、何を求めたのでしょう。修二会の夜の暗さが感じられる句です。
東大寺二月堂では、十四日間毎夜、連行衆という僧がお松明を持って回廊を走り抜け、また、夜通し、勤行や五体投地が堂内で行われています。また、「六時の行法」といって、朝早くから日中、夜中まで、行が行われていいます。「お水取り」が有名なので、この日だけと思われているのか、十二日のお松明は大混雑で見学に制限があります。が、他の日は実はゆっくりと見られるものなのです。火の粉を浴びると厄除けになると信じられ、「お水取りが済むと春が来る」といわれています。
修二会果て煙のやうに闇がある まゆみ
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二月堂の回廊を松明の火が走ると、歓声が上がる。
左は松明。右は、二月堂への階段を連行衆が上っていくところ。
真夜中にお水取りが行われる「若狭井」。若狭の国と水脈がつながっているといわれる。
若狭の鵜の浜にちなんで、屋根には鵜の像が。
桜隠し
母訪へばさくら隠しの雪にあふ 伊藤 晴子
「さくら隠し」?季語にあるの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。これは、「桜を隠す春の雪」ということなのです。「春の雪」というと、立春を迎えた以降、春に降る雪全般を言います。「淡雪」「牡丹雪」は、よく聞きますし、「涅槃雪」といえば、旧暦2月15日頃に降る雪、「彼岸雪」はお彼岸の頃、そしてこの「桜隠し」は、すでに桜が咲いている旧暦3月ごろの、春の雪のことなのです。桜の花に雪が積もり、その花の姿を隠してしまう・・・美しい言葉です。
そもそもは、上信越、東北地方で使われている地方独特の言葉だったようですが、気候変動の多い昨今では、東京でもこういった風景に出会うことがあります。春の雪は冬に降る雪と違って、湿っていて重いですから、桜の枝も撓んで、重みに負けないか、心配になります。けれど、桜と雪、ぜいたくな景色ですね。
お母さまを訪ねることにした、春の一日。花冷え、といった、春の寒さを感じる日だったのでしょう。でも、満開の桜を一緒に見よう、と訪ねたのかもしれません。少し曇った空模様を気にしながら出掛けると、思いがけない春の雪。ずんずん降ってきて、とうとう桜の花を隠すほどに。めったに出会えない幻想的な風景は、母と子の、一生の思い出となる一日となりました。
くわんぜおん桜隠しといふを見よ まゆみ
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五重塔と桜隠しの雪は、夢のよう。
重い春の雪は、枝をしならせ、花を凍りつかせる。
土筆
せせらぎや駆けだしさうに土筆生ふ 秋元 不死男
野原や土手に、筆のような頭をのぞかせる「つくしんぼ」を摘むのは、春の風物詩です。古くから「つくづくし」と呼ばれ、食用とされてきました。「つく」は、地面から「突き出る」ことからとか、船の通路を示す「澪標(みおつくし)」から、と名の由来は諸説あります。「土筆だれの子杉菜の子・・・」という歌の通り、スギナの胞子茎です。スギナとなってしまうとあまり気にされなくなってしまうのですが・・・。でも実はスギナは、カルシウムやリン、マグネシウムなどミネラルが豊富な、効能を持った植物なので、お茶やお風呂に昔から使われていたのだとか。
たくさん群がって出ているかわいい土筆の頭を見つけると、春が来たなあ、と思います。土筆は節ごとに「はかま」と呼ばれるものを付けていて、成長すると、この節の間がどんどん伸びてゆきます。大仏の頭のような先の部分はというと、これもどんどん開いていって、ホコリのような胞子を飛ばしてゆくのです。
土筆には、水の音が似合うようです。きれいなせせらぎの傍で見つけた土筆たち。出たばかりの土筆、伸びて少し傾いでいる土筆、どれもこれもが春の日差しを浴びて、背を伸ばします。小さな子どもたちのように、今にも駆け出しそうな土筆たちです。
ひねもすを呆けて過ぎぬつくしんぼ まゆみ
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あちこち向いて、春を楽しんでいるような土筆たち。呆けてしまうと美味しくない。
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