立春
肩幅に拭きゆく畳春立ちぬ 小西 道子
春の最初の二十四節気は立春。「春立つ」とも言います。今年は2月4日でした。「暦の上では春になりましたが」という言葉がよく使われる通り、立春を迎えたと言っても、急には暖かくはなりませんね。でも俳句では、立春を過ぎると、春の季語が使われることになります。立春を過ぎてからの寒さは「春寒(はるさむ)」「余寒(よかん)」「冴返る」という季語で表します。
この句は畳を拭いている動作を描いています。雑巾で畳を拭きながら後ずさりして行くとき、手の動きが肩幅ぐらいに左右に動くというのです。この具体的な表現によって、きびきびとした作業が目に浮かぶ句となりました。立春の水も畳もまだ冷たいでしょう。けれどもリズミカルに拭いてゆく姿には春の訪れで心が弾んでいることが見て取れます。
雪解
光堂より一筋の雪解水 有馬 朗人
雪は冬の季語ですが、雪解は春の季語になります。「ゆきどけ」または「ゆきげ」と読みます。冬でも天気が回復すれば雪は解けるのですが、雪の多い地方では春になってはじめて雪が解けることを実感します。したがってこの季語は積雪の多い地方の季語と言えるでしょう。
「光堂」は中尊寺の金色堂です。藤原三代の栄華を今に伝える建物ですね。作者は早春の或る日、そこを訪れて雪解の水が流れていることに気づいたのでしょう。残雪に陽光が射して美しい光景だったと思います。実景を詠んだのだと思いますが、「光堂」という固有名詞が生かされ、たいへん有名な句になりました。三代で儚く終焉した運命が、やがては消える雪解水に象徴されている、と鑑賞されることが多いです。
けれども私は、雪解水の季語によって、千年前の建造物が大自然の中で今も息づいているように感じられてなりません。
ウチノメ屋敷 レンズの目様のブログから画像をお借りしました。
ありがとうございます。
梅
たくあんの波利と音して梅ひらく 加藤 楸邨
梅の花が香る季節になりました。寒さの中でもけなげに咲いて香りを放ち、清楚な風情で人の心を惹きつける梅の花。『万葉集』の時代から数多の詩歌に詠まれてきた伝統的な花です。
その数多の梅の句の中で、この句はユニークです。たくあんを食べることと梅の花とは、一見何の繋がりもありませんが、たくあんを嚙んだときに音を立てると、梅の花がぱっちりと目を開いたように見えたというのです。感覚的なことですが、なぜか共感できますね。たくあんの庶民性が梅の花の優しさに通じてもいます。「波利」を「ぱり」と読む人と「はり」と読む人がいますが、「はり」のほうが乾いた空気に合うような気がします。
梅という伝統的な季語を、既成概念に捉われず、思い切って感覚だけで詠んだこの句は、多くの人の共感を得ています。そのことにも元気をいただける句です。