人のいとなみ・自然のいとなみ

第17号/初不動、寒天干す、枯木

投稿日:2020年2月25日 更新日:

文/石地 まゆみ

初不動

初不動帰りの厚き肉啖ふ  菖蒲 あや

 新年には、寺社の本尊に関係のある縁日にお参りする日が季語となっているものがいくつかあります。初巳、初庚申、初薬師、初大師などなど…。不動明王のご縁日は28日なので、1月28日を初不動といいます。「縁日」というと夏のお祭りを思いますが、もとは神様や仏様と、ご縁の日にお参りすると、距離が近くなり、ご利益があるといわれているのです。

 各地にある不動明王を祀る寺社は「お不動さん」と親しまれ、お参りする人が多いですが、お地蔵様や観音様のようにお優しい顔をしているわけではないのに、なぜこんなに人気があるのでしょうか。
 不動明王は、真言仏教で中心となる「大日如来」の化身で、「暴悪忿怒」の怖い様相をしていますが、すべての障害を打ち砕き、迷いの世界から私たちを良い方向へ導いてくださる、慈悲深い仏様なのです。語源は「動かない守護者」で、もとはインドのシバ神とする説もあり、日本には、空海が持ち込み、広く信仰されたので、不動尊像や仏画がたくさん残されています。空海は唐から帰る際に、嵐に襲われ、不動明王に祈ると、明王は手に持つ剣で荒波を切り払い鎮め、無事に帰国できたのだ、という説話も残ります。

撮影/石地 まゆみ

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不動明王は、矜羯羅童子(こんがらどうじ) と. 制多迦童子(せいたかどうじ)という
「慈悲」と「忿怒」を表す脇侍を従える。
信仰は根強く、路傍にも祀られている。

 その怖い顔ですが、目は「天地眼(てんちげん)」といって、右目を上、左目を地に向けています。口元の牙も、左右で上下を向いています。後ろの光背は、炎を表し、手には大日如来の力を表す剣と、煩悩を縛る羂索(けんじゃく)という縄を持っています。その造形からも、魅力的な仏様です。

 そういった寺でよく行われるのが「護摩供」です。これは、迷いを焼き尽くす火の力で災難を除き、悪魔を屈服させて、幸福をもたらしてくれるということで、火と煙と真言の中にいると、「よい体」になった気がしますね。
 この日、だるま市が開かれる不動尊もいくつか聞きます。ぎょろりとした目の、真っ赤なだるまさんと、不動明王がどこか、つながるからでしょうか。

 初不動の日は、新年最初のご利益をいただこうと、人々が集まります。作者も、護摩の火に大切なものをかざし、不動明王の大きな像に新年の力をもらい、群衆の中でなんだか大きな気持ちになってもいるのかもしれません。仏教では獣肉を禁じているけれど、「薬喰」という言葉もあるから、などと言いながら、分厚い肉にかぶり付きます。「食らふ」ではなく「啖ふ」という字には、「むさぼり食う」という意味があります。「火」という字が入っているのも、不動明王の炎のようで、大胆な面白い句となりました。

   道逸れて川と逢ひけり初不動  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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庶民になじみの深いお不動さんのご縁日には、たくさんの人がお参りし、露店もにぎやかだ。

川崎市の初不動のだるま市。納められたダルマに、片目の入らなかったものがあるのが、ちょっとかなしい。

寒天干す

月光を吐き寒天の干しあがる  紅林 照代

 寒天(カンテン)は、ゼリーや蜜豆などに使われ、最近ではカロリーオフのヘルシーな食物として人気があります。天草(てんぐさ)やオゴノリなどの海藻を煮て、それを凍結、脱水したものです。夏によく食べる心太(ところてん)も同じ材料ですが、こちらは煮たものを冷やして固めるだけの物。心太は平安時代から馴染みのあった食べ物だったそうです。江戸時代、冬の京都の老舗旅館で、食べ残しの心太を戸外に捨てて置いたら、寒さで凍結し、それが日中自然に解凍され、冷やされて、を繰り返し、やがて乾物となっていった、というのが始まりなのだそう。それを煮戻してみると、天草独特の臭みの無い、白い透明な塊となったのです。偶然のたまものなのですね。

 長野県は寒天の製造地で有名ですが、もとは海藻である寒天が、なぜ海の無い土地で作られるのでしょうか。日中でも気温が低く、晴天が多く、湿度の少ない内陸部の気候が、最適だったのです。信州の行商人が、京都の寒天を見て、長野の風土に寒天づくりが適しているのではないか、と、広めたといいます。

 まず、あく抜きした天草を煮込みます。糊状になったものを箱に入れて冷やすと、ゼリー状となり、これを切ったものが心太。それを、屋外に並べ、2週間ほどかけて乾燥させます。日に晒され、夜気に冷やされ、そして、私たちが知る「寒天」となります。自然を生かした見事な製造方法です。
 水気のあるゼリー状のものから、きゅっと締まった寒天へと変わっていく。日光と、夜の寒さと。自然が作り上げる不思議な工程。雪や雨が降ると、木枠を重ね雪雨を防ぐ作業が必要となり、寒天農家にとっては日々、天気との格闘でもあります。干しあがるまでの長い時間、ひっそりと月の光を吐きながら過ごしたのだろう、と、目の前にある干ししあがった寒天を手にして、作者は自然の力と、大変な作業をする農家とに、感じ入っています。

   時を陽を織り込み寒天晒しけり  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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長野県茅野は、寒天の里だ。ずらりと並んだ寒天干し場。
この日、霰が降ってきたが、短時間のためかしまう作業はしていなかった。
今年は暖冬で、製造量もかなり減ったようだった。


まずは煮だした天草を、箱に入れて固め心太状にする。
ここでは、生の美味しい心太もいただける。

枯木

恋人も枯木も抱いて揺さぶりぬ  対馬 康子

 俳句の季語としての「枯木」はもちろん、枯死してしまった木ではなく、枯れたように見える木のこと。落葉樹は、冬になると葉をすっかり落として、まるで枯れてしまったように見える、その姿をいいます。枝や幹があらわになって、裸のようである様子から、「裸木」ともいわれます。「冬木」という場合には、落葉樹も、葉を残している常緑樹のことも呼びます。「枯木立」「枯木道」「枯木星」や、「枯銀杏」「枯欅」と木の名前を頭に付ける使い方もあります。

 落葉樹はなぜ、冬に葉を落とすのでしょうか。乾燥した寒い中だと葉を通じて木の中の水分が奪われてしまう、葉に霜が降りると凍ってしまったり、雪折れなどの重みで枝が折れてしまう、という理由から、冬の前に葉を落として休眠状態に入るからなのです。落葉樹は、冬の前に、葉から枝や幹に栄養分を移してから散るのだそう。植物が得た、冬対策なのですね。

 厳しい冬を乗り越えるための木々の姿は、寂しい姿でもありますが、潔く、崇高なイメージも持っています。よく見ると、小さな冬芽をつけています。この句、「恋人」と「枯木」を取り合わせたことに驚きますが、「冬」は、弱った魂の力を「振り」起こし、「殖やす」ということが語源の一つだといわれています。作者はその語源を知っていたのかもしれません。「力」を蓄えているその木の力を感じ取っています。恋人も、揺さぶって、その力を発動させようとする、巫女のような姿も浮かびます。
 「春」は「張る」(草木の芽が張る)の意味だといわれますから、巫女の力によって、恋人も枯木も、力を漲らせて、春を待っています。

   三日月の赤く枯木の贄となる  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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枯木立は寂しい風景だが、春への力を蓄えているのだ。
一本だけの枯木を見ると、凛とおごそかな感じも受ける。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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