人のいとなみ・自然のいとなみ

第13号/神楽、薬喰、冬桜

投稿日:2019年12月11日 更新日:

文/石地 まゆみ

神楽

神楽てふ一夜の舟に乗り合はす  遠藤 由樹子

 季語の「神楽」には、宮中で12月に行われる「御神楽」「庭燎(にわび=神楽の際に焚く篝火)」と、民間で行われる「里神楽」「夜神楽」といったものがあります。宮中の神楽はそうそう見ることがかないませんから、季語として使われるのは、もっぱら民間の神楽、ということになるでしょう。「神座(かむくら)」が語源、という説が強いようです。

 神楽は、秋の稔りへの感謝であるとともに、太陽の力が弱るこの時期に、御霊を振り、来たる春を迎えるための神事といえます。中でも有名なのが「宮崎の夜神楽」。夜神楽というと「高千穂」と思われますが、実は宮崎には、200を超える夜神楽(昼神楽、春神楽を入れると300近くになります)が、現在でも行われているのです。高千穂をはじめとして、椎葉村、諸塚村、日之影町、米良地方…。それぞれが特色ある神楽で、日向(ひゅうが=宮崎県)が「神楽なしでは夜の明けぬ国」といわれる由縁です。各地で、11月中旬から2月初旬まで行われています。

 神楽というと、「天岩戸開き」が浮かびますね。岩屋に隠れた天照大御神を外に出すための天鈿女(あめのうずめ)の舞が、神楽の始まりだ、といわれているからでしょう。ですが宮崎では、それと共に、地主神(土地神)や荒神、山の神、道化、といった古代の記憶を持った神々が出現します。また、面を着けない採物舞(とりものまい=神を迎え鎮魂するための、御幣、剣、弓などを持つ)も、美しく、勇壮で、惹きつけられます。延々と続けられてきた神楽には、大自然とともに生きてきた歴史の秘密がたくさん、詰まっているようです。

 夜神楽は氏神様を、村人が日々暮らし、生活の匂いのある民家(神楽宿)にお迎えして、神とともに遊び、楽しむものです。最近は公民館などで行われ、少し、さみしい気もしますが、夕方から朝まで延々と、三十三番を舞い続ける、集落の方々の熱意は変わりません。

 高千穂の神楽宿は、ぎゅうぎゅう詰め。懐かしい顔、初めての顔。面様の舞があって、白装束の勇壮な舞があって…。舞人も、参拝者も、「神遊び」の世界に酔いしれています。民家といえども、後ろは開け放たれ、外から見ている人もいますから、冷気は部屋にも入ってきます。焚火の煙ももうもうと流れ込み、そろそろ、眠気も襲ってきました。太鼓や笛の音が、うとうととしている作者の耳にはずっと聞こえていて、起きているのか、寝ているのか、もう、分からないほどの感覚。ゆらり、と体が傾き、寝ている自分に気がつきます。ゆらと揺れた瞬間、ああ、これは一つの舟なのだ。舞人も私も隣の誰それもみんな、その揺れる舟に乗り合わせているのだ・・・と感じ取ったのです。感覚と実感と本意が、みごとに表現された一句です。

   山人の風馴らし舞ふ神楽かな  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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夜神楽は、神社にて神楽を奉納した後、神様を神楽宿にお迎えする「道行」が行われる。銀杏散り敷く中、サルタヒコが先導する。(高千穂秋元神楽)

神楽宿は人であふれる(高千穂秋元神楽・左)
米良の神楽は、寒さが身に染みる外で舞われるが、参拝者は熱心に舞を見つめる。
シメ、ヤマ、と呼ばれる設いも荘厳だ(西米良村所神楽・右)


椎葉嶽之枝尾神楽の注連引き鬼神(左)、諸塚南川神楽のアマテラスを岩屋から導き出す春日大神(右)


西都市銀鏡神楽の主祭神「西宮大明神」(左)、岩屋を取って投げる手力男神(高千穂浅ケ部神楽・右)


高千穂神社の「笹ふり神楽」は旧暦12月3日に行われます。
奉納された猪を前に、荒ぶる神を鎮めるために笹を振って呪文のような神歌を唱える。
これは、高千穂神楽の原型と言われている。

薬喰

掛時計胴震ひせり薬喰  小澤 實

 「薬喰」は寒い冬の間に、滋養や保温のために鹿、猪、兎などの獣肉を食べること。仏教の普及によって、殺生が禁じられ、肉食禁止、という時代があったために「薬」と称して、それらを食べたのです。特に鹿の肉は冬期に食べれば血行をよくし美味だというので好まれたようですが、鹿は、春日明神の使いでもあったため、あまりおおっぴらには食べられなかったのかもしれません。

 第8号で書いた諏訪大社は狩猟神でもあり、「鹿食免(かじきめん)」「鹿食箸(かじきばし)」が売られています。そこに書かれている「諏訪の勘文(かんもん)」の「獣肉を食することは、その命を成仏させることだ…」との言葉は、諏訪信仰とともに全国に広がり、各地の猟師もこれを唱えたといいます。

 鹿肉は「紅葉鍋」、猪肉は「牡丹鍋」としては馴染みがありますが、他の食べ方ではどうも、「臭いのでは」とか「固いのでは」と、毛嫌いする人もいました。ですが近年、「ジビエ」という名前でレストランで出されるようになると人気が出て、すっかり市民権を得たようです。私が初めて鹿を食べたのは、お刺身でしたが、ジューシーで軟らかく、格別な美味しさでした。

 さて掲句、梁が太く、大黒柱も立派な民家、あるいは宿の景でしょう。目の前には、山の幸を存分に使った料理の数々が並びます。冷え冷えとした山の夜は、囲炉裏の温もりもごちそうの一つで、作者はすっかり、くつろいでいます。さらに、山だからこその猟師料理、といった、鹿か猪の肉料理が。これぞ薬喰、寒さに負けずに精力を付けなければ、と食します。おお、力がみなぎってきたぞ!と思った瞬間、ボーンボーン、と柱時計が大きな音で鳴りました。「胴震ひ」は、時計の響きでもあり、作者の肉体の力でもあるのでしょう。

   猪食うてその夜の夢の無茶苦茶な  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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左はある日、筆者宅に大量に届いた鹿肉の一部。猟師の腕で血抜きをしっかりしてくれていたせいで、美味しくいただけた。右は鹿刺。

こちらは猪肉の蕎麦。コラーゲンたっぷり、元気になる。

冬桜

振り向けば消えてゐさうな冬桜  中島 秀子

 桜といえば春。ですが、小ぶりの花が冬に咲いているのをご覧になったこともあるでしょう。寒空の中で出会った思いがけない桜の花は、心を温かくしてくれます。
 植物名としての「フユザクラ」は、豆桜と大島桜の雑種といわれ、春にも咲き、10月~1月にも咲く品種の事で「四季桜」とも呼ばれます。この冬桜と「十月桜」は、春の桜に似た淡紅色~白色で、「緋寒桜(寒緋桜)」は、濃い紅色の花が、2月~3月に咲きます。
 季語としての「冬桜」「寒桜」は冬に咲く桜の総称として使われますが、白い花~濃い緋色の花もあるわけで、語感の違いでイメージは少し、変わるでしょうか。北風の中、散る姿もまた、もののあわれを感じる花です。

 寒中咲く冬桜の姿は、春の桜と違って、一生懸命に力を尽くして咲いている、と見えます。その姿に作者は、思わず応援をしたくなります。小さくまばらな花は、まぼろしのよう。本当かしら。夢ではないかしら。こんな寒空に花を開かせているなんて。しばらく冬桜を去りがたく、眺めていた作者も、さて、と帰ろうとしています。それでもまだ、心残り。振向いてもう一度、見ようかしら…、と思いつつ、振り返ったらそれはまさにまぼろしのように消えているかもしれない。冬桜の本質を突いた作品です。

   冬桜ふらふら散つて酔ひ心地  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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冬桜が、青い空に映える。

後ろに黄葉が見えるが、これは皇居の冬桜。皇居では何種類かの冬桜が見られる。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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