人のいとなみ・自然のいとなみ

第18号/追儺、ワカサギ、山茱萸の花

投稿日:2020年2月25日 更新日:

文/石地 まゆみ

追儺

後ろ手に追儺の闇を閉しけり  大石 悦子

 2月といえば節分、各地の寺社で年男による豆まきや、鬼やらいの行事でにぎわいます。翌日に立春を控え、春を待つ喜びにあふれた日で、普段、寺社に縁のない方でも福豆を求めてお参りに行かれることが多いのではないでしょうか。
 「節分」は、立春の前の日だけでなく、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前日をいいます。立春の前日だけが一般的に節分と呼ばれるようになるのは、室町時代からのよう。寒い冬から春への折り目の時期で、新しい季節を迎えるための厄払いが大切にされたからでしょう。農業中心の時代、春が一年の始まりだと考えたのもうなずけます。

 この厄を祓う行事の元となるのは、大晦日に、宮中で行なわれていた「追儺(ついな)」「大儺(だいな)」「鬼やらい」。「儺」は、疫鬼を追い出す行事の意味で、中国では紀元前3世紀ごろにはすでに行なわれていました。日本で記録にあるのは、文武天皇三年(706年)で、疫病が蔓延したことから、とあります。
 宮中では、「方相氏」(ほうそうし)という者が、熊の皮を着、四つ目の金の仮面をかぶり、戈(ほこ)、楯を持って「鬼やろう!」と叫びながら、宮廷の門を回って悪鬼を追いました。「やろう」は「遣らう」で、「追い払う」という意味です。中国の『周礼』(しゅらい・古代の経書)にも書かれている「方相氏」は鬼を追う立場の者でしたが、異形なこともあり、日本では12世紀には方相氏が「鬼」として追われるようにもなります。「儺」自体が鬼を追う言葉だったのに、いつしか「儺」を「追う」「追儺」となったと思われます。

撮影/石地 まゆみ

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左が「方相氏」。金の四つ目である。(上野五條天神社)
右は、亀戸天神社の「鬼」。追い払われる鬼が、四つ目となった例。(亀戸天神社)

 大晦日の追儺の儀式は室町時代にすたれていき、豆まきの習俗が、節分の中心となってゆきます。もともと日本には「穀物」に邪気を祓う力があるとされ、生命力や魔除けの呪力がつまったものでした。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味で、節分に限らず庶民の間で信仰されていたこの風習が、春の訪れの前に、世を清らかにする、と、節分の行事へとなっていったのでしょう。
 ですが、日本ではもともと祖先の霊が「鬼」の姿になって災厄から守ってくれると考えられていました。悪いものというより、むしろ神に近いものとしてのイメージです。今でも鬼に縁のある社寺では「鬼は内」と豆を撒くところも結構、あります。「悪鬼」という中国からの思想が、現代の「日本の鬼」のイメージにもなってしまったのは、かわいそうな気もします。

 節分は季節の変わり目、さまざまな災厄や冬の寒気を追い払い、すこやかな春を迎えたい、という気持ちは、古来から現代まで同じでしょう。「豆は後方に撒く」という古い習俗を、作者は知っていたのかもしれません。災厄に背を向けて「後ろ手」にすばやく戸を閉めます。追儺豆の行方も見ず、すばやく、なのです。パシン!という戸閉めの音が聞こえるよう。「闇を閉ざしけり」は、冬を閉ざすことでもあり、「後ろ手」には、過去を振り返らず新しい季節を迎える、作者の願いと祈りへのきっぱりとした気持ちが出ています。

   山伏の法螺うつくしき追儺かな  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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平安時代は殿上人が「葦の矢」「桃の弓」で、鬼を追っていたという。東新宿の「稲荷鬼王神社」では、その習俗にならい、弓矢の儀が執り行われている。
子どもたちによる豆まきも、神社の名前が「鬼」であるように鬼を悪者とはせず、「福は内」「鬼は内」である。


新井薬師の節分祭は、力士や芸能人が豆をまき、狭い境内が人でいっぱいになる。
亀戸天神社の鬼は上の写真のように四つ目で、赤鬼青鬼が、神主との問答によって追われる。

ワカサギ

暗き湖より獲し公魚の夢無数  藤田 湘子

 冬から早春になると、公魚釣りの様子をテレビなどでよく見かけます。氷の張った湖に穴を開けて釣糸を垂らして釣る、穴釣りは、冬の風物詩でもありますが、最近は温暖化で、その姿も減ってきました。
 川で産まれ、河口付近の汽水・淡水で育ち、産卵のために川へと遡ります。明治の終わりごろから各地の湖に移植されて、すっかり淡水魚として定着しています。公魚は産卵期でもある春が、脂がのって一番おいしいといわれます。

 「ワカ」は「湧く」とか「幼い若」、「サギ」は「多い」の意味だと書籍にあります。「ワカ」の方は分かりますが、「サギ」を少し調べてみると、「ざくざく」から来ているとありましたが、湧くようにザクザク獲れる小魚、というところでしょうか。
 「公魚」と書くのは、霞ヶ浦産のものが、将軍家に献上されたことから、公儀御用の魚、で「公」の字をもらったのだといいます。「鰙」と書くのは、先の語源の「若い」からでしょう。

 竿に付けられた糸に、いくつもの針、餌を付け、しずかに垂らして、ちょんちょん、と小刻みに動かします。手に伝わる感触で、糸を引き上げると、ずらずらと、公魚が釣り上げられてきます。釣り上げられた公魚は、小さいながらもそれぞれ、湖の中で夢を見ていたに違いない。それを釣ってしまった少しの胸の痛みを、バケツ一杯に小さな命をひしめき合う公魚に感じたのかもしれません。「暗き湖より」という出だし、「夢無数」という収め方、実景から思いを引き出した、うまい使い方だと思います。

   公魚の命くるくる釣られをる  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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10㎝ほどの公魚はすらりとしている。釣られたことにビックリしたような大きな目。

竿を上げると、針に喰いついた公魚がぞろぞろと。

冬から早春、まだ寒い湖では、公魚釣りのドームが出現する。

山茱萸の花

山茱萸にけぶるや雨も黄となんぬ  水原 秋桜子

 早春に咲く花には、黄色い花が多いように思います。前々回取り上げた「福寿草」もそうですが、「蠟梅(ろうばい)」「満作(まんさく)」「クロッカス」「土佐水木」、しばらくすると「ミモザ」「菜の花」・・・。黄色の花が多いのは、花粉を運ぶ昆虫にとって、一番目につきやすい色だからだとか。春まだ寒い時期に活動できるハチやハナアブの好む色なのです。子孫を残すための花たちの生態が、私たちに春の訪れを感じさせ、元気をくれるというのも、面白いことですね。

 小さな花をいっぱいに付ける山茱萸も、そのひとつ。中国の植物名で、日本では「春黄金花」と言います。葉が付く前に、一面の黄色い花を付けるので、そう呼ばれます。たしかに、黄色、というよりも、黄金色に近い濃い色に見えます。秋には楕円形の実となって、こちらは秋珊瑚、と呼ばれて、もともと江戸時代に薬用として、中国から朝鮮経由で入ってきました。「茱萸(ぐみ)」という字に「山」が付いているので、山のグミ、ということでしょう。

 球状のかたまりは、ひとつの花ではなくて、2、30個くらいの小さな黄花が集まっているもの。それぞれの小花は花びらが4枚、4本の雄しべが目立ちます。近寄って見ないと、わかりませんね。かたまりは、ちょっと、線香花火のような姿にも見えます。それが、木全体に付いているのですから、とても目立ち、まだ枯色の残る中で、すぐに見つけられます。
 遠くから見ると木がまるですべて黄色にけぶっているよう。そこに春早い雨が、細い細い線を流して、こちらもうすく霞むように、降っています。山茱萸のある辺りに降る雨だけが、ぼうっと黄色い煙りのように見える、というのです。静かな木、静かな雨。作者は絵画にも詳しかったといいますが、日本画の「朦朧体(もうろうたい)」のような景色です。

   山茱萸咲く湖底の村の子守唄  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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小花をたくさん付ける山茱萸は、春の訪れを知らせる。


けむるような花は、近寄って見ると、小さな花の集まりだと分かる。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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