人のいとなみ・自然のいとなみ

第15号/除夜の鐘、注連作、万両

投稿日:2019年12月27日 更新日:

文/石地 まゆみ

除夜の鐘

浜の寺山の寺より除夜の鐘  きくち つねこ

 12月31日の大晦日、過ごし方はさまざま。年越し詣(除夜詣)に出掛ける人、家で年末のテレビを見ながら過ごす人、地方の風習で、特有の年越しの行事があるところもありますね。除夜の鐘を撞きに行かれる方もいるでしょう。除夜の「除」には「除く」という意味があり、古い年の出来事を除き去り、新しい年を迎える「除日」が大晦日、その夜を「除夜」といいます。

 もともと大晦日の夜には家にいて、寝ないで起き明かすもの、と考えられていたようです。「年守る」という季語が、それです。大晦日に寝ると白髪になる、皺が増える、といった俗信があったそうで、それは昔の基準で考えると、「日没」から一日が始まるので、31日の夜にはすでに新年が始まっていて、大切な歳神様を迎える新年が始まっているから、寝てはいけない、という考えだったのでしょう。
 「年の宿」は、大晦日の夜を籠る家のことで、これも歳神を迎え祀るための家、ということです。角川書店の『日本年中行事辞典』には
「年越しの夜に家に戻らぬものは、昔の常識からいえば家出人のようなもので異常な状態である。これをあえて犯す自由人が、連歌師や俳諧師であった。彼らは、年の夜に異郷の他人の家に泊まることに流離の感慨を催したのである。」
とありました。いまや俳人に限らず、年末年始はここぞとばかりに旅行する人が多いですから、昔の人にとってはみんなが「自由人」ということになりますね。

 大晦日の「除夜の鐘」では、過去、現在、未来の三界における煩悩の数の「百八」の鐘を撞き、一般の人にも撞かせてくれるところもあって、除夜の恒例行事としている人もいるでしょう。東大寺はさすが大寺だけあって、8人が一組で撞いていました。我が家の近隣では、数か所、鐘が撞けるところがありますが、地元の人たちが三々五々集まり、厳かというよりも和やかなムードです。近年住宅地では、除夜の鐘がうるさい、との苦情で、自粛する寺があると聞きます。年に一度の事、ほんの1~2時間でも、近くの住民からすれば「騒音」になるのかもしれませんが、寂しいことだと思います。

 大晦日、浦里で過ごす作者は、除夜の鐘が鳴り始めたことに、しみじみと一年を振り返っています。よく聞くと、その音は一つではなく、二つの違う音が聞こえてきます。重なりつつずれつつ聞こえてくる音色。昼間訪れた「浜の寺」と「山の寺」に、鐘があったことを思い出しました。浦里によくある、海辺からすぐ山を背負ったような土地だったのでしょう。声を交わすように、二つの寺の鐘が響き合います。自然とともに暮らす人々の願いが、一打一打の鐘の音となって、海へ山へと渡っていき、新しい年へと扉を開いてゆきます。

   除夜の鐘月は木星侍らせて  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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年の火が赤々と燃える境内で、除夜の鐘を撞く順番を待つ。
鐘の余韻が、辺りに響いていく。(町田市)


子どもたちにとっても、ワクワクする行事だ。(川崎市)

年越し詣での人たち。左はお寺での、除夜の法要。

注連作

ひとすぢの髭もゆるさず注連作  山田 弘子

 注連縄は、神聖なものと不浄なものの境目として張られるもの。その由来は、神話の天照大神が天岩戸から出て来られた際に、二度と岩屋に戻られないようにと注連縄で戸をふさいだ、ということにあるようです。
 お正月には歳神様を迎えるわけですから、神様を祀るのにふさわしい、清浄な場所を作るため、神棚、玄関、床の間、に飾られます。そこで、その注連縄を作る「注連作」「注連を綯う」は、12月の季語となっています。
 まだ稲の穂の出ないうちに刈って、干しておいた藁を用います。新藁を使う場合もあります。それを水に浸けて、砧で叩いて柔らかくして、手を擦り合わせるようにして綯(な)ってゆきます。地域によっては、年男の仕事だとされているようです。注連縄は、白幣を挿した前垂れ注連、太い大根注連、やや細い牛蒡注連、輪注連など、種類は色々とあります。

 注連縄を綯ってみたことがありますが、慣れないとなかなか、難しい。ですが、要領がわかると、だんだん楽しくなってきます。そして、出来るだけきれいに作りたくなります。土地の人たちにとっては、祭などでも藁を綯って縄を作ったりするので手慣れたこと。ただ、この日に作る注連縄は、安心して新年の神様が来てくださるように、と、丁寧に、思いを込めて綯ってゆきます。太さも揃うように。藁がそこここから撥ね出してしまわないように。最後には、ハサミで整えます。「髭」は、ピンと撥ね出している藁。ほんの一筋の髭のような撥ねも許さず、神聖なものを作っていく気概を、綯う人に見たのです。

   山神の裔の毛深し注連を綯ふ  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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砧や槌と呼ばれるもので藁を叩くのは、しなやかで丈夫にするため。

手を擦り合わせてひねりを入れて、綯っていく。

筆者も注連縄作りに挑戦。長老の手際の良さ、美しさには足元にも及ばない。
出来上がったら、撥ねた部分を鋏で整えてゆく。

万両

座について庭の萬両憑きにけり  阿波野 青畝

 明るく紅を灯す「万両」の実は「千両」とともに、寒々しい枯れた庭の中にあって華やかで目を引きます。どちらも小さな赤い実をたわわに付ける姿を、お金がたくさん貯まった様子に捉えて名づけられ、縁起物として知られた植物です。
 千両はセンリョウ科で枝先に実を付けますが、万両はヤブコウジ科で、葉の下に実が垂れ下がって付きます。万両の方が実が大きくて、千両よりもたくさん実が付く、ということからの名前だとか。とはいえ、どちらも、冬にはうれしい赤い実。

 なんと、万両、千両だけでなく、百両、十両、一両という植物もあるといいますから、縁起かつぎでもお目出度くて、お金持ちになった気になります。お正月には、鉢植えで床の間に飾られることもあるのは、名前の縁起がいいからでしょう。ヒヨドリは万両の実が好きで、啄んでは種を落としてゆくので、気づかないうちに実生で育っています。が、実生のものは植え替えが難しいといい、私も植木屋さんに頼んで移植してみましたが、やはり枯れてしまいました。万両の花は7月ごろ、茎がピンク色の、小さな小さな白い花を付けます。実の方は赤くて自己主張が強いけれど、花はあまり気がつかれないかもしれません。やがて濃い緑色の実になって、赤く色づくと俄然、存在感を発揮します。

 掲句、「座について」とありますから、なにかの宴席に呼ばれたのでしょう。和の趣きの、日本料理が出てきそうなお店です。冬の、常緑と枯の景色を楽しませるように設えた庭をふと見ると、緑と茶の色の中に、目立つ赤色が目に入りました。万両です。艶を持ち、実を豊かに付けたその色に、作者は魅入られてしまいます。座の間の団欒の中でも、作者はずっと、その赤さが自分の心にのり移ってしまったような感覚に取りつかれているのです。「赤」であることが、重要なのでしょうね。
 ちなみに、作者の青畝は、12月22日に没、忌日は「万両忌」とも呼ばれています。

   実万両魚板は黒き珠くはへ  まゆみ

撮影/石地 まゆみ

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冬の庭を明るく灯す万両の赤。

万両や千両の実には、黄色や白などのさまざまな種類がある。右は、花。

石地 まゆみ先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

※写真や文章を転載される場合は、お手数ですが、お問い合わせフォームから三和書籍までご連絡ください。

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