季語でつなぐ日々

第22号/春分、木の芽、桜

投稿日:2018年3月26日 更新日:

春分

春分の田の涯にある雪の寺  皆川 盤水

 春分も二十四節気の一つです。太陽が春分点を通過する時刻が春分ですが、その時刻がある日を暦で春分と呼んでいます。今年は3月21日でした。この日はお彼岸の中日にも当たります。暖かくなってお墓参りをするのにちょうど良い頃ですが、思いがけず寒くなることもありますね。今年の春分は首都圏に雪が降って驚かされました。

 この句は供花を持って田んぼの道を歩いて行ったところ、お寺に雪が残っていたというのです。「菩提寺・長泉寺」という前書が付いている句で、福島県出身の作者が先祖の墓に詣でたことが分かります。「田の涯」で、大きく広がっている風景が目に浮かびます。目指すお寺は田園地帯の臍のような存在なのでしょう。肌寒い春の日に自分の原点でもある先祖の墓へ向かって歩いて行く作者。その引き締まった横顔が見えてくるような句です。


いとう石材様より画像をお借りしました。
ありがとうございます。

木の芽

降りてすぐ木の芽が匂ふ新任地  能村 研三
  
 この句の木の芽は「このめ」と読みます。春になって樹木の芽が萌え出ることを言います。「きのめ」とも読めますが、「きのめ」と読む場合は「木の芽和え」にする山椒の芽を指すことが多いので、俳句では区別して読まれています。

 春の芽吹きの季節は卒業や入学、転勤や入社など、人生の転換期を迎える季節とも言えます。この句の作者は新しい赴任地に着いて、電車を降りたのでしょう。すると先ず目に飛び込んできたのが芽吹きの木々でした。「匂ふ」は香りがするという意味ではなく、気配があるという意味です。任地に行ってみたら豊かな自然が出迎えてくれた、この土地が好きになれそうだと思えて、気持ちが楽になったのではないでしょうか。新しい生活を始める緊張感と期待感が木の芽に託されています。

朝ざくら家族の数の卵割り  片山 由美子
  
 桜は古来、特別な花として愛でられてきました。『万葉集』の頃は桜よりも梅が詠まれていましたが、以後は「花」と言えば桜を指すことになりました。雪月花の一つで、美しく深い趣のある題材として数多くの詩歌に詠まれてきました。

 普段、自然とは縁のなさそうに見える現代人も、3月になると桜の開花を待ち、花見をして楽しみますね。桜は満開を眺めるのも嬉しいですが、散るときの花吹雪にも劇的な美しさがあります。

 詩歌では桜の咲き方や散り方に命の尊さや儚さが託されてきました。そのため、桜の句と言えば人生を振り返る句や戦争にまつわる句、老いを迎えた句等が多いようです。そのような句の中で、掲出句は明るい朝ごはんの場面です。家族の数だけ目玉焼きを作っているのでしょう。家族の数というのは家族が揃っていることの喜びであり、命の数とも言えます。まだ子どもたちが小さいのでしょう。窓の外に見える朝ざくらの瑞々しさが健康な一家を象徴しています。

藤田直子先生のプロフィールや著作については、こちらをご覧ください。

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