2000勝投手はこうして誕生した

サチェル・ペイジとその時代 

佐山 和夫 著 

四六判 / 235ページ / 並製
冊子版価格:2,500円 + 税
電子版価格:2,200円(税込)
冊子版:ISBN978-4-7791-2623-9 C0075

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2020年は、ニグロ・リーグ創立百周年!

「ペイジが2000勝以上したという話は本当ですか?」
少しでも野球を知っている人には、容易に信じてもらえない
話でもあるサチェル・ペイジの偉業を、
ペイジの足跡を常に追い続けてきた著者が、
事実は事実なのだと、満を持して描く
サチェル・ペイジ最新評伝!

誰にも真似できぬ功績を讃え、
MLBで「サチェル・ペイジ・デー」創設を!

【サチェル・ペイジの業績】
ニグロ・リーグ時代には約2500試合に登板し、
2000勝以上をあげ、うち完封勝利は350以上、
ノーヒットノーラン55試合など。
速球王ボブ・フェラーが
「サチェルの投げるボールがファストボールなら、
俺の投げるボールはチェンジ・アップだよ」と発言している。
1930年には、メジャーリーグ選抜との交流戦で
22奪三振完封勝利を記録。
1948年、シーズン途中にクリーブランド・インディアンスに
入団し、42歳の史上最高齢新人投手として
6勝(1敗、防御率2.48)をあげ、リーグ優勝に貢献。
メジャー通算成績は28勝31敗、防御率3.29だが
1952年には46歳で12勝(10敗)を挙げ、
1952年、1953年には連続して
MLBオールスターゲームに出場。
1965年、カンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの
契約を結び、メジャー最後の登板を果たした
(先発し3回を投げ無失点で勝敗はつかず)。
この時ペイジの年齢は59歳だった。
現在でも最高齢登板記録なのは事実である。
この時はダグアウトにペイジ専用のロッキンチェアが用意され、
ペイジがマウンドを去ると観客から惜しみない拍手とともに
「私を野球に連れてって」の歌声がこだました。
1971年、ニグロ・リーグ特別委員会選出により
野球殿堂入りを果たした。

目次

1章  1906年、アラバマ州モビール
2章  プロの世界へ(1927)
3章  ペイジ、ピッツバーグへ
4章  ニグロ・リーグとは
5章  ガス・グリンリーと手を切る
           (1934~35)
6章  最高の投手として各地へ
7章  放浪のペイジと球界の激動
           (1938~39)
8章  ペイジに奇跡は起きるか(1940)
9章  リーグより大きいペイジ
           (1941~46)
10章 主張を通したペイジ
           (1947~48)
11章 論議を呼んだワールド・シリーズ
12章 大リーグで12勝のあと

著者プロフィール

佐山 和夫(サヤマ カズオ)

さやま・かずお
1936年、和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。
慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。
会社員、和歌山県立田辺高等学校などの公立高校の
英語教師をへて「田辺イングリシュアカデミー」を開く。
アメリカ野球学会(SABR)、スポーツ文学会(SLA) に所属。
第3回潮ノンフィクション賞、1984年度和歌山県文化奨励賞、
2018年度和歌山県文化功労賞、
第4回ミズノスポーツライター賞、ジョセフ・アストマン賞、
アメリカ野球学会のトウィード・ウエッブ賞などを受賞。
初代アメリカ野球学会会長のクリフォード・カクラインとは親友。
著訳書に
『伝説の史上最速投手  サチェル・ペイジ自伝〈上・下〉』
(翻訳、サチェル・ペイジ 著、草思社、1995年)、
『史上最高の投手はだれか〈完全版〉潮文庫』
(潮出版社、2017年)、
『大リーグを超えた草野球  サッチとジョシュの往くところ』
(彩流社、2008年)、
『野球はなぜ人を夢中にさせるのか
  奇妙なゲームのルーツを訪ねて』(河出書房新社、2000年)、
『黒人野球のヒーローたち  「ニグロ・リーグ」の興亡
 中公新書』(中央公論社、1994年)他多数あり。