NPO 法人・北東アジア交流協会では、中華全国青年連合会が主催している「母なる川を守る活動」の趣旨に賛同し、これに積極的に参加しています。「母なる川を守る活動」は90 年代初頭から砂漠の緑化と環境保護を目的として中国青年連合会が民間団体と協力して活動していたものですが、1999年6月、故小渕恵三元首相の提案で「日中緑化交流基金」(通称:小渕基金)が立ち上がり、日本でも大きな反響を集めるようになりました。この活動には様々な団体が賛同し、中国砂漠地帯に行って植林活動をしています。

現在、中国地方の砂漠化が著しい地域をはじめ、長江、黄河、珠江流域の10省・直轄市・内モンゴル自治区などで61の緑化プロジェクトが行われています。

これまでの植林実績

2007年(平成19年)内モンゴル自治区ダルトキ 1500本
2008年(平成20年)中国河北省唐山市遷西県 66.7ha 22万本
2009年(平成21年)内モンゴル自治区ドロンノール 67ha 15.5万本
2009年(平成21年)中国河北省唐山市遷西県 67ha 19万本
2010年(平成22年)内モンゴル自治区ドロンノール 100ha 16.5万本
2010年(平成22年)中国河北省唐山市遷西県 80ha 24万本
2010年(平成22年)中国山西省太原 80ha 16万本
2011年(平成23年)中国湖南省湘陰県 140ha 10.5万本
合計:600.7ha 123万6500本

北東アジア交流協会では、5名による訪中団を結成し、2011年3月21日~24日にかけて北京及び河北省唐山市迂西県を訪れ、環境緑化に貢献しました。

訪中団メンバーと日程

2011年3月、訪中団メンバー
・鈴木英司(団長・社団法人日中青年友好協会理事長)
・高橋考(副団長・秘書長・三和書籍社長)
・村岡泰彦(jpニューズ社長)
・奥村明(東華商事社長)
・高橋美佐子(三和書籍取締役)
(3.11東日本大震災のため急遽参加できなかったメンバー1名あり)

訪中団日程(3月20日から25日)
今回我々の訪中団は東京から3人、熊本から2人の合計5人となった。3.11東日本大震災後あまり日を置かずに訪中したため、北京行きのDL59便は原発被害から日本を逃げ出す乗客で満杯となっていた。東京からのメンバーでは大震災の支援部隊に招聘された一人は植林訪中の予定をキャンセルせざるを得ない状況になっていた。

北京到着は23時40分。先に北京入りしていた鈴木団長と全青連の羊さんが出迎えてくれた。お馴染みのホテル「21世紀飯店」に到着すると午前1時近かった。

湘陰県全青連による歓迎会

3月21日
翌日21日は湖南省長沙へ向けてCZ3146に搭乗した。新メンバーは奥村明氏だけで、他は皆顔なじみだ。12時35分発のため、天安門広場を散策することにしたが、北風が強くかなり寒い。広場は地方からのお上りさんらしき団体で結構人が多い。入り口には広場に入るためのチェックゲートがあり、並ばないといけない。吹きっさらしの広場は、それにしても寒い。中国の国旗が風に煽られはためいている。毛沢東主席の顔写真が飾られた故宮の壁面が光る。

長沙到着はほぼ定刻どおりのほぼ15時だった。出迎えには全青連の陸さんと湘陰県のメンバーが来ていた。陸さんは前日に来たという。ここからさらに湘陰まで2時間ほど車に揺られることとなる。 今日は地元湘陰県による歓迎宴会が夕方ひらかれることになっている。

湘陰県全青連の歓迎会は、東日本大震災にもかかわらず植林着工式典日本から来てくれたということで、とても温かい歓迎を受けることとなった。

出席者は、湖南省副書記、顔海林さん、湖南省青年部部長、陶○文さん、岳陽市人民政府副秘書長廖長生さん、岳陽市青団書記、汪火山さん、同副書記、姜佳莉さん、同部長、張鉄軍さん、湘陰県副書記、尹家輝さん、同組織部長、彭岳武さん、同人民政府副議長、周利人さん、同成員、李国華さんなどだった。
 

記念式典、岳陽市市長・湖南省委員からの祝辞

3月22日
8時、朝食の後、9時15分には式典会場へ向かった。車で30~40分ほどで、洞庭湖へ注ぐ湘江下流域だ。渡し船に乗るのだろうと思っていたところ、船着き場自体が船とともに動き出した。対岸が会場らしい。赤、黄、水色の旗とアドバルーンがあがっている。出迎えは小学生の「熱烈歓迎」と楽隊だ。賑やかな音楽と歓声の出迎えを受けながらステージへと向かった。やや雨模様だった天気も、なんとかもちそうである。会場には高校生らおよそ200人が待っていた。

挨拶は岳陽市市長が、東日本大震災にもかかわらず日本から来た我々への謝辞と小渕基金への謝辞を読み上げた。日本からは鈴木団長が、歓迎への謝辞と「北東アジア交流協会が少しでも地球環境の保護に寄与することができれば幸いである、ともに植林することで民間交流が進めば相互理解も進む。中国の田舎を知らずして中国は語れない」と述べた。

さらに、湖南省委員から祝辞があり、全青連からは陸鉄鈞氏が祝辞を述べた。訪中団一同に感謝状と記念のメダルが授与された。続いて記念碑の除幕と子供たちと一緒に植林活動を行った。若い青少年たちは元気のいい笑顔を見せてくれ、大いに盛り上がって式典を修了した。
   

    

岳陽楼見学

3月22日
午後の昼食は岳陽市の主催で開かれ我々は楽しく食事を楽しんだ。その後、岳陽市へ向かい「岳陽楼」を見学した。「岳陽楼」は洞庭湖を望む絶景の地として知られている。木造3階建てで釘を一本も使っていない。ここに登ると洞庭湖が一望に見渡すことができ、古来多くの詩人がここに登って詩を口ずさんだという。杜甫も「岳陽楼に登る」という詩を書いており、傑作として名高い。また、北宋の文学者範仲淹が書いた「岳陽楼記」は有名で「先天の憂いを憂い、後天の楽しみを楽しむ」は「後楽園」の名前の由来だという。ちなみに水戸の黄門様が名付け親だ。

同庭湖を頻繁に行き交う船の多さに驚かされるとともに、湖水に沈む夕日が美しく、先人の思いが光景に託されているような気がした。 その後、長沙市へ移動しホテルに入宿した。

岳麓書院見学、全青連主催歓迎会

3月23日
今日は北京への移動日となる。飛行機はCZ3753便で昼頃の出発だ。空いている午前中は長沙市内にある「岳麓書院」を見学する。中国宋代の四大書院の一つだそうだ。日本の「書院造り」は、書斎や図書館など建築様式の一つと考えられているが、それとはややスケールが違って、中国の昔の勉強の場所で、官学に対して実学を志す人の私塾をいうそうだ。つまり学校だ。現在も湘南大学の敷地の中にあるとのことで、学生が行き交う学園都市の雰囲気がとてもよい。ちなみに残り三つの書院は、白鹿洞、応天、石鼓だそうである。

 

北京での夕食は全青連主催の歓迎宴会だ。陸鉄鈞部長と羊強振さんが接待してくれた。やはり北京ならダックということで、北京ダックの店を用意してれていた。おみやげには放射能が消えるお茶をいただいた。

  

万里の長城、答礼宴

3月24日
最終日は北京市内観光ということで、万里の長城へ行く。よく晴れた空の青さが眩しい。万里の長城はいくつか見学スポットがあり、一番有名なところは「八達嶺」だが、今回我々はロープウエーがある「慕田峪(ぼでんよく)」へと向かった。素晴らしい景色だ、実に雄大だ。さすが世界遺産だと感激しながらアップダウンのある長城を歩いた。

 

 

夕方は我々が用意する答礼宴だ。訪中では随分と全青連の皆様にお世話になったことを感謝して、北東アジア交流協会として宴席を設けることが慣例となっている。出席者は全青連側から小渕基金の責任者である洪桂梅部長、湘陰に同行してもらった陸部長、羊さん、それと書類をさまざま用意してくれた閻さんだ。

長かったような短かったような湘陰県の植林活動であったが、今回我々の活動の成果は140haの敷地面積に対して10.5万本を植林したことになる。樹種は意楊10万本、落羽杉5000本だ。これだけの本数を我々が植林できるわけではなく、実際は地元の人たちに日当を払って植林してもらっている。そして、除草や施肥など年間をとおして活動してもらっている。つまり植林活動は、田舎の人の現金収入の手だてでもあるのだ。 このボランティア活動が少しでも日中友好の一助となることを願って筆を置きたい。

文責 高橋考